深夜バスの大惨事に思うこと

死者14人! 乗務員2人を除く12人の乗客全員が、前途ある有為の大学生だった。被害者はもちろん、まさに掌中の玉の子女を思いも寄らぬ形で無残に奪われた御遺族の方々には慰めの言葉もない。

乗務員が共に亡くなり、事故原因は未だ解明中である。車は、続くカーブを回りきれず、対向車線にはみ出してガードレールを突き破って道路右側に転落、大破した。ツアー会社の既定ルートであった高速道路を避けて(理由を推察するに、同乗者はこの路線を何度か経験済みであったので、少しでも経費を浮かせようとしていつもそうしていたのではないか)一般道路を走っていたが、そのカーブ自体は運転の難所というほどのものではなかったという。ただ、運転者は65歳。深夜運転には高齢なうえ、運転経験はマイクロバスの近距離ばかりで、この運行会社には昨年末に就職したばかりだったという。にわかに大型バス運転の研修を受けたといっても若い人ではないので適応には時間がかかるし、しかもこの路線は初めてだったので(57歳の同乗者には経験あり)、本人も乗車前からたいそう不安だっただろうと思う。運転技術そのものの未熟さはもちろんあるが、事故自体は、過労か病気か、とにかく一瞬意識を失ったあと戻って狼狽し、制御不能に陥ったのではなかろうか(会社は入社時の健康診断もしていないし、行政処分を受けていたほど問題の会社であったという)。

その時の気持ちを考えると、運転手も気の毒になる。事故は、起こしたくて起こすのではない。学生にいつも言うのだが、同じく犯罪として取り扱われてはいても、故意と過失は全く別物である。例えば、運転中に常に意識をしっかり持つべきは当たり前だが、ふと考え事をしたりして意識が途切れることはありうる。だがその時に歩行者がいなければ、車もなければ、あるいは同乗者もいなければ、不幸な結果は起きないのだ(自損事故は何の犯罪も構成しない)。故意の認定は「犯意→結果」だが、過失は「結果→落ち度」と順序が逆となる。一瞬意識が途切れてもまっすぐな高速道路上であればおそらく不幸な結果は起きなかっただろう。もちろんどんなに運転技術が未熟でも大丈夫である。しかし、現実にこうした大惨事が起きてみれば、誰にとっても大変不運かつ不幸なことだったとしかいいようがない。

短期間にいろいろな背景事実が明らかになってきた。なぜ65歳を新しく雇うのだろうと思ったら、この業界は深刻な人手不足であるらしい。4年前、運転手の居眠りで7人の死者を出した関越自動車事故を受けて、夜間に一人で運転できる距離が制限され、二人を乗せることになって運転手の需要は増えたが、その一方、大型2種免許取得者は減り、65歳以上の割合はすでに半分近いのだという。そこで、大手のバス事業者以外は高齢運転者に頼らざるをえない。本来はコスト増は料金に転嫁すべきだが、価格競争がすさまじく、同業者ばかりか新幹線や飛行機との競争もある。となれば、零細ツアー会社ほど運行会社に国の基準を下回る運賃を提示することになり、運行会社も零細であればこれを受けざるをえないことになる。こうした売上げの減少分はもちろん、人件費はじめ諸経費の切り詰めで賄うことになる。価格競争が結局自らの首を絞めることになるのはどの業界も同じなのだが、今回もまたいわば構造的な問題を背景に、極めて不幸な事故が起きてしまった。

警察も行政機関も入り、そのうちに事故原因や当該会社の実態、そして広く業界の実態など明らかになるだろうし、それを受けて、然るべき法規制も行われることになるだろう。とはいえ基本的にはやはり消費者自身が賢くならなければいけないのだと思う。そもそも安全にはコストがかかる。安かろう悪かろうは何であれ、概ね正しいと思われる。かつて、飲食店でユッケを食べて死者が出た時、細心の衛生管理が必要な生肉があんなに安く出せるはずがない、まして子供に食べさせるなんてどうかしていると思ったものだが、あまりに安価であるのは必須のものを削っているが故と考えるべきだと思う。だが、それを選んでしまう学生、そして、本来は年金で暮らせるべき年なのに、条件の厳しい所に契約社員で勤め、自身不安を抱えながら初めてのコースに臨んだ高齢者…悲しい現実である。多くの負傷者の一日も早いご回復を、そして亡くなったすべての方々のご冥福を、心から祈ってやまない。

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