大の里関、横綱昇進おめでとうございます。

 夏場所(5月)も初日(11日)及び12日目(23日)に観戦することができた。チケットを取るのは至難の業なので、下さる方があって、本当に有り難い。外人が多いし、とにかく毎度のことながら全館熱気に溢れている。テレビで見ていては体のぶつかり合いの音がなく迫力が全く違う。野球やサッカーやラグビーなど生で観戦したことはあるが、実戦とテレビ観戦がここまで違うスポーツは他にないだろうと思う。

 夏場所の注目はなんといっても大の里の優勝、そして綱取りだった。大阪場所(3月)で大関として初優勝(12勝)したので、連続優勝すれば文句なく横綱昇進となる。一方、豊昇龍は初場所で大関として初優勝し(12勝)、昨年11月九州場所では13勝で準優勝していたので、横綱に昇進していた。改めて、13勝で優勝ではなく、準優勝?と驚いてネットで調べたら、この場所は琴櫻が14勝で優勝したのである!(こちらは大関としてどころか幕内初優勝であった)それをすっかり忘れていたほど、以後綱取りを注目された琴櫻はさっぱりである。話は戻して、豊昇龍の横綱昇進には時期尚早との見方も強かった。私もその一人である。なぜならばその前の9月場所で彼は8勝しかしていないからである。すなわち3場所の合計勝利数33勝。相撲通ならば知っているが、これは大関昇進の目安であり、横綱昇進の目安では決してありえない。横綱には断トツの強さが求められる。

 豊昇龍がなぜ昨年11月場所で飛躍したかといえば、取り口を変えたからである。彼は(叔父の朝青龍と同様に)身体能力が極めて高く、土俵際での投げが決まって逆転勝利となることが多かった。この取り口は怪我に繋がりやすいうえ、そもそも相撲という競技は、常に前に、前に、出ていかねばならないのである。引きや叩きはダメである(鶴竜にこれが多かった)。取り口を変え、豊昇龍は一気に伸びた。だがまだ2場所である。もう1場所は少なくとも状態を見なければならないと思っていたが、情けないことに、横綱審議会では誰一人異論を挟まず、あっという間に豊昇龍の横綱昇進が決まった。なぜか。協会が10月のロンドン公演を控えて、早急に横綱を作りたかったからである。照ノ富士は引退済みで横綱不在では、土俵入りの行事もできない(しかし横綱審議会というのは協会の言うがままなのだなあ…)。

 多くが憂慮したとおり、豊昇龍は横綱昇進後の3月場所、平幕に黒星を重ね、途中休場した。続く5月は背水の陣で臨んだはずである。ところが平幕に二つ星を落とし、私が観戦した12日目は霧島に負けて3敗となり、場内にため息が充満した。横綱が2敗で追走すれば優勝は土曜に持ち越されるが、これでは13日目(金曜)に決まってしまう。そしてその通りとなった。大の里は14勝。千秋楽結びの一番は11勝横綱対14勝大の里。大の里は全勝優勝を賭ける。対する横綱は綱の意地を賭ける。見ているほうもヒリヒリする(テレビでもそうなのだから実観戦だったらとても平静ではいられない)。結果は横綱が上手捻りというあまり聞かない決まり手で勝った。大の里は右を差したが左の上手を取れず(左手が遊んでいる…)このままでは負けると思った。実際、大の里は豊昇龍との合口が悪く1勝6敗で、完全に劣勢なのである。大の里は素晴らしい体格で出足の圧倒的な馬力で勝つ取り口である。る。これまでは出足を止められたときにすぐに引いたりして負けていたのだが、相手にそうはさせないほど出足の圧力が勝るようになった。だが、豊昇龍戦で大の里の弱点が改めて明らかになった。四つ相撲が取れるのか? 実は琴櫻も四つ相撲が未熟である。横綱には力だけではない技術が要る。四つの完成形は照ノ富士である(朝乃山は一度も勝ったことがない)。

 稀勢の里以来7年ぶりの日本人横綱大の里への期待は大きい。2年前の夏場所に初めて土俵に上がって、その2年後には優勝4回を重ねて横綱昇進を決めるなど、記録更新もよいところである。学生出身力士は幕内にも非常に多いが、大関になった力士はいても横綱になった力士はこれまで輪島ひとりである。優勝14回。大の里にはこの記録は超えてほしいと願っている。ただ、心配もいくつかある。体重が増えすぎては膝に負担がかかる。192センチで2年前は170キロ台だったが、今は190キロ台である(同じ身長で大谷は100キロだし、白鵬は150キロ台ではなかったか)。それと不祥事。昨今はSNSなどであっという間にいろいろなことが拡散する。横綱には品格が求められる。今月ようやく25歳の大の里には辛いだろうが(豊昇龍は一つ上の26歳)、身を処していくことが求められる。良きメンターが必要である。

 大関が琴櫻ひとりになった。大相撲に横綱は必須ではないが大関は2人必須である。故に来場所は大の里が「横綱大関」ということになる。琴櫻にはもともと必勝の型がなく負けない相撲でしかないのだが、今年に入ってから勝ち越しがやっとの状態である(どこか怪我でもしているのか?)。早く新大関が欲しいが、三役で直近3場所33勝を満たすのはなかなかハードルが高く、どの力士も足踏み状態が続いている。それと、白鵬が退職願を出し、別団体を立ち上げるという。協会が追い出したように感じるのは私だけではないだろう。9日に記者会見をするというので、それを待ちたいと思う。

