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誇りある日本を取り戻そうはじめにアメリカの占領対策日本側の失敗今後の戦略
安全な国を取り戻そう少年事件と少年法日本の刑事司法「死刑廃止」には反対
プロフィール

『誇りある国を取り戻そう』
 
INDEX
1.
はじめに
2.
アメリカの占領政策
3.
日本側の失敗
在住外国人の地方参政権問題
戦後処理問題
歴史教科書問題
4.
今後の戦略
 

1.はじめに

 国連アジア極東犯罪防止研修所に勤務していたとき(88年、93-96年)、アジア・アフリカなど何十か国もの刑事司法関係者と親しく交わる貴重な経験をしました。

 刑事司法は国によって非常に違います。刑事司法に限らず、いかなる制度にもすべてそれに至った歴史があり、それを受け入れる国民性があるからです。ただ、それ以上に私が感銘を受けたのは、どの国の人たちも――どんな小さな国でも――自国に誇りを持っていることでした。

 翻って、なぜ私たち日本人は自国に誇りを持たないのでしょうか。アジアの人たちによく不思議がられたものです。自分たちは日本のお陰で独立できたのだ、日本は戦後の廃墟から立ち上がって世界第2の経済大国になった、日本はアジアの我々の誇りなのに……と。

 たしかに不思議なことです。日本は長い歴史を持った国です。その中で、歌舞伎・浮世絵・陶磁器・俳句・相撲など、独自の文化・伝統を多く生み出し、世界に知られるようになりました。敗戦の廃墟から立ち上がり、世界一流の工業品を作り上げ、経済大国にもなっています。その背景に国民の教育水準の高さ、勤勉さがあることはいうまでもありません。犯罪も少なく、誇れることばかりなのです。なのに悪口を公言してはばからない日本人が大勢いるのです。

 その「解」を得たのは98年、参院議員になってからのことでした。
 それはあまりにひどい歴史教科書の実態でした。日本人が学ぶべき日本の歴史ではなく中国・韓国から見た歴史なのです。振り返って、私たちが学んだ歴史教科書はここまで歪んではいなかったものの、自虐的ではありました。韓国や中国の人たちにはずっと謝り続けないといけないと思い込まされていたのですから。

 実はこれは現象の一面にすぎず、根源的な理由があることが徐々に分かってくるようになりました。検事のままでいたら知らないままだったでしょう。よくもまあ何も教えられずに、何も知らずに育ってきたものだと悲しいというより怒りに似たものを覚えました。


2.アメリカの占領政策
  

 古代ローマは海洋国家カルタゴの繁栄を妬み、潰そうとしました。長年にわたる戦争の後、最後は街を焼き尽くし、完全に滅ぼしたのです。これは極端な例だとしても、戦勝国が敗戦国を二度と刃向かってこないように叩きのめすのは当然のことなのです。日本を占領したアメリカは日本の精神的な解体を企図しました。

 GHQは日本が戦争を起こしたことを後悔し、二度と戦争を起こさないようにするためのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムを組みましたが、占領政策の中で最も大きな行事としては極東国際軍事裁判(東京裁判)と日本国憲法・教育基本法の制定を挙げることができます。

 1.東京裁判

 東条英機以下28人(いわゆるA級戦犯)が昭和21年4月29日(昭和天皇誕生日)に起訴され、うち判決前の死亡者などを除く25人全員に有罪が言い渡されました。うち東条英機など7人に絞首刑が言い渡され、同23年12月23日(今上天皇誕生日)に執行されたのです(『東京裁判(上)(下)』児島襄著(中公新書)は歴史を知るにはもちろん読み物としても素晴らしく、是非お勧めである)。

 彼らの訴因は主に<平和に対する罪>、すなわち侵略戦争を共謀・遂行した罪とされています。
 これに対して、いわゆるB・C級戦犯は<通例の戦争犯罪>、つまり民間人や捕虜の虐待・殺害、略奪、軍事上不必要な都市破壊等、古くからの国際法違反の戦争犯罪を犯したとして、東京以外の内地及び外地で5000人以上が裁かれ、約1000人が絞首刑になりました。

 東京裁判の判事11人は全員連合国の出身者でした。その構成からして一方に偏した裁判であり、初めに結論ありき、でした。しかも国際法の専門家はインドのパール判事ひとり。そのパール判事がこの裁判は国際法違反であり、全員無罪との意見を述べたことは、悲しいかな日本ではほとんど知られていないのです。

 なぜ国際法違反なのでしょうか(その他に証拠が乏しいことも挙げられています)。
<平和に対する罪>はなんと、事後法なのです。事後法の禁止は近代法の鉄則です。行為時に犯罪とされていなかったのに後で新たに法律を作って処罰されるとしたら誰も安心して行動できないからです。しかし連合国はその禁をあえて破り、日本(とドイツ)を徹底的に叩きのめすことにしたのです。

