『家事の偏りと夫婦仲の悪化で、離婚と親権に悩んでいます。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2026年1月号

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中川優芽花さん、素晴らしいピアノ演奏でした!

 一昨日夜はモーツアルト協会例会(於東京文化会館小ホール)で、新進気鋭の演奏を楽しんだ。ドイツで生まれ育った日本人ピアニストは未だ24歳。4年前、クララ・ハスキル国際ピアノコンクールに優勝している(この栄えあるコンクールには名高い藤田真央さんも優勝している)。今年のショパンコンクールは第二次予選で落ちたが、ネットでの評価は極めて高い。一つ一つの音が非常に綺麗で、曲全体に気品がある。技術はもちろんだが、これは人柄というか人間力がなせる業であろう。それはひとり音楽だけではなく、芸術すべてに言えることである。

 当日のプログラムのモーツアルトソナタ4曲のうち3曲は初期の作品(K279~281)で、1曲は最後の頃の作品(K570)だった。どれもどちらかというとマイナーな曲である。冒頭に有名な「きらきら星変奏曲」を持ってこられたが、最初の音を聞いただけで、普通のピアニストではないことが分かった(藤田真央さんも唯一無二の音を出される)。曲間の休みもほとんどなく、さらさらっと弾かれる。アンコールが「アダージョ」(K540──私の会員番号)、それで終わりかと思っていたら、さっと座って、2曲目はショパンの雨だれ前奏曲だ。ショパンコンクールの課題曲の一つであり、得意曲でもあるらしく、低音を響かせて、最後まで新鮮だった(この曲は同じフレーズが続くので、弾くのも飽きるし聞いても飽きることが多いのだが)。アンコール3曲目は、ラフマニノフの前奏曲ト短調だった。それまでとはまるで別人のように、力強い打鍵で、音をホール中に響き渡らせていた。ブラボー、鳴り止まず。ピアノ演奏はよく聞くが、これだけ感激する演奏はどのくらいぶりだろう。

 昨日は早く帰れたので、雨だれと前奏曲ト短調を弾いてみた。久々のショパンにラフマニノフ。中川さんのコンサート情報があればまた是非行ってみたいと思う。表情や姿勢にあまり出さずにどちらかというと淡々と弾かれるので、見ていても疲れない。あっという間に時間が経ち、ずっと聞いていたいと思わせてくれる。古いところではケンプ、ブレンデル、ピリスが好きだった。どの方も大御所であり(ピリスは存命)、人間性の滲み出る、深い演奏だった。ケンプは哲学的だったし、ブレンデルは詩を読み絵も描かれるというだけあって、魂に響く演奏だった(ことにベートーベンが秀逸。一番好きなソナタ31番をまた弾いてみたい)。

 話は全く違うのだが、サイコパスについての本を読んだ。その日本語名については何ら触れないまま話を進めていくのがなんとも奇異だった。サイコパスは割合的にかなりの人数がいて、凶悪犯はそのうちのごく一部に過ぎないという。それは確かにそうだろう。サイコパスの特徴はこれこれだと挙げていくが、しかし実際のところ、凶悪犯にならない、普通にそれなりに生きているサイコパスをあえて見分けるメリットはなんなのだろうか。サイコパスは『羊たちの沈黙』に代表される快楽殺人が究極の例で、日本での有名な犯罪者で言うと、大久保清、宮崎勤、宅間守、神戸サカキバラ、佐賀の15歳少女による同級生惨殺事件などいくつも挙げることができる。宮崎勤は裁判で3度も精神鑑定を実施され(それが故に一審に7年を要した。東京地検公判部の私の前任者が担当していた)たが、診断名は3つとも違い、もし統合失調症(当時は精神分裂病)だと裁判所が認定したならば限定責任能力となって死刑を免れただろうが、人格障害に留まったが故に死刑が宣告されてすでに執行済みである。神戸と佐賀は少年なので刑事事件にはならず、少年院送致に留まった。どちらも26歳まで収容を延ばされたがすでに釈放済みだ。サイコパスによる凶悪犯とは、要するに動機のない快楽殺人である。人間的情緒が生まれつき欠落しているので、反省など望むべくもなく(口ではそう言ったりするが、まさに口だけである)、更生のしようがない。

