裁判員制度の問題について思うこと

あっという間に12月である。当たり前だが,年々早くなっている! でもまあ,健康な毎日の積み重ねが1ヶ月となり,それが12回重なって1年となるのだから,実にありがたいことである。過密スケジュールの時には無事にやりきれるかなあと不安になるが,健康管理は仕事だと思うようになって,乗り切れるようになった。一番大事なのは睡眠だと思う。夜型を朝型に変えたら,NHKの語学講座も聴けたりして,一石二鳥である。

衝撃的なパリのテロのことで資料を集めたりしていたのだが,私の能力かつ情報で正しく分析するのは難しいと分かった。で結局は,得意な刑事司法分野になってしまう。具体的事件について考えることが一番勉強にもなると信じているので,昨日の講義では,11月28日に東京高裁が出した「菊池直子被告逆転無罪」判決を取り上げ,ゼミではこれに「弁護士局部切断事件」を加えた。

菊池直子は1995年のオウム教団による東京都庁小包爆弾事件の際,爆弾原料の薬品を山梨県内の教団施設から都内のアジトに運んだ容疑(殺人未遂幇助)で指名手配されていた。ふっくらと可愛い「爆弾娘」が17年もの逃亡の後,3年前に逮捕された時,まるで別人になっていたのには驚愕したものだ(これでは捕まらない!)。本人は,自分が運んだ薬品で教団が危険物を製造し,事件を起こすとの認識はなかった旨無罪を主張していたが,一審(裁判員裁判)は有罪として懲役5年を言い渡した。その控訴審(裁判官3人)は,井上死刑囚の証言の信用性を否定し,逆転無罪を言い渡したのである。両者の相違は,つまるところ事実認定の相違であり,「疑わしきは被告人の利益に」が刑事裁判の鉄則であることからすると,無罪の結論自体は致し方がないというのが正直な感想である。

問題は,一審が裁判員裁判だったことである(殺人罪は裁判員裁判の対象であり,それは未遂でも幇助(共犯)でも変わらない)。一般の感覚からすれば,無罪だというのならなぜ逃亡したのか?であり,有罪とするのはいたって常識的である(裁判員6人と裁判官3人の計9人中,少なくとも5人は有罪認定をしたわけで,うち1人以上は裁判官である)。裁判員らはたまたま選ばれて,自らとは何の関係もない事件のために貴重な時間とエネルギーを捧げた。それが二審では事もなげに無罪なのであれば,何のための,裁判員…!? そんなことならプロだけで最初からやればいいでしょ,馬鹿にしてない?と,私なら絶対に思う。裁判員制度導入はそもそもが素人感覚を採り入れることであり,プロの判断と違うのは仕方がないとして容認されるべきではなかろうか。

衝撃的な弁護士局部切断事件は,当ブログでも触れたが,やはり夫(元ボクサーでロースクール生)は妻がその弁護士に強姦されたと思い込んでいたのだ。でなければ不貞の鉄槌は妻にも下ったはずであり,不貞妻にまんまと欺されわけである。悪い弁護士を成敗してやるとばかり,台本まで書き,裁定鋏を購入,妻を同伴して訪問,まずは殴って失神させ,その間に局部を根元から切断してトイレに流した。計画的犯行であり,妻はいわば共犯だ。2人ともが起訴されればより悪いのは妻のほうだが,実行犯の夫だけが起訴されている。傷害罪(刑法204条)の上限は懲役15年(平成16年改正前は10年)。さて量刑はいくらになると思う?とゼミ生に問うた。

一番多かった答えが「15年」。最高刑である。根元から切られたので,被害者はもはや小用も足せない。激痛だという(陰嚢は残っているので性欲はあるが,処理できない)。文字通り生き地獄であろうと思う。殺人より悪いというのがゼミ生の意見だし,被告人としても一瞬の死よりもなお激しい苦痛を狙ったのだと思う。15年でも軽すぎるという意見もむべなるかな。だがこの事件,実は少し前に弁護士間で話していたのだが,執行猶予付きだという元検事までいた。まさか実刑にはなるでしょうと私は言ったが,おそらくは3年から,重くて5年であろうと思う。なぜならば,恋人の5歳の連れ子を虐待した挙げ句最後は布団巻きにして脳死状態にさせた男の事件を扱ったことがあるが,まさに殺人より悪いこの傷害事件ですら懲役5年だったことを知っているからである。一生脳死状態でベッドに横たわっただけの人生に比べれば,この事件の被害は大したことはないでしょう,と言うと,一同等しく驚いていた。そう,量刑感覚は一般人には分からない。分かるはずがない。

日本の裁判員裁判の特徴は,事実認定と量刑を裁判官と共に担うことである。それが裁判員に出来るのか?といえば出来ない。当たり前だ。だから裁判所では量刑基準を作り,それを裁判員に示して誘導するようにしている。片や英米の陪審においては,事実認定は陪審の専権だが量刑は裁判官の仕事である(というか法定刑に日本ほどの幅がない)。裁判は一審のみ(控訴が出来るのは裁判官の説示に誤りがあった時などに限定される)。素人のみの評議だから,有罪か無罪か,その結論に至る理由も記されず,控訴も出来ないのである。大陸系の参審制は裁判官と参審が共に事実認定を行うが,量刑はやはり裁判官が行う。

常識をもった素人でも,やれるのは事実認定のみである。しかしそうなると,日本では検察がもともと証拠十分で有罪が取れるものしか起訴しないので,裁判員がやることはほとんど限られてしまう。要するに,裁判員制度ってもともと日本の制度に馴染まないのではないですか? 裁判官が常識がないから素人の感覚を採り入れるというのがそもそもの導入議論にもあったけれど,素人のほうが裁判官より常識があるということですか?それよりもすべきことは裁判官により常識をつけるというか,常識のある人を任用するべきではないのですか? 議員時代,裁判員裁判導入に強く反対した私としては,やはりそう思わざるをえない昨今である。

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