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Vol.50 素晴らしかった小泉首相のスピーチ 2003.1.16(木) 記 

女性局・青年局合同大会(1.15) 10日に風邪を引き、翌日熱は下がったが、以後お腹の調子が悪かったりして不調だった。とにかく油断禁物だ。昨日は全国女性部代表者会議に続いて、女性局・青年局合同大会(於党本部。写真)。今日は党大会(於新高輪ホテル)。党女性局長としては年に一度の大行事を無事に終え、ひとまずほっとしている。

 党大会での小泉首相のスピーチは素晴らしかった。いわく、
 かつて皆が長寿を望んだ。それが達成されて、そうしたら満足か、違うだろう。かつて皆が物価が下がることを望んだ。今やそれが達成されて、そうしたら満足か、違うだろう。さように政治は難しい。日本国民はこれまであまたの国難を乗り越えてきた。それなのに今を乗り切れないはずはない。できないと言えば日本をここまで築いてきた先輩達に申し訳ない……。

 大きな拍手が起こった。まさにそのとおりなのだ。日本人に欠けているのは、ただ自信と、そして誇りである。

 昨年からのツンドク本、『「親日派」のための弁明』(キムワンソプ 草思社)を一読、目から鱗が落ちる思いがした。

 著者は63年生まれの韓国人。韓国・中国は国定教科書で徹底的な反日教育を施すから、著者も当然日本嫌いだったのが、95年以降のオーストラリア居住をきっかけに客観的な目を持つようになったという。

 すなわち、日本に支配される前の李氏朝鮮は国家としての体をなさず、清やロシアの属国だった。産業革命に続く列強の帝国主義時代、民衆や国は外国に売り渡してでも自分たちだけは生き残ろうとする王朝に対し、改革派は日本と組んで近代化を図る以外に救われる道はないと考えた。つまり日韓併合は韓国側の希望でもあり、正当な法的手続きを踏んでなされたものである。イギリスなど搾取・収奪のみの支配とは違い、日本は朝鮮をまさに自国領土の延長として、国家予算をあまた使い、インフラを押し進め、教育制度を打ち立てた。こうした事実は国際的に認知されているところなのに(実際アメリカの歴史教科書にはその旨の記載がある!)、韓国は歴史教科書を歪曲して国際的に恥をかいている。竹島の占領にしても、日本海の東海呼称問題にしてもそうだ。こうした妄信的な民族主義を捨てないかぎり、韓国は未成熟のままだ。靖国神社の首相参拝にいちいちケチをつけるのも不合理極まる。「戦犯」は対戦国の捉え方であり、日本にしてみれば単に愛国者にすぎない、そもそも対戦国(アメリカ)が文句を言わないのに、と。

 同じ時期、同じ統治をされた台湾が日本に感謝し、親日であるのに対し、韓国はずっと文句を言っている。その理由として私は、かつては自分のほうが先輩格だったのにとの思いがあるからだろうと考えていたが、訳者はあとがきの中で、韓国人があまりに日本人になりすぎ、アイデンティティを取り戻さねばならなくなったから、ともしている。著者は日韓を仲良くさせないというアメリカの戦略が絡んでいると推察している。

ともあれ、著者が言うとおり、あの当時すでに世界のほぼ全域は白人の支配下にあったのである。そんな中、明治維新後短期日にめざましい近代化を遂げえたのは日本人の教育水準が非常に高く、優秀であったればこそ。日露戦争の勝利は世界史の大事件であった。

 もしアジアに日本がなくてもアジアが白人の支配下になかったと言い切れる人が一体いるだろうか。そしてまた敗戦の廃墟から立ち直り、世界第二位の経済大国になったことが世界の奇跡でないなどと、一体誰が言うだろうか。我々こそが先人の努力を大いに誇りに思わねばならないはずなのだ。

 

Vol.49 年末から年始にかけて 2003.1.5(日) 記   

新年祝賀の儀(1.1) 12月28以降の9連休が今日で終わり。

 年末はほとんど家にいた。外出は、28日に諸々の雑用を済ませたのと、30日に久々映画に行ったのみ(「グレースと公爵」)。

 新年明けて、元旦は新年祝賀の儀参列のため皇居まで(写真)。3日は尾道まで日帰り(亀井静香新年互礼会出席)、そして今朝はTBS草野満代の「朝なま」に生出演。福島瑞穂と水島広子との女性議員トークである。

