『亡き母の相続手続きで、異父姉の存在が判明しました。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2026年2月号

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国内外でいろいろと起こります…。

 1月3日、アメリカが突如ベネズエラに特殊部隊を侵攻させ、マドゥロ大統領夫妻をアメリカに拉致するという、前代未聞の事件が起こった。大統領らに対してはアメリカは麻薬戦争を戦っていると称して、すでに多額の懸賞金を掛けていたのだが、彼らを誰かがアメリカの主権内に連れてきたのであればともかく、ベネズエラ国の主権内に自ら踏み込んで拉致するなど、それは立派な犯罪であり、およそ法治国家としては考えられないことである。

 大統領夫妻は、すでに麻薬関連の複数の罪で起訴済みであったらしく(しかし、妻も共犯で共に被告人なのか?)、すぐにニューヨークで公判が開かれ、両者ともに罪状を否認したという。 陪審裁判といっても、我々に馴染みのある小陪審(通常12人の陪審員で、有罪無罪を決める裁判)ではなく大陪審(陪審員は20人以上)で、起訴に正当な理由があるかどうかを決める、いわば捜査のような裁判であるとのこと。ここらへんは日本と法制度が全く異なるので、どうなっているのか分からない。次回公判は3月。大陪審は非公開なので、裁判の映像は流れていない。この間被告人として、大統領夫妻は拘置所にいるのだろうか? ベネズエラでは暫定大統領として、女性の副大統領が就任した(昨年ノーベル平和賞を受賞したベネズエラの野党指導者も女性である)。

 トランプは作戦が大成功だと自画自賛した。たしかにその軍事力が世界随一であることは認めるが、しかし、アメリカ側死傷者はゼロであるものの、ベネズエラ側では70人だかが犠牲になったのだ(その半数はキューバ人)。しかも、麻薬戦争に対する防衛手段といった法的主張?はすぐに鳴りを潜め、石油の話が主になった。ベネズエラが世界一の埋蔵量を誇る産油国でなければ、こうした強硬手段が執られることはなかったのではないか。トランプはコロンビア、メキシコ、そしてキューバもターゲットにしている。西半球はアメリカのものだとの主張は、かつてヨーロッパの戦争には介入しないとするモンロー主義に擬して、ドンロー主義と言われるようである。対して東半球はヨーロッパとアジアに任せるということかもしれないが、イランでの暴動には積極的に口を出してきているところをみると(とにかく何でも口を挟みたい性分である)、重点は置かないよという程度の意味なのかもしれない。カナダはアメリカの51番目の州であると失礼過ぎることを言っていたが、デンマーク領のグリーンランドを購入する話も俄に熱を帯びてきた。この話に乗らなければ軍事攻撃も辞さないなど、脅し以外の何ものでもない。まさに力こそ正義。原住民から無法にすべてを取り上げていった西部劇を見る思いがする。

 考えてみれば、我々は平和が当たり前で、ロシアのウクライナ戦争が来月で5年になることに目を見張っているが、人類の長い歴史で戦争がなかったのは、第二次世界大戦後から今日までの80年ほどでしかない。日本についていえばその前には徳川幕府下の300年近くが平和だっただけであろう。世界各地では、内戦や宗教戦争などはどこにでもあって、平和で安全な暮らしなど知らない人たちも大勢いるのである。アメリカの独善的行動は、平和ボケしてきた頭に冷水を浴びせてくれた。自ら他国の主権を堂々と侵害するアメリカにとって、中国の一部であると国際的に認定されている台湾(日本もそう認めている)に中国が軍事行動をしかけてきたからといって、どういう理由で介入できるであろうか。日本の同盟国アメリカが軍事を発動させなければ、日本としては集団的自衛権を行使することもできないのである(高市首相発言の前提が崩れることになる)。