 サイコパスだと通常の人間よりも刑罰がむしろ重くなるとこの著者はいうが、それは違う。統合失調症(=精神分裂病)など精神病では責任能力が減じられることはあるが(究極には無責任能力となって無罪になることさえある)、サイコパスに代表されるパーソナリティ障害(=人格障害、精神病質)では責任能力に全く問題がないとされるだけである。ちなみにサイコパスは反社会的パーソナリティ障害あるいは情緒欠如型精神病質と言われるものである。彼らは了解不能の凶悪犯罪を実行し、刑罰は犯した罪に比例するので、被害者が多くなるほど、犯行態様が重大悲惨なほど、重くなるのは当たり前のことである。ヘンリー8世もサイコパスではなかったかと挙げていて、それはそうかもしれないと思うが、「6人の妻すべてに子供を設け、妻以外の女性にもたくさんの子供がいた」とあるのは、完全な誤りである。子供が産まれたのは最初の妻キャサリン(女児1人。後のメアリー1世)と2人目の妻アン・ブーリン(女児1人。後のエリザベス1世)、3人目の妻ジェーン・シーモア(男児1人。後のエドワード6世。病弱)のみであり、男児の後継者を欲しいが故に彼は結婚を繰り返すことになったのである。婚外子としてもよく知られていたのは男児1人だけで、それも成人しないうちに亡くなっている。1人目は離婚(離婚を認めないローマカトリック教会と決別し、イギリス国教会を創設する原因となった)、3人目は死別、4人目はすぐに離別、6人目は自分が先に死んだのであり、斬首したのは2人目と5人目の妻だけである(よって、「うち2人を斬首した」の記載は正しい)。

 自分がよく知る所の誤りはすぐに分かり、明らかな誤りを堂々と書かれていると(活字にするときには、調べないですか?)全体にやっぱり信用性が減殺されてしまうのは否めない。

 

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『市塵(しじん)』(主人公新井白石、藤沢周平著)を読んで感じたこと

 シドッチというイタリア人宣教者が、布教のためにひとり九州の南端に密航してきた事件があった。耶蘇教は禁じられていたから長崎奉行所で処刑されてもよかったが、幕府の儒者新井白石が江戸まで連れて来させ、博識のシドッチを通して地理をはじめ世界の新たな知識を仕入れ、著作にした。その事件が書かれているというので手に取ったのだが、とても厚く、シドッチのことはごく少し含まれているだけであった。だが大変読み応えがあり、藤沢周平作に外れは殆どないことを改めて認識させられた。

 白石がそもそも仕えていたのは甲府藩主徳川綱豊である。綱豊の父親は3代将軍家光の次男・綱重である。綱豊が後に6代将軍家宣になるのだが、これがかなりの偶然の産物なのだと知った。家柄は基本的に直系で繋がっていくのが本筋である。傍系に行くのは早世したか後継に恵まれなかったか。江戸幕府を創設した傑物・家康は1534年に生まれて1616年に亡くなった。享年73歳は当時とすれば長寿である。子供に恵まれず苦労した秀吉を反面教師として、子孫を残すべく、とにかく丈夫な女に手をつけたと言われる。結果、男児10人に恵まれた。後継の秀忠は1579年生まれ、1632年死亡(享年52歳)。その正室お江与の方は淀君の妹で、7人の子供を生んでいる。うち男児2人。長男は家光だが、秀忠夫妻が次男忠長を偏愛し後継者にしようとしていると危惧した家光の乳母春日局は、家康に直訴し、長幼の順が守られることになったのは有名な話である。家光は1604年生まれ、1651年死亡、享年46歳。ちなみに忠長は乱行の故か?28歳で蟄居を命じられて亡くなっている。

 家光には男児が3人いた。母親はそれぞれ違う(江戸幕府15人の将軍中、正室による跡継は家光だけである)。長男家綱は1641年生まれ、つまり父親の逝去を受けて第4代将軍になったときはわずかに10歳だったのだ。それでも将軍が務まるというのはそれだけ幕藩体制がしっかりしていたからに他ならない。1680年に亡くなったが(享年38歳)、子供はいなかった。ここで直系は絶え、将軍職は家綱の弟に行くことになる。順当であれば家光次男・綱重(1644年生まれ)だが、1678年に亡くなっている。その息子綱豊は1662年生まれで当時18歳だったし、順番としてはそちらが正しいと主張する者もいたが、結局のところ、家光の3男綱吉が5代将軍となった。当時館林藩主、1646年生まれで34歳。後に悪名高き「生類憐れみの令」を発布したのは、とりもなおさず子供に恵まれなかったからである。側室はたくさんいたが、綱吉の子供を産んだのは、お伝の方のみ。男児は夭折、女児は成人して紀伊家に嫁がせ、綱吉はその子供を当てにしていたというが、子供を産まないまま27歳で亡くなった。万策尽き果て、綱吉は亡兄の息子綱豊を養子にすることを決意する。そして1709年、62歳で逝去し(それまで元気だったので毒殺などの噂も流れたらしい)、綱豊は47歳で第6代将軍家宣となる。間部詮房や白石の補佐の下、悪名高い生類憐れみの令を廃し、これからの善政を期待されていたのだが、1712年、つまり僅か3年の在位の後、50歳で逝去する。もともと病弱であったらしく、綱吉が今少し長生きしていれば、家宣の将軍職はなかったのである! 