 ツンドク本をかなり読め、充実した休みだったと思う。この不況時ホームレスの人もいるのに、こんな暖かい所で好きな読書なんかして申し訳ない気もするが、でもとにかく勉強しなければ。主なところでは、
  初読『国民の芸術』(田中弘道著 産経新聞社)
    『口語訳古事記』(三浦佑之著 文芸春秋社)
    『歴史を裁く愚かさ』(西尾幹二著 PHP研究所)
  再読『国民の歴史』(西尾幹二著 産経新聞社)
    『<戦争責任>とは何か』(木佐芳男著 中公新書)
    『タテ社会の人間関係』(中根千枝著 講談社現代新書)

 読んでいる本をもってして、その人の関心・志向(あるいは知的レベルまで)は容易に窺える。私の場合もおそらくは一目瞭然なことだろう。

「新しい教科書を作る会」の西尾幹二氏の言にはかなりエキセントリック、バランス感覚を欠くところも見受けられるが、賛同するところも多い。様々な人の意見を聞くことで考えはより多角的となり、視野は広まっていく。前に信じ切っていたことが実は非常に一面的な見方だったことが分かり、恥ずかしくなることも多い。

 一つのことを勉強すればまた別のことが知りたくなり、およそ際限がないものだと思う。そろそろまとめようと思っているのだが。

 それにしても政治家は歴史に造詣が深くなければならないと、近頃いっそう思うようになった。「現在」は「過去」の延長線上にある。つまり未来もまた過去に大いに既定されているのだ。例えば、人にしてからがそうなのだ。罪を犯した「点」に至るまでの「線」、つまりその生育歴・人生を知らなければ真相の解明などできはしない。でなければ再犯も防げなければ更正もさせようがないのである。

 日本人はおしなべてあまり歴史を知らない。知るように教育されていないのだ。政治家とてまた同じ。だが、正しい歴史観をもたずして国家の指針を考える資格はないと私は心底そう思っている。

 

Vol.48 誇りある祖国を取り戻すために 2002.12.27(金) 記   

山形�サ�ハ�トべに花ホール(12.23) 今年も今日で御用納め。政治も経済も、また外交も様々なことがあった。
 私にとって今年最大の出来事はといえば、この春次の選挙に出る決意を固めたことだろうと思う。誇りある祖国を取り戻すため、微力ではあっても私にできることがあるのではないか、否、しなければならないと思ったのである。

 講演依頼も多く、この秋以降ほぼ土日のない生活を送っているが、張りがあるからだろう、心身共にいたって元気である。会うほどに若くなる、美しくなるなんて言われるのはもちろんお世辞に決まっているけれど。
 
 年始はいろいろ入っているが、年末は休みが取れる。嬉しい。古来よく言ったものだ。「よく遊びよく学べ」。仕事ばかりでも勉強ばかりでもいけない。たまには心身をリフレッシュさせることで、能率は上がるし、新しい見方も生まれてくる。

 まずはゆっくり眠った後、ツンドク本を読もう。自然に触れ、親しい友人と語り合おう。そして、ひとり静かに熟考し、考えをまとめようと思う。もっともそんなに多くのことをするほどの日にちはなさそうだけれど。

 春に立ち上げたこのホームページ、アクセス数は平均して日30〜40件といったところだ(月1000〜1200件)。休日よりは平日のほうが多い、つまり職場で見てくれている人が多いのだろうと思う。この「最近思うこと」は大体週に1度の割合で書いてきた。これまた「継続は力なり」だ。

 来年は激動の年になりそうだ。まずは心身共の健康を維持しつつ、この国の在り方を真剣に考えたいと思う。

 

Vol.47 山岡鉄舟に感銘 2002.12.22(日) 記  

パキスタン大使館にて(12.19)山岡鉄舟伝というべき漫画本の贈呈を受けて過日一読、涙が出るほど感銘を受けた。鉄舟(1836-88)は剣・禅・書に通じた幕末・維新の英傑である。

 将軍慶喜の命を受けて一面識もない勝に面談、官軍陣地の突破に成功、やはり一面識もない西郷と直談判、江戸城を無血開城に導く勝・西郷会談を成功させたのが山岡鉄舟である。維新後は明治天皇の侍従職を勤め、慶喜の引退地・静岡では清水次郎長とも深く交遊し、茶栽培の礎も築いた。終生を通して清貧、西郷をして「命も、名も、金もいらぬ、始末に困る人」と感嘆せしめる無私無欲の人であった。

