座間の事件に思うこと

大久保清、宮崎勤を一気に超えた。大久保清は昭和46年、その前の小平義男は昭和20?21年。共に強姦殺人の被害者は若く、計7人も同じ(もっとも小平は10人起訴されて、うち3人が無罪となったのだ)。白石容疑者はすでに9人。証拠隠滅で殺害した男1人以外はすべて若い女性だった。

自殺志願の女性をネット上で選び出し、ツイッターで交信。自殺を手伝ってあげる親切な男を装い、自宅におびき寄せる。殺害して、風呂場で解体。首を一つ一つクーラーボックスに入れて保存した。動機は何なのか。金(強盗)であれば女子高校生を狙うはずもない。強姦目的と考えるのが素直だが、死体が残っていないので、立証は難しい。殺害方法は絞殺というが、残った頭部でどこまで立証ができるか? 頭部を手元に残しているのは収集癖、征服欲の表れなのかもしれない。これまで例のない事件であるだけに、捜査本部に対しては様々な難題が突きつけられている。

捜査には、自白が不可欠である。そのことを今回の事件ではつくづく感じている。死人に口なしのうえに語ってくれる死体もない。捜査の大きな目的である「真実の究明」、そのためには本人の自白が不可欠である。本人にとっては言いたくないはずの事実。それをどうやって引き出すか。様々にありうる客観的な証拠をきっちりと詰めたうえで、本人の心に寄り添って真実を引き出すには、捜査官の大きくて繊細な人間力が必要である。

本当に自殺したい人間は、人との交流など求めはしない。被害者たちは、それぞれ死にたいと言いながら、実のところは誰か、誰でもよい、自分を分かってくれる人間を求めていたのだ。たぶん、この被害者らは一部である。もっと多くの孤独な若者がたくさんいるであろうことに驚かされた。犯人は、その心理にまんまと付け込んだ。卑怯な、確信的な、快楽犯だ。八王子で失踪した妹23歳の行方を突き止めようとした兄の執念が逮捕につながり、その日白石と会う予定だった女性は九死に一生を得た。10個目のクーラーボックス。そのボックスは無限に増える予定だったのだろう。

ツイッターなどネット社会の落とし穴と言うはたやすい。これら日々進化していくツールは、もちろんたいていは便利なものであり、人の役にも立っているのだ。だからおそらくはそれ自体が悪いわけではなく、悪用する人間が悪いのである。若者を、人を、孤立させないよう家族は機能すべきだし、社会に受け皿が必要なのだろう。いろいろなことを考えさせられる。

被害者の名前がどうぞ出ませんように、と祈っていたが、名前ばかりか顔写真まで出て、こんな形での死というだけで大変なショックである遺族には重ねての大きな被害だと気の毒で仕方がない。加害者の家族も被害者の家族も、いろいろな意味で被害者である。犯人自身は仕方がないことだが、マスコミもどうか節度をもって行動してもらいたいと思うものである。

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