 さて国内。まさかとは思っていたが、23日召集通常国会の冒頭に高市首相は解散に打って出るという。支持率が高いとはいえ(しかし、78%なんてありえない!)、それは首相個人の、あるいは内閣支持率であって、自民党支持率が高いわけではない。もともと小選挙区は個々の候補者の人気次第なのである。おまけに公明党の選挙協力はもはやないのだ(その票は野党に流れるので差は二倍になる)。政治資金問題はずっと尾を引いていて、前回公認を得られなかったり比例を外されたりした議員は逆風のままであろう。自民党候補者の空いた選挙区も数あるが、この短期間に誰かを割り振るのか(不戦敗にするわけにはいくまい)。一大ギャンブルをして(去年総選挙をしたばかりなのに、また多額の税金を使うのだ)、自民党の単独過半数を期待しているのだろうが、そんなにうまくはいかないのではないか。2月8日に選挙だとして、特別国会を召集して予算審議に移る。ここでも連立を組まないといけないだろうし、参議院は過半数割れしたままである。何をどう考えても予算の年度内成立は無理である。物価高に喘いでいる国民は蚊帳の外で、自分たちの信念が絶対なのか。それはバランスを欠き、正義ではないと思える。そもそも厳寒での選挙は北国はもちろん、どこであれ高齢者に酷である。ああ嫌だなあと単純に思っている人も多いのではないだろうか。

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『家事の偏りと夫婦仲の悪化で、離婚と親権に悩んでいます。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2026年1月号

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中川優芽花さん、素晴らしいピアノ演奏でした!

 一昨日夜はモーツアルト協会例会(於東京文化会館小ホール)で、新進気鋭の演奏を楽しんだ。ドイツで生まれ育った日本人ピアニストは未だ24歳。4年前、クララ・ハスキル国際ピアノコンクールに優勝している(この栄えあるコンクールには名高い藤田真央さんも優勝している)。今年のショパンコンクールは第二次予選で落ちたが、ネットでの評価は極めて高い。一つ一つの音が非常に綺麗で、曲全体に気品がある。技術はもちろんだが、これは人柄というか人間力がなせる業であろう。それはひとり音楽だけではなく、芸術すべてに言えることである。

 当日のプログラムのモーツアルトソナタ4曲のうち3曲は初期の作品(K279~281)で、1曲は最後の頃の作品(K570)だった。どれもどちらかというとマイナーな曲である。冒頭に有名な「きらきら星変奏曲」を持ってこられたが、最初の音を聞いただけで、普通のピアニストではないことが分かった(藤田真央さんも唯一無二の音を出される)。曲間の休みもほとんどなく、さらさらっと弾かれる。アンコールが「アダージョ」(K540──私の会員番号)、それで終わりかと思っていたら、さっと座って、2曲目はショパンの雨だれ前奏曲だ。ショパンコンクールの課題曲の一つであり、得意曲でもあるらしく、低音を響かせて、最後まで新鮮だった(この曲は同じフレーズが続くので、弾くのも飽きるし聞いても飽きることが多いのだが)。アンコール3曲目は、ラフマニノフの前奏曲ト短調だった。それまでとはまるで別人のように、力強い打鍵で、音をホール中に響き渡らせていた。ブラボー、鳴り止まず。ピアノ演奏はよく聞くが、これだけ感激する演奏はどのくらいぶりだろう。

 昨日は早く帰れたので、雨だれと前奏曲ト短調を弾いてみた。久々のショパンにラフマニノフ。中川さんのコンサート情報があればまた是非行ってみたいと思う。表情や姿勢にあまり出さずにどちらかというと淡々と弾かれるので、見ていても疲れない。あっという間に時間が経ち、ずっと聞いていたいと思わせてくれる。古いところではケンプ、ブレンデル、ピリスが好きだった。どの方も大御所であり(ピリスは存命)、人間性の滲み出る、深い演奏だった。ケンプは哲学的だったし、ブレンデルは詩を読み絵も描かれるというだけあって、魂に響く演奏だった(ことにベートーベンが秀逸。一番好きなソナタ31番をまた弾いてみたい)。