 かように家光の子孫は、繁栄とは程遠かったことになる。家宣が亡くなったとき、存命の子供はひとり家継のみ。1709年生まれ、当時僅かに3歳である。まさかねえと思うが、それがそのまま将軍となり(間部詮房が抱っこしていたという)、生母月光院と家宣正室天英院との確執もこれあり、天下に名高い絵島生島事件が起きたのもこの時代である。家継1716年逝去、6歳の短い人生であった。江戸幕府の創設は1603年とされていることからすると、家康の直系ないしその血筋は100年余に過ぎなかったことになる。その後は、家康が秀忠以下の男児3人を一代目として創設した御三家のうち紀伊家から、吉宗が第8代将軍として天下の指揮を執ることになる。吉宗は1684年に生まれて1751年まで生きた。間部詮房や白石が幕府の中心にいて栄華を誇ったのは、家宣・家継時代のわずかに6年に過ぎなかったのである。

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安青錦関の大躍進に思うこと

 九州場所は一度しか行ったことがない。最近は九州場所もチケットが取れなくなり、売り出し即日完売だったとか。ここは座布団が長座布団のため、飛ばない(笑)。九州出身の関取は、義ノ富士(草野)、正代、佐田の海(3人熊本)、平戸海(長崎)、美ノ海(沖縄)である。

 ウクライナ出身の安青錦関はまだ21歳。18歳で来日、安治川(関脇安美錦)部屋に入門後、一昨年9月に初土俵を踏んだ。勝ち越しを続け、今年3月の初入幕後は連続11勝を挙げ、7月場所には前頭筆頭(三役でも良かったが番付運がなかった)、9月場所小結、11月場所関脇に昇進して初めて12勝を挙げ、初優勝もものにした。大関昇進の一応の基準は三役で計33勝以上だが、安青錦関は計34勝を挙げ、しかも横綱・大関を破っての優勝なので、文句のない大関昇進である。これで来場所2横綱・2大関が揃う。ますます大相撲は盛況になることだろう。大変おめでたいことである。

 安青錦は7歳頃から柔道、レスリング、そして相撲に取り組んできた。ウクライナは相撲の人気が高く、たまたま見て、一瞬で勝負が決まるので面白いと思ったそうだ。15歳で世界ジュニア相撲大会に出場するため神戸に来て、そこで関西大学相撲部キャプテンの山中新太と知り合う。山中が「ハロー。相撲強いね、いくつ?」と聞いたのがきっかけだそうだ。その後SNSを通じて交流を持つ。ちなみにこの大会の優勝者は18歳の三田(今場所十両だったが大怪我をして休場中である)、安青錦は3位。2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が勃発し、18歳になれば男子は出国禁止(徴兵になる)となる。安青錦は山中にヘルプを求め、山中は神戸の自宅に引き取った。関西大学での練習も提供。昼間には日本語学校に通う。そして縁あって安治川部屋に入門が決まる。外国人力士は各部屋1人制限だが、外国人を取らない方針の部屋もあり、安治川親方もそうだったが、彼の真摯な目を見て、考えを変えたという。誰にでも好かれる真面目な性格であり、とにかく相撲に真剣に取り組んでいるのが見て取れる。わずか3年の滞在で、日本語能力も驚くほど高い。

 低さを貫く前傾姿勢は彼独自のもので、この姿勢で当たられると引くか叩くか、あるいは投げるしかないが、引かれても叩かれても強靱な足腰と背筋で決して崩れない。レスリングで築いてきたこともあるだろうが、レスリングをやっていた力士はことにヨーロッパだと多いので、天性のものであろう。加えて、脚を払ってひねり倒す「無双」といった技術も合わせ持ち(対琴櫻戦は中に潜って内無双で決めた)、とにかく心技体併せ持った本格派大関が誕生したのである。意外に体は柔軟ではなく、股割はできないし、四股も高く上がらない。故に怪我の恐れがあるとも指摘されるが、それは四股を地道に踏むなどの真摯な稽古でカバーしてもらいたいと思う。

 ウクライナは大鵬の父親の出身地である(白系ロシアにはウクライナやポーランドが多い)。大鵬の記録に迫るほど若いので、このまま順調にいけば昭和の大横綱に並べられる成績を残すかもしれない。大の里の怪我も心配だし、これまで一度も安青錦に勝ったことがない横綱豊昇龍と大関琴櫻も、なんとか攻略の糸口を掴んでほしい。若手といえば、期待の高かった熱海富士、伯桜鵬(共に伊勢ヶ浜部屋)が今一つぱっとしないし、王鵬(大鵬の孫)も同じくである。高校横綱から鳴り物入りで入ったのに低迷しているといった力士も数知れず。祖国の差し迫った危機を背に毎日緊迫して過ごす安青錦とは比べるほうがおかしいかもれないが、どうか皆が安青錦に倣って、これまで以上に真摯に稽古に取り組み、精進してほしいと願う。

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『兄の相続分を減らすため、養子縁組を考えています。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2025年12月号

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