 戦争=違法、なのではありません。当時戦争は、国際紛争を処理するための政治的・外交的手段として認められており(宣戦布告さえすればいい)、戦勝国が敗戦国を裁く裁判はなかったのです(注:「国連憲章」は自衛戦争と国連安保理決議による戦争以外を違法としました)。

 連合国(米英仏ソ)は戦後処理を睨んで、1945年8月に「ロンドン憲章」を合意し、その6条において<平和に対する罪>並びに<人道に対する罪>(政治的または宗教的、人種的理由に基づく迫害行為(いわゆるホロコースト)等)を導入しました。結果、史上初めて敗戦国の指導者が戦勝国によって裁かれることになったのです。ちなみにドイツのニュルンベルク裁判ではこの2つの罪が裁かれています。

 ところで、連合国はなんの戦争犯罪も犯していないのでしょか。いいえ、そうではありません。例えばアメリカの民間人を狙った東京大空襲や2つの原爆投下。これは明らかな戦争犯罪です。ただ、勝者の犯罪であるが故に不問に付すことにしたのです。この点もまたパール博士が指摘しているところです。ですから本来、平和記念館に記すべき言葉は「過ちは繰り返しません」ではなく「過ちは繰り返させません」であるべきなのです。

 ところが、日本人はすべて、戦争を起こしたのは自分たちが悪かったのだと思い込まされてきたのです。

 2.日本国憲法制定(昭和21年)
 日本はGHQの占領下にあって主権はないのに(主権回復は昭和27年4月、サンフランシスコ平和条約の発効時)、憲法が制定されたのです。

 法律の専門家はほとんどいないのにGHQは1週間で憲法草案を作り上げました。原文が英語なので翻訳調であるのはもちろん、日本国の歴史・伝統など「国柄」が分からない国籍不明の憲法となっています。内容として大きな問題点は以下の2点だと考えています。

  ?@ 他律的な平和主義
 9条以外にも前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるように、自衛戦争さえ禁じられ、自衛隊を正当な存在と認めないまま今日に至っています。

  ?A 公の軽視
  第1章「民の権利及び義務」(10〜40条)は権利ばかりの規定であり、義務は勤   労義務、納税義務、子女に教育を受けさせる義務と、わずかに3つ。普通の国では   当然の国防義務は日本ではもちろんありません。

 3.教育基本法(昭和22年)
 教育勅語が廃止され、教育基本法が日本側主導で制定されました。「われらはさきに日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」で始まる本法は、しかしその内容においてGHQが伝統文化の尊重などを削ったため、これまた改正が論議されるようになりました。
 日教組などの強い反対の中、文部科学省の諮問機関である中央教育審議会が本年3月にまとめた最終答申は「社会の形成に主体的に参画する『公共』の精神の涵養」「日本の伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養」などを盛り込むよう求めています。一番の焦点は「国を愛する心」ないし「愛国心」の取扱い。

 この通常国会で審議になる見込みです。成り立ちからして日本国憲法と一体のものですから、この改正は憲法改正の前哨戦とも位置づけられるでしょう。

 この他、少年法も日本の刑事司法制度に合ったものが存在したのですが、GHQが当時アメリカで主流だった国親思想(可哀相な少年を国が親代わりになって面倒を見るという福祉的思想)に基づいてまったく新しい法律を作ったのです(昭和23年。2000年末少し改正されました。


3.日本側の失敗

 アメリカの占領政策は功を奏し、日本には民主主義が導入され、親米国家が作られました。これを成功例として、アメリカはイラクを復興させようとしているそうですが、そうはうまくいくはずがないと皆が思っています。

 日本にとっては初めての敗戦でした。おまけに現人神と信じてきた天皇が人間となったのですから、価値観が一挙に崩壊した喪失感は筆舌に尽くしがたかったと推察されます。ですが、日本人は本来、勤勉で努力家です。教育水準も高く順応性が強く、また明治以来アメリカなどの進んだ西洋文明には強い憧れを抱いてもいたのです。加えて、ほぼ単一民族であり宗教の障害がないこと、国民性として「お上」に従順であり、ムラ社会でまとまりがいいこと、天皇という求心力の存在もあったことなどから、国民自身が脇目も振らず、とにかく食べていくためにがむしゃらに努力したのです。

 これ自体は素晴らしいことですが、それと並行して我々は、先祖が綿々と培ってきた大和魂や武士道精神といった精神的支柱を失ってきたように思います。経済が順調なときはそれでも良かったのでしょうが、これだけ長らく停滞し、先行きが見えなくなった今、支柱を失って途方に暮れるようになっています。