 話は全く違うのだが、サイコパスについての本を読んだ。その日本語名については何ら触れないまま話を進めていくのがなんとも奇異だった。サイコパスは割合的にかなりの人数がいて、凶悪犯はそのうちのごく一部に過ぎないという。それは確かにそうだろう。サイコパスの特徴はこれこれだと挙げていくが、しかし実際のところ、凶悪犯にならない、普通にそれなりに生きているサイコパスをあえて見分けるメリットはなんなのだろうか。サイコパスは『羊たちの沈黙』に代表される快楽殺人が究極の例で、日本での有名な犯罪者で言うと、大久保清、宮崎勤、宅間守、神戸サカキバラ、佐賀の15歳少女による同級生惨殺事件などいくつも挙げることができる。宮崎勤は裁判で3度も精神鑑定を実施され(それが故に一審に7年を要した。東京地検公判部の私の前任者が担当していた)たが、診断名は3つとも違い、もし統合失調症(当時は精神分裂病)だと裁判所が認定したならば限定責任能力となって死刑を免れただろうが、人格障害に留まったが故に死刑が宣告されてすでに執行済みである。神戸と佐賀は少年なので刑事事件にはならず、少年院送致に留まった。どちらも26歳まで収容を延ばされたがすでに釈放済みだ。サイコパスによる凶悪犯とは、要するに動機のない快楽殺人である。人間的情緒が生まれつき欠落しているので、反省など望むべくもなく(口ではそう言ったりするが、まさに口だけである)、更生のしようがない。

 サイコパスだと通常の人間よりも刑罰がむしろ重くなるとこの著者はいうが、それは違う。統合失調症(=精神分裂病)など精神病では責任能力が減じられることはあるが(究極には無責任能力となって無罪になることさえある)、サイコパスに代表されるパーソナリティ障害(=人格障害、精神病質)では責任能力に全く問題がないとされるだけである。ちなみにサイコパスは反社会的パーソナリティ障害あるいは情緒欠如型精神病質と言われるものである。彼らは了解不能の凶悪犯罪を実行し、刑罰は犯した罪に比例するので、被害者が多くなるほど、犯行態様が重大悲惨なほど、重くなるのは当たり前のことである。ヘンリー8世もサイコパスではなかったかと挙げていて、それはそうかもしれないと思うが、「6人の妻すべてに子供を設け、妻以外の女性にもたくさんの子供がいた」とあるのは、完全な誤りである。子供が産まれたのは最初の妻キャサリン(女児1人。後のメアリー1世)と2人目の妻アン・ブーリン(女児1人。後のエリザベス1世)、3人目の妻ジェーン・シーモア(男児1人。後のエドワード6世。病弱)のみであり、男児の後継者を欲しいが故に彼は結婚を繰り返すことになったのである。婚外子としてもよく知られていたのは男児1人だけで、それも成人しないうちに亡くなっている。1人目は離婚(離婚を認めないローマカトリック教会と決別し、イギリス国教会を創設する原因となった)、3人目は死別、4人目はすぐに離別、6人目は自分が先に死んだのであり、斬首したのは2人目と5人目の妻だけである(よって、「うち2人を斬首した」の記載は正しい)。

 自分がよく知る所の誤りはすぐに分かり、明らかな誤りを堂々と書かれていると(活字にするときには、調べないですか?)全体にやっぱり信用性が減殺されてしまうのは否めない。

 

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『市塵(しじん)』(主人公新井白石、藤沢周平著)を読んで感じたこと

 シドッチというイタリア人宣教者が、布教のためにひとり九州の南端に密航してきた事件があった。耶蘇教は禁じられていたから長崎奉行所で処刑されてもよかったが、幕府の儒者新井白石が江戸まで連れて来させ、博識のシドッチを通して地理をはじめ世界の新たな知識を仕入れ、著作にした。その事件が書かれているというので手に取ったのだが、とても厚く、シドッチのことはごく少し含まれているだけであった。だが大変読み応えがあり、藤沢周平作に外れは殆どないことを改めて認識させられた。