 改めて思うが、黒船の脅威は想像を絶するものであったろう。迫りくる列強を前に「幕府だ、薩長だと言っている場合ではない。挙国一致で臨まねば」と全力で立ち向かった当時の若者たちが今のこの国の惨状を見たらどう思うだろうか。黒船(外資・アメリカ)の脅威にさらされている状況は今も同じである。

 関心を持ち、次に本に進んだが、これが至って読みにくい代物だった。小説ではなく評伝なのだろうが、それにしても構成が拙い。著者自身は分かっているのだろうが、基礎知識もなく年譜も分からない読者の理解を越える。比べては気の毒だが、山本周五郎、司馬遼太郎、藤沢周平といった面々がいかほどに練達の士であるか、改めて思わされた。

 絵画や楽器の演奏とは違い、誰にでもある程度の文章は書ける。だが、その巧拙には雲泥の差がある。私はしょっちゅう自分が書いた物を後で読んで嫌になる。上手くない、くらいならまだいい。前後のつながりが分からなかったり、意味することが分からないことさえあるのだ。一晩は置いて推敲するのを常としているが、それでもなお主観的な世界にはまりこんでいるのだろう。

 5W1Hを踏むといった基本はもちろんだが、自分自身を突き放したところでしかいい文章は生まれないのだろうと思う。国語力の大切さを常日頃訴えている私だが、一生これ修行かもしれないと達観し始めている。

 

Vol.46 政治主導には... 2002.12.20(金) 記  

しんどうタウンフォーラム(12.12) 先日親しい弁護士に電話したら、なんと最近、登録を抹消したという。つまり、弁護士業を辞めた! 以前から性に合わないと言っていた。体調不安もあって……その後のことは「白紙」だと。50歳代後半女性。理系出身、文学や思索の好きな人だからよけいに残された人生に思うところが大きいのだろう。

 ちょうど一年前、神戸大学のゼミの同窓会に出かけた。その中に誰だか分からない人がいた。かつてばりばりのやり手弁護士。が「もう仕事は十分やったから残りの人生、山小屋に籠もって詩作をしたいですね」と別人のように穏やかに語る。一体何が起こったのか。彼女と同じ年代である。

 一般的にストレスの高い仕事類型はある。例えば、警察官や検察官。弁護士もそう。扱うのはすべて他人の争い事。可哀相な依頼者などまずいない。ムラ社会では普通の人はまず争い事を起こさないからだ。加えて、そうした人たちから金を貰わなければならないときている。どうであれストレスのたまる仕事である。

 国会議員もまた別の意味でストレスが多い。様々な人と出会うから、対応が大変だ。それでも立場が違えばまだいいが、同じ国会議員で同じ党ともなれば無視するわけにもいかない。

 例えば、「選挙」に受かったから自分を偉いと思いこんでいる人がいる。とにかくどこでも大きな声で臆さず意見を述べる。いつも的はずれだが、知らないということはすごいことだ!

先日も教育基本法の改正に触れて、「4条に、国民はその保護する子女に9年の普通教育を受けさせる義務を負う、とあるのは是非『権利』に変えてほしいですね」、その他云々、すべて思いつきを述べてくれた。目が点になった。すべて法律は憲法の下にある。その憲法26条に「子女に教育を受けさせる義務」がある。これは勤労義務、納税義務と並ぶ、日本国民の3大義務(権利はたくさんあるが)である。教育基本法は憲法の理念を具体化したものだ。それを勝手にひとり「権利」に……これだけをもってしてこの人の無知は明らかにすぎる。

 いうまでもなく国会は立法府である。法律はすべて憲法の下にあるから、憲法の知識は必須である。他の職業であれば資格試験や採用試験があって、必須の知識のない人は淘汰される。あるいは職業に就いた後に訓練される。だが、なぜか議員だけは別であるらしい。試験なし。オリエンテーションも研修もなし。その代わりがすべて「選挙」だ。頭を下げ、握手をし、あるいは金を使って名前さえ書いてもらいさえすれば、いいのである。

 韓国の国会議員が呆れていた。「日本のようにタレントやスポーツマンが国会議員になるなんて私たちでは考えられません」と。実際、韓国の国会議員は法曹、学者、ジャーナリストが非常に多いという。法律を作る国会議員はエリートであり、当たり前のように専門知識が必要とされるのである。日本で専門知識がなくていいのは、官僚頼みできたからだ。政治主導のかけ声が虚しく響く。

 

