国会スタート、検察不祥事公判

 早くも経済産業大臣が更迭、政治家以前の人間レベルでの失格発言で、である。国際報道もされて国の信用がさらに傷ついたが、もはや怒りも湧かない。こんな人が政治家、こんな人しかいないのだ……。対小沢、党内融和のみを目論んだ人事は、適材適所どころか、はなから素人内閣といってよかった。あまり注目されていないようだが、野田内閣は党の政務調査会で通過した法案のみを国会に挙げるとして、党重視の姿勢を鮮明にしている。自民党がかつて長い間、党の事前審査を経た法案のみを上げたのと同様の形であり、主軸は党に置かれ、国会の形骸化、族議員の暗躍の元ともなるのだが。

 それにしても野党がまたまた「任命責任を問う」とばかり、声高に主張しているのが苦々しい。政策で真っ正面から切り込んでいけば、揚げ足など取らなくても素人内閣はすぐに崩壊するのに、実は政策論争をする力がないのだと、野党は自ら示しているのだろうか。となると解散・総選挙になって、政権を奪回したとしても同じことが繰り返されるだけである。もともと政権交替は、自民党が国民にノーを突きつけられたからなのだ。その厳粛な事実を反省もせず、ただ相手を非難しているようでは、誰も信用しない。

 この状況では政権がまた自民党に戻ったとしても、また同じことが繰り返される。二大政党制の下ではありうることだが、より良い政策ではなく相手へのノーから仕方なく選ばれるのでは、ますます国力が落ちていくことだけは確実である。既成の政治にすっかり諦め切った国民は、強力に引っ張ってくれるヒーローを待ち望んでいる。ヒトラーが出てくる土壌、たぶんあるのだろうなと思う。

 さて、前代未聞の検察不祥事。特捜部長・副部長の「犯人隠避」公判が昨日始まった。前に発表された検察の検証ペーパーを一読したが、原因を当の検事や特捜部長の特異な人格に帰していて、落胆した。そういう人間を重要ポストに配置した組織の責任についても、検察の根元的な問題も不検証のままである。実際に証拠物の偽造まではしないであろうにしろ、供述の偽造(上に言われるがままに無理矢理「絵を描いた」供述を取らされる)は間違いなくある。密室での強引な取り調べが国家国民の正義であるうちはまだ方向性までは見失わないだろうが、組織防衛のため、自らの出世のためとなれば、どういう方向にでも行ってしまう。

 地検特捜部が存在しうるため、そして自らが認められて出世するためには必ず事件を上げ、供述を取らなければならない。事件も被疑者もただの目的となり、その人格も人生も家族も将来も一顧だにされないこととなる。組織防衛のためにこの2人を有罪にしなければならない検察と無罪を取りたい被告人。この事件を生み出した背景こそが真の事件である。日付という客観的証拠さえないがしろにして(偽造以前に報告書はあり、上が気づかなかったほうがおかしい)がむしゃらに現職局長の有罪を取ろうとした事実、元検事の偽造が分かってからも公訴提起を取り消さず、無罪求刑もせず、裁判所の無罪判決まで待っていた事実。どの一つを取っても「公益の代表者」である検察に許されてはならないことである。

 何のための正義か。誰のための政治か。政治不信の中、最後の砦とされた検察まで不信の対象となり、真の被害者は国家国民である。根本的な指針を見失うことが日本が漂流している真の原因なのではないだろうか。

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