イスラム国人質事件に思うこと

難しい問題で、頭の整理が未だよく出来ずにいる。ただ、分かっていることはいくつかある。

一つは、「イスラム国」は国というので紛らわしいが、イスラム教スンニ派の過激派組織であって、未だ国際的に国家として承認はされていないものの、土地の基盤を持ち資金も備え相当程度組織化されているということ。二つには、戦闘と無関係の民間人を殺害したり(アメリカによる東京大空襲や原爆投下は当然ながら違法である)、また人質にして何かを要求してくることも違法だということ。三つには、だから正当な国家であれば、決してそうした違法に屈してはならないということである。

もちろん後藤さんの救出は心から願っている。特に後藤さんは戦闘地域で悲惨な目に遭っている子供らを救うため懸命に尽くしていた人だと聞くので、よけいにそう思う(母親には正直違和感を拭えないが、それは後藤さんとは別のことである)。だが、だからといって身代金の要求に応じるようなことがあれば、どうなるだろうか。以後味を占めて、同じような事件があちこちで起こるようになるはずだ。だから予防的見地からもまた、テロ集団によるいかなる違法な要求にも屈してはならない。

身代金と書いた。だがよく知られているように、彼らは当初の要求を変更し、ヨルダンに死刑囚として拘束されている者との引き替えに後藤さんを引き渡すとしてきた。仮に、これが日本に死刑囚として拘束されている者との引き替えであれば、日本政府は応じるかもしれない。と思うのはかつて日本赤軍による航空機乗っ取り事件の際、日本はその要求通り、拘束中の赤軍派メンバーを「超法規的措置」として釈放した過去があるからである(拙稿にも引用した)。日本では人命は何よりも尊く、法治国家ではそんな措置は許されないという強硬論(正論?)は当時出なかった(たぶん今回だって出ないだろう)。

そんな日本でも、である。仮に外国人が無法集団の人質になった、引き替えに日本での死刑囚との交換を要求されたとした場合、飲めるだろうか。まさか、である。日本の法制度の下で死刑になった者を、外国人を救うために釈放するのはどんな超法規的措置を駆使しても、できない相談である。ヨルダンが応じないのは当然だ。

しかしなぜイスラム国は、一見無関係のヨルダンに矛先を向けたのだろうか。そこには深い背景事情があるとされる。ヨルダンは、アメリカとの関係が深く、アメリカ主導による有志国連合に参加、昨年12月末イスラム国に空爆作戦を仕掛けた。その際、有力部族の出身である若いパイロットが捕虜になった。もともとヨルダンはイスラム国と同様スンニ派であり、国内でも有志国連合参加には反対が強かったという。ヨルダンは、当該死刑囚と後藤さんではなく、このパイロットとの引き替えを要求し、交渉は膠着状態に陥っているというのである。国の威信をかけて、ヨルダンが取り戻すべきは自国民であり、外国人ではない。

中近東は宗教的に長い歴史を持ち、複雑な地域である。ユダヤ教とイスラム教の対立、イスラム教の中でもスンニ派とシーア派の対立、そしてイスラエルの建国及び油田利権を巡る欧米列強の複雑な関係性。そんな中ひとり日本は地理的にも遠く宗教対立にも利権騒動にも無縁であることから、どの国にも国民にも歓迎されていたと思われる。ところがアメリカの「化学兵器がある」との嘘の喧伝によってイラク戦争に参加し(もちろん戦闘には加わってはいないが)、今回も無配慮にイスラエル寄りの立場を鮮明にし、また対イスラム国支援のために2億ドルを拠出すると発表したことにより、日本も敵とみなされ、直ちに同額の身代金要求を招いたと思われる。折しもODAの方針を変えて、他国軍の援助も可能になるという。どんどん色に染まっている。無色透明な平和国家日本は、それこそ国の威信をかけて死守しなければならないはずなのだ。

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