Vol.45 臨時国会の終わりを迎え 2002.12.10(火) 記  

決算委員会(12.10) 早いものでまた1週間経過。そして今週で臨時国会が終わる。
 当面の喫緊の課題「景気」は未だ回復の目処さえ立たず、加えて、有事法制や個人情報保護法案など重要法案は積み残しのままだ。この間、世論やマスコミの目はもっぱら拉致被害者に向けられていた感がある。

 今回、所属する法務委員会では会社更生法、ロースクール法案などが可決、成立した。ここ数年最も忙しい委員会は法務委員会となり、今後もこの傾向は続く。それだけでも法律家の必要性は高くなる一方だ。来年通常国会でも今回参院で先議した人権擁護法案(継続審議となる)、今回衆院を通過した触法精神障害者法案、そして数多の司法制度改革関連法案、等々、目白押し。参院自民党唯一の法曹である私の出番は非常に多いし、期待されるところ極めて大である。

 これまた所属する決算委員会では昨9日(月)、午前中総理出席の下、締めくくり総括質疑が行われた。委員長からの警告は外務省のプール金など、計8件。その後、私は与党を代表して討論に立ち、決算・警告ともに賛成の意を述べたが(写真)、税金の無駄遣いが多すぎて誠に情けない。まともに働いた人が報われる社会でなければ、子どもたちをまともに教育などしようがない。

 最初国会に来たとき、6時間コースといった委員会に休憩時間がなぜないのか、不思議だった。だがだんだんに分かってきた。休憩なんか設けたらえらいことになるのだ。それくらい委員の集まりが悪い。何のかんのと言っては(人によっては黙って)抜けていく。気がついたら定足数割れ……まさかでしょ! 「いつも時間を厳守して偉いね」と誉められるのは永田町くらいではないか。世間では当たり前のことだ。そんな人が国民の代表者になっている現状は憂うべきである。

 

Vol.44 自戒の意味を込めて 2002.12.3(火) 記   

北信越ブロック会議(12.1) 早や師走。年々月日の経つのが速くなる。誰もが実感するそのことの理由は簡単だそうだ。来し方に比しての1年。つまり、10歳にとっての1年は50歳にとっての1年の5倍の重みを持つという。なるほど。

 だが、同じ年齢であれば、昔のほうが今よりずっと1年は長かったはずだ。来る日も来る日も何事も起こらない単調な暮らしと毎日何か事件が起こるスリリングな暮らし――より長く感じるのは前者だからだ。かつて十年一昔。今や一年一昔、どころか最近ことに一ヶ月一昔のように目まぐるしい。

 こんなときだからこそよけいに「今」を大切に、一日一日を充実して生きましょうと、挨拶や講演では言うのだが、たぶんに自戒の意味を込めてのことである。
 
 先日初めて、会館内の指圧室に行ってみた。頭や首・肩の凝りが自覚症状だったが、指圧師いわく「循環器がいいですね。でなければ今頃きっともう腰痛が出ていますよ」。丈夫な体に産んでもらったことに加え、丈夫な体に「育ててもらったこと」に大いに感謝しなければならないという。子どもには夜更かし厳禁なのに、最近夜型の子どもが増え、丈夫に育てないのだという。体力のない子どもが多くなったのは体を動かさないからだろうと思っていた。振り返って私は、母親から厳に偏食を戒められたし、牛乳を毎日たくさん飲まされていた。かどうかは知らないが、身長は高いし(高すぎるほどだ)、骨も丈夫だ。何事も健康が基本、こんなにありがたいことはない。

「健康でないと、人に優しくなんかできないじゃないですか」。そんな当たり前のことを、私たちは常日頃とんと忘れてしまっている。

Vol.43 「向上心」 2002.11.27(水) 記   

青森県りぶるの集い(11.23) 22日(金)静岡、23日(土)青森、24〜25日(日〜月)三重、そして昨日26日(火)また静岡に出張。女性たちの会での講演と女性ブロック会議だ。青森では日本の唱歌のピアノ伴奏もした。このところ休みなしなので、体がもつかと心配だったが、大丈夫だった。要はもつかどうかではなく、もたせることだ。そのコツは「楽しむこと」。そうすれば心が疲れず、であれば心と密接に連動する体もまたさほどには疲れない。

 最近人間は「努力」だけではないのだと思うようになった。どころかかなりの部分がDNAに既定されているのではないか。

 例えば、鬱病や鬱的性格。本人がなろうとしてなるはずはなく、多分に持って生まれた素質によるところが大きいはずだ。私が長身なのも親が2人とも長身だからであり、やせ形なのも同じことだ。食べても飲んでもあまり太らないのは体質であり、周りからどれほど羨望されているかしれない。