 白石がそもそも仕えていたのは甲府藩主徳川綱豊である。綱豊の父親は3代将軍家光の次男・綱重である。綱豊が後に6代将軍家宣になるのだが、これがかなりの偶然の産物なのだと知った。家柄は基本的に直系で繋がっていくのが本筋である。傍系に行くのは早世したか後継に恵まれなかったか。江戸幕府を創設した傑物・家康は1534年に生まれて1616年に亡くなった。享年73歳は当時とすれば長寿である。子供に恵まれず苦労した秀吉を反面教師として、子孫を残すべく、とにかく丈夫な女に手をつけたと言われる。結果、男児10人に恵まれた。後継の秀忠は1579年生まれ、1632年死亡(享年52歳)。その正室お江与の方は淀君の妹で、7人の子供を生んでいる。うち男児2人。長男は家光だが、秀忠夫妻が次男忠長を偏愛し後継者にしようとしていると危惧した家光の乳母春日局は、家康に直訴し、長幼の順が守られることになったのは有名な話である。家光は1604年生まれ、1651年死亡、享年46歳。ちなみに忠長は乱行の故か?28歳で蟄居を命じられて亡くなっている。

 家光には男児が3人いた。母親はそれぞれ違う(江戸幕府15人の将軍中、正室による跡継は家光だけである)。長男家綱は1641年生まれ、つまり父親の逝去を受けて第4代将軍になったときはわずかに10歳だったのだ。それでも将軍が務まるというのはそれだけ幕藩体制がしっかりしていたからに他ならない。1680年に亡くなったが(享年38歳)、子供はいなかった。ここで直系は絶え、将軍職は家綱の弟に行くことになる。順当であれば家光次男・綱重(1644年生まれ)だが、1678年に亡くなっている。その息子綱豊は1662年生まれで当時18歳だったし、順番としてはそちらが正しいと主張する者もいたが、結局のところ、家光の3男綱吉が5代将軍となった。当時館林藩主、1646年生まれで34歳。後に悪名高き「生類憐れみの令」を発布したのは、とりもなおさず子供に恵まれなかったからである。側室はたくさんいたが、綱吉の子供を産んだのは、お伝の方のみ。男児は夭折、女児は成人して紀伊家に嫁がせ、綱吉はその子供を当てにしていたというが、子供を産まないまま27歳で亡くなった。万策尽き果て、綱吉は亡兄の息子綱豊を養子にすることを決意する。そして1709年、62歳で逝去し(それまで元気だったので毒殺などの噂も流れたらしい)、綱豊は47歳で第6代将軍家宣となる。間部詮房や白石の補佐の下、悪名高い生類憐れみの令を廃し、これからの善政を期待されていたのだが、1712年、つまり僅か3年の在位の後、50歳で逝去する。もともと病弱であったらしく、綱吉が今少し長生きしていれば、家宣の将軍職はなかったのである! 

 かように家光の子孫は、繁栄とは程遠かったことになる。家宣が亡くなったとき、存命の子供はひとり家継のみ。1709年生まれ、当時僅かに3歳である。まさかねえと思うが、それがそのまま将軍となり(間部詮房が抱っこしていたという)、生母月光院と家宣正室天英院との確執もこれあり、天下に名高い絵島生島事件が起きたのもこの時代である。家継1716年逝去、6歳の短い人生であった。江戸幕府の創設は1603年とされていることからすると、家康の直系ないしその血筋は100年余に過ぎなかったことになる。その後は、家康が秀忠以下の男児3人を一代目として創設した御三家のうち紀伊家から、吉宗が第8代将軍として天下の指揮を執ることになる。吉宗は1684年に生まれて1751年まで生きた。間部詮房や白石が幕府の中心にいて栄華を誇ったのは、家宣・家継時代のわずかに6年に過ぎなかったのである。

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