秋葉原死刑執行,改めてウクライナロシア戦争に思うこと

秋葉原無差別殺傷被告人の死刑が執行されたという。14年前の事件だというが,衝撃的だったのでそれほど経ったように思えない。39歳,ということは25歳の時の事件であった。職場を解雇され,誰にも必要とされていないという絶望感・孤独感から,トラックで歩道に突っ込み,通行人を刃物で刺してやると,ネットに書き込みまでしていた。7人死亡,10人重軽傷。刑事責任能力には問題がなく,であれば死刑しかありえなかった。

安倍元首相襲撃事件が起こったとき,秋葉原襲撃事件を思ったが,犯人の孤独感絶望感には共通するものがあり,共にその怒りが攻撃的に他に向かったと思われた。前者の容疑者は母親を大変恨んでいたと述べているとか,それは当然であり,母親を殺害したのであればよくある身内間の殺人事件に留まったのである。やはり鑑定留置(4か月)にかけられたので(妄想に囚われていたわけでもなく,責任能力自体はおそらく問題がないはずである),統一教会ないし母親への恨みが安倍元首相に向かった理由については何らかの説明がなされるものと思われる。

ところで,ウクライナ戦争はすでに5か月になる。そして,終わりが見えない。先般某誌の専門家投稿に,戦争は人員武器資源など,つまりは国力の強い所が結局は勝つ,おまけにロシアは独裁国家だから戦争に負けることは指導者が自らの命を失うことを意味するからロシアは決して負けない,ただしウクライナにアメリカが加勢すればウクライナが勝つこともありうるとあった。これは武器投与だけではなく当事者として加勢するということであり,これをやれば第三次世界大戦も見えてくるし,バイデンは昨年来アメリカは荷担しない旨明言している。この戦争,図式としてみれば実は,ロシア対アメリカなのである。もともとロシアが危惧していたのは,アメリカが先導するNATO拡大であり,ウクライナのNATO加盟をやめさせ,すでに事実上ロシアが実効支配済みのクリミア併合及びウクライナ東部のロシア自治区を認めさせていれば,この戦争は起こらなかったと思われる。

そんなことは出来ない! それらはもともと自分たちの国である。力による国境変更は決して許されない。ウクライナはそう言うであろう。またそれは近代の民主主義国にとっては当然のことなので,欧米も,そしてその価値観に従う日本も右に倣えをしてきたのだが,しかし,理想や理念を追い求めていても戦争が続く限り,どんどん人は死に,被害は拡大する一方である。もういい加減停戦協議をするべきではないのか。いくらロシアが悪いと叫んだところで,それはもちろん理論上はそうだろうが,ロシアが手を引かない以上,戦争はずっと続くのである。

世界を見渡せば,欧米やそれに従う日本など,民主主義の国のほうがずっと少ない。反対に,ロシアや中国,インド,トルコ,イスラム諸国,アフリカ諸国など,独裁国家や専制国家などその他の国のほうがずっと多いのである。そして彼らはロシアを批判していない。ネオコンばりに,絶対にこちらのほうが正しいと主張しても,では,アメリカはイラクを制圧してどうなったか。部族国家でのまとめ役だったフセインを抹殺してばらばらになっただけであり,アメリカはイラクを放り出した。アフガニスタンもベトナムも結局そうだった。アメリカが民主主義という,絶対的な近代価値だと信じるものを植え付けるべく壮大な企図をして,成功したのは日本だけである。

そして日本は今やアメリカの言うとおりに動く。日米同盟が安全保障の要であり,それ以外の保障は皆無なのだから,アメリカの言うことを聞かなければならないのである…。そのためにロシアを一方的に非とし,一切の国交を断ってしまったのだが,本当にそうすべきだったのだろうか。せっかくこれまでに積み上げてきたものを切った例はこれまでなかったと思われる。第31代アメリカ大統領ハーバード・フーバーが出した回想録『裏切られた自由』(草思社,2017年刊)によれば,「ルーズベルトとトルーマンは(悪魔のような)スターリンとヒトラーに対処するに当たって大失敗をした」「ルーズベルトが犯した壮大な誤りは,1941年7月,つまりスターリンとの隠然たる同盟関係になった1ヶ月後,日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。これは弾こそ撃っていなかったが本質的には戦争であった」「ルーズベルトは,近衛文麿の和平提案を(駐日米国大使も駐日英国大使も受諾を促していたのに)拒否。近衛提案は,満州の返還を除き米国の要求を全て受け容れるもので,満州の帰属にすら外交交渉の余地を残していた…。」

「1943年1月,ルーズベルトが米軍とチャーチルの助言も聞かず無条件降伏を要求したため,日独伊が徹底抗戦して結局戦争を長引かせた」「1945年2月のヤルタ会談で,スターリンの横暴を追認したばかりか,助長する秘密協定を多数結び,日本が5月来何度か白旗を揚げても,同年4月に大統領になったトルーマンは拒否。7月に完成した原爆を日本に投下するよう命じた」…すなわち「日本は繰り返して平和を求めていたのにもかかわらず,原爆を投下したことは,米国の全ての歴史の中で,他に比較するもののない残虐な行為であった。米国の良心に永久に重くのしかかるであろう」。恥ずかしながら,この回想録を私は知らなかった。大部であるが読むつもりである。

日本人は是か非か,善か悪か,どちらか綺麗に決まるのが好きである。だが,人間同士でもそう簡単にはいかない事件があるように,まして幾多の歴史を背負った国同士であれば,そう簡単にいくはずもない。追い詰められた日本は最後,天皇制の維持のみを死守して無条件降伏に至ったが,ウクライナも停戦交渉をすべきではないのだろうか。そのために仲に入ってくれる国も人もいるはずである。最初は英雄に見えたゼレンスキー大統領が徐々に,ただ意固地で,自らの地位名誉に固執する人に見えるようになった。ウクライナの戦死者もすでに1万人は越え,国民にも厭世観が増してきているようである。価値や理想だけでは人は生きてはいけない。

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