 考えてみれば人間もまた生物である(当たり前だ)。だから成熟も老化もその遺伝子に組み込まれているのだ。老けるのはその人の生き方次第(つまり本人の努力次第)だと思ってきたが、それもまた遺伝子によるところが大なのではないか。もともと寿命自体がまた遺伝子による。長寿の家系・短命の家系、それぞれだ。何で死ぬのか、それもまたかなり既定されていることである。100歳でこんなに元気な人がいる、と見本にするのはいいけれど、実はそれもまたその人の持って生まれた素質によるのにちがいない。

 と思ってくるととたんに努力する気が失せそうだが、幸い「努力できる能力(向上心)」には恵まれているようだ。ただそれだけに、勉強できるまとまった時間が取れないのがかなり辛い。疲れているからさぼりたい気もするが、今日は弁護士会の勉強会(会社更生法)に行くつもりだ。人間は日々勉強し、かつ向上しなければならないと思うから。

 

Vol.42 まずは実力をつけること 2002.11.21(木) 記 

山形県連女性部研修会(11.17) ここのところ「超」がつく多忙さだ。そういう意味ではようやく普通の国会議員らしくなったのかもしれない。昼はもちろん夜も連日、週末は出張続きで休みなし。それでも少しの間を縫うように、親しい友人と話したり、寝そべって本を読んだり、せいぜい息抜きをしている。もちろんまずはよく睡眠を取ることだ。

 女性の会合に出ているとよく「女性の登用を」という要望が出る。たしかにずっと男社会だったから、然るべきポストを与えられるには男性以上の能力とやる気が要求され、不平等に感じられることが多いかもしれない。

石川県連女性部中央研修会(11.20) だが今は幸い、男女共同参画社会の御時世である。周りを見ると、なぜこの女性が登用されたのか、首を傾げる例も結構あるように思われる。男性側からすれば、あいつは女であるが故に得をしていると不満に思いながら、本音は言えないやりにくいご時世になったのではないか。

 女は差別されている、と愚痴をこぼす前に、自分が果たしてそのポストに相応しい能力とやる気があるのか、冷静に見なければと思う。不満を言う暇があったら、勉強をし汗もかいて、人から認められるだけの実力をつけることだ、と私は思う。実力さえあれば、女性も必ずや登用される。民間ではまだ難しくてもことに公の場ではそうである。

 

Vol.41 ジャーナリズムの本質を  2002.11.13(水) 記   

法務委員会(11.12) 昨日の法務委員会では午前午後、人権擁護法案の参考人質疑を行った。

 参考人は各3人ずつ。ちなみにこうした参考人は与党野党の各推薦によって選任される。例えば、午前の部については人権擁護推進審議会会長(元東大教授)、犯罪被害の当事者(弁護士)、メディアの代表(民放連)。自民党の質問はいずれも私が担当、午前午後ともに20分。

 この法案がメディア規制法として批判にさらされていること、それが的を得ていないことについては以前指摘した(Vol.23 「人権侵害」  2002.7.1(月) 記  )。

 そもそも本来はメディア自身が過剰取材を自粛できればそれに越したことはないのだ。だが自主規制が効を奏さなかったからこそ、国が規制をしなければならなくなったのである。メディアは取材には「執拗さ」が欠かせないという。でなければ応じてくれるはずはないと。だが、犯罪被害者はもちろんのこと、たとえ犯罪者であっても取材に応じる義務はないのである。その根本をはき違えているところにメディアによる人権侵害の基本は存在する。

 なぜこんなことが起きるのか。それはジャーナリズムの本質を学んでいない素人が取材をするからであり、また、メディアが横並びで記者に突撃取材を強制するからである。対して、例えばアメリカ。大学にはたいていジャーナリズム学部があり、そこで法律や人権、取材の方法、被取材者の心理的側面までをも事細かに学んだ者がジャーナリストになる。そして企業側も横並びではなくそれぞれの得意分野で勝負し、また一個の人間として記者の「取材をしたくない自由」を尊重する姿勢があるという。

 片や日本はといえば、どのチャンネルを回しても拉致被害者のことばかりだ。新聞にしても似たり寄ったり。犯罪被害者をそっとしておいてあげたいから取材はしたくないといえば、その記者は干されるだろう。つまり人権侵害は取材者にも及んでいるのである。この悪循環をどこかで断ち切らない限り、報道被害は決してなくならないにちがいない。

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