 初めはアメリカの占領政策ありき。ですが順応しすぎて自らを失ったのは日本自身の責任です。
   
 1.国防を他国任せにしてきた失敗
 サンフランシスコで平和条約を締結し主権を回復すると同時に、吉田茂首相は日米安保条約を調印しました。これは国防をアメリカに委ね、日本は経済発展に邁進するとの選択肢であり、当時それで独立国と言えるのかとの大反対があったのを首相が押し切ったそうです(月刊自由民主 平成13.10 特集「サンフランシスコ講和50年」麻生太郎)。

 当時の情勢下では正しい選択だったと思いますが、以後の政治が憲法改正を放置し、あまつさえ集団的自衛権は「憲法上認められているが行使できない」旨の内閣法制局長答弁を踏襲してきた責任は非常に大きいと考えます。
 
 国防義務は、世界の常識では、国民であることに伴う当然の義務です。

 韓国など徴兵制のある国は未だに100か国近くに上り、永世中立国であるスイスもまた国民皆兵です。昨年フランスに出張した際、徴兵制を廃止したとの報告を受けましたが、その理由は超近代戦になってしまったために素人が2年ほど兵役に行っても足手まといになるだけ、で26万の職業軍人に任せることにしたとのことでした。

 ちなみに、在住外国人の地方選挙参政権問題を検討した際初めて知り、自己の無知に改めて愕然としたのですが、参政権は国防義務と表裏一体をなすのですね。

 すっかり平和ボケした結果として、日本人は自国が侵略されるとも思っていないし、もし万一侵略されてもアメリカなど他国が何とかしてくれると思っているのでしょう。あたかも家にいて漠然と安心感があるように。ですが平和、平和と唱えていれば賊の侵入を防げるはずがないのと同様、守りがなくて侵略が防げるはずはないのです。

 そもそも独力で自国を守れない国は国際的に独立国とはみなされません。ちょうど自分の身を自分で守れない人間が独立した人間とはみなされないのと同じように。自らの国は自らの手で守る。有事法制を作ることは最低限やるべきことなのです。

 2.自主憲法を制定しなかった失敗
 敗戦後冷戦構造となり、朝鮮動乱の勃発もあって、日本に再軍備させるべく憲法改正を働きかけたアメリカに対し、吉田茂首相は経済発展を優先させるため国防をアメリカに委ねる選択をしました。

 ただ、自主憲法の制定はこれとは別個の問題だったと思います。

 形式的には日本国憲法は自国の主権のない間に制定されるという自己矛盾を孕んだものでした。実質的にも第1章「天皇」さえなければ、日本国の憲法だとも分からない、どの新興国にもっていっても通じる国籍不明の憲法です。制定後60年近く経っているのに一度の改正もなく有数の古い憲法になってしまいました。国内外共に社会情勢も大きく変化している実態にも合わなくなっています(『日本国憲法』西修著(文春新書)、月刊自由民主平成15.5 特集「憲法問題を考える」など)。

 占領時に作られた憲法を主権を回復した後もずっと持っていること自体、国家主権の意識を欠如し、国家としての誇りを失っていることの現れだと考えます。やっと2000年、衆参両院に憲法調査会が設けられ、5年かけての見直しが予定されています。参院ではまだですが、衆院では先般中間報告がなされました。

 3.国益に基づいた外交をしてこなかった失敗
 実はこれは国防力と密接不可分の関係にあります。自ら国を守れない=独立国ではない=外交はない。つまり、そもそも国防のない国に外交は存在しないからなのです。

 日本は憲法の禁止によって武力による貢献ができない分、ODA(政府開発援助)を外交の切札としてきました。その不透明さや有効性など批判も多々あり、見直しが大いに必要ですが、日本は国連初めすべてに対し国益を欠いた銭ばらまき外交に徹してきた感があり、これでは諸外国の尊敬など受けられようはずがありません。
 
 その悪しき典型例が近隣諸国との間の外交です。いつまでも要求されるがままに侵略戦争の謝罪を繰り返し、金を払い続け、あまつさえ歴史教科書や靖国神社参拝で明らかな内政干渉をされても文句さえ言えない。

 北朝鮮の拉致にしても、何かと負い目のある相手だからこそよけいに何も言わず放っておいたともいえます。国民の生命・安全・財産を保護することは国としての当然の責務であるというのに。独立した国家として当然の毅然とした態度がとれない国にあって、子どもに誇りを持てというほうが無理な話だと思います(戦後処理問題)。