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春の叙勲で「旭日中綬章」を受章しました。

 このところブログをアップしていないことには気づいていたが、直前がなんと4月半ばであった。実に1ヶ月半。今日は6月初めての出勤日である。

 昨年末から動きはあり、この春の叙勲対象になっていることは分かっていた(3月に叙勲対象年齢の70歳になるので。4月生まれであれば秋の叙勲対象になるはず)。詳細な履歴書が送られてきて、公務のみ書き足してくれとのこと、弁護士については「平成10年5月弁護士登録」の一言しかないのに、かえってびっくりした。あとは叙勲のランクだが、4月になって内閣府叙勲局から連絡があり、予想通り旭日中綬章(旧勲3等)とのこと。もし参院議員を2期やれれば副大臣(あるいは参院委員長)になり、もう1等上の重光章を頂けたと思うが、それはタラレバでしかなく、誰もが貰えるわけではない勲章を頂けること自体、非常に有り難いといわねばならない。

 参院事務局からは5月20日当日、皇居で天皇陛下に対する「御礼言上」を私が代表して述べる旨依頼され、引き受けていた。言上文は当日宮内庁から頂けるので読み上げればよいという(案文自体は事前にメール添付で貰っていた)。当日は自宅で色留袖を着て、タクシーをよんで総理官邸に出かけた。その日は32度まで気温が上がり、袷の着物だし、とにかく暑かった。総理官邸では私が筆頭で内閣府副大臣から賞状と勲章を授与され、あと記念撮影をしてマイクロバスで皇居に参内した。バスの中で待つこと20分。小さなハンドバッグ以外は携行できないし、皇居内ではトイレに行けないと言われ、お茶を飲む量に気を遣った。そして豊明殿に。皇居内で一番大きな広間(280坪)であり、国会議員時代何度か来たことがある。そこにびっしり椅子が並べられている。消防庁など褒章受章者も同席とのこと、配偶者も受章者とほぼ同数いるので、全部で300席は優にあっただろう(あるいはもっとかも?)。

 私の席は多数の椅子席を後ろに、ひとり前にぽつんと置かれている。「代表の方はあちらに」。最前列の真ん中に座るのだとばかり思っていたので、えっ、あんな所に?!とちょっと驚いた。その前の授賞式が遅れているとのこと、結局そこで15分は待つことになった。冷房が効いているし空気は乾燥しているし、御礼言上を読み上げる際に声が掠れないだろうか、ひたすら心配だった。おごそかに太鼓が鳴り、ようやく陛下が左側扉から入ってこられた。一同起立、礼。「代表の方以外はご着席下さい」。私はその場で礼をし、封筒から御礼言上文を取り出し、読み上げた。ゆっくり、はっきりと(マイクはない。陛下も使わないのでと)。礼。陛下がモーニング内ポケットから答礼文を取り出し、読み上げられた。「これまでのご功績が…どうか体に気をつけて下さい」。終わって壇上から降りて来られ、私に直接話かけてこられた。「国会議員をされていたのですよね」(御礼言上の最後に自分の名前は決して言わない。経歴など陛下はすでに把握済みなのである)。

 実は今を遡る22年前、厚労大臣政務官のときに東宮御所に上がったことがある。その頃はほぼ毎日アルマーニのスーツを着ていた。障がい者の技能オリンピック(たしかインドで開催されたと思う)に選手を派遣することへのご挨拶である。本当は副大臣が行くはずだったのに当日急遽行けないとのこと、政務官である私にお鉢が回ってきたのだ。このときの挨拶文は「本大会は00年に00で始まり、これまで0か国で開催され、今回日本は00人を派遣する、分野は00、00…」といった細かい内容であり、暗記はしたものの大変緊張した。皇太子は私の前でにこやかに見守って下さった。当初欠席予定の雅子妃は急遽出席されるとのこと(元女性検事との経歴に興味を持たれたのではないだろうか)、お支度に20分ほど待って下さいと言われて、待合室で緊張していたのを思い出す。派遣者の代表者ともどもお茶とお菓子を振る舞われ、退出時、深々とお辞儀をした私の上に雅子妃の「大会のご成功をお祈り申し上げます」との優雅な声が響いた。その後長年にわたり、「帯状疱疹での不調により」ご公務欠席が続いたので、あのとき雅子妃にお会いできたのは奇跡のようなことであった(なお、同席した厚生労働省局長からきちんと挨拶文を空で言えたことを褒めて頂いた(笑))。

 今回の叙勲は4月22日閣議決定、4月29日に新聞に掲載された。それから5月20日まではとにかく長くて、御礼言上を述べる私としては、体調を壊さないように、睡眠不足にならないように、喉の調子が悪くならないように、と飲むのもできるだけ遠慮していた。終わってとにかくほっとした(その後27日には弁護士会での表彰があった)。いろいろな方から祝電やお花その他が送られてきて、感謝している。できるだけ自筆でお礼状を出した(とても親しい人の場合はメールで済ませているが)。やはり皇室の権威はすごいものだと思う。なにせ世界で一番由緒ある家なのである。日本の元首は天皇であり、だからこそ世界でも一目置かれている。長く執務する大統領であればいざ知らず、ころころ替わる首相が元首ではこうはいかない。皇位継承問題は日本のあり方の根本でもある。皇統は男系でなければならず、一時の女性であればともかく(歴史上中継ぎの女性天皇は何人も存在した)、女系は絶対ダメと言う人は多い。もちろんヨーロッパの王室を見習う必要は全くなく、もし日本が男系を貫けるのであればそれでよいと思うが、そうもいってはいられない現実であるのも事実であろうと思う。

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『何もしなかった兄が、今更母の遺産を要求してきて…』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2025年6月号

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『大嫌いな元婿に、私の遺産を絶対に使わせたくありません。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2025年5月号

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『検事15年、国会議員6年、そして弁護士20年余』(六甲アルムナイ・エッセー)

凌霜445号所収(神戸大学凌霜会)

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