2001年5月、国際的な屈辱となった瀋陽総領事館事件はこの延長上に起こったと考えています。北朝鮮からの亡命者2人(ただし彼らは経済難民であり、難民認定条約で保護すべき政治的亡命者ではない)が瀋陽(日露戦争時代の「奉天」)の日本総領事館に駆け込んだのを、中国の武装警察官が総領事館の不可侵権を保障したウィーン条約に違反して敷地内に進入、有無を言わさず連行したのに対し、日本政府はなんらの抗議すら出来なかったのです。

 4.国家観を欠いた教育の失敗
 多くの国では、学校教育のごく初期の段階で国歌・国旗の尊重を教えられます。自分たちが国歌・国旗を大事にするからこそ、他国の人たちがまたその国歌・国旗を大事にする気持ちが理解でき、尊重できるのです。

 オリンピックの表彰台で国旗掲揚の際脱帽しなかった日本の若い選手の常識のなさが話題になったことがありますが、そもそもそういう教育を受けていないことに問題があるのです。「君が代」なんて古いと言うなかれ。「ラ・マルセイエーズ」(仏)にしろ「星条旗よ永遠なれ」(米)にしろ、多くの国では血を想起させる戦いの歌であり、こんな平和な歌は珍しいのです。

 また直接的に国家観を教えるのは歴史ですが、薄っぺらな分量、本来複合的な見方が成り立つものを現代の一つの価値観からのみしか見ないこと、そもそも国の歴史は長いのに近代史に偏って教えること、それが侵略であり日本は悪いことをしたとの一方的な見方であること等々、自国民に誇りを持たせない歴史教育を施している国など世界中に存在しない言わねばなりません(歴史教科書問題)。
  
 5.個人の権利・自由を蔓延させる風潮を助長させた失敗
 マスコミの影響も大きいのでしょうが、日本では個人の自由・権利がおよそ行き過ぎていると思います。例えば、一部の反対で土地収用がなかなか進まないことは他国の人によく驚かれることです。

 破壊活動防止法を適用してオウム真理教を解散させる処分も認められませんでした。結社の自由は憲法上保障された権利ですが、いかなる権利も「公共の福祉に反しないかぎり」認められるものです(憲法13条)。それなのに公安審査会は、サリン事件などを起こしたこのテロ集団に対し、破防法を字句通り厳格に解釈して「将来さらに暴力主義的破壊活動を行う明らかなおそれがあると認められる十分な理由」が証明されるには至っていないとしたのです。たしかに「将来」云々を的確に予見することは神ならぬ身、不可能に近いかもしれません。しかしそれではもともとこの法律は存在しないにも等しいのです。

 憂うべきことは日本がテロ容認国家だと国際的に認知されてしまったことです。

 2000年夏、国会では組織暴力犯罪取締りに関連して通信傍受法を通過させました。これが盗聴法と喧伝されて一部マスコミの大反対に遭ったのは記憶に新しいところですが、対象犯罪は殺人などごく一部の犯罪に限られ、しかも疎明資料を添付して裁判所の令状をとらねばならないのです。主立った諸外国では、社会的に危険と思料される場合には広く(裁判所の令状など必要のない)行政傍受、しかも通信傍受だけではなく住居内傍受まで認めていました。

 つまり普通の国は、社会一般にとって危険性の高い団体・人の権利・自由よりも、それによって被害を受けるかもしれない一般人の権利・自由のほうにはるかに重きを置くのです。例えば、幼児強姦などの常習者の住居を知らせる法律はアメリカその他にありますが、日本では人権問題だとして一顧だにされないでしょう。一般に犯罪者と被害者の関係は最近見直しが進んできたとはいえ、まだまだだと思います。

 最近では成長途上の子どもたちが権利や自由を主張し、監督者である親がそれを止められないという嘆かわしい風潮が横行するようになりました。じっと授業を聞かない自由や喋りたいときに喋る権利、果ては「援助交際」。子どもの売春例は発展途上国では枚挙に暇がありませんが、豊かな国では日本だけでしょう。子どもがブランド品を身につけるのも異常なら、その金ほしさに身を売るのも異常です。こうしたモラルの低下は社会全般で見られ、まさに憂うべきものがあります。


4.今後の戦略

上記の失敗を正していくこと以外にとくに以下の2点を挙げたいと思います。
 
 1.初期段階から徹底した教育を
「教育は国家百年の大計」。いうまでもなく、社会・国家を作るのは人であり、その人を作るのは教育だからです。日本の力は従来、平均的日本人のレベルが高いことにありました。

 ところが、平均的日本人の学力は国際的に見て格段に落ちてきました。とりもなおさずそれは国力が落ちたということです。
文部(科学)省は何をどう迷ったのか、「ゆとり教育」なるものを推進し、昨年、完全週休2日制が施行されるに至りました。国語や算数の時間を削って総合教育とやらの時間にし、何を教えたらいいのか教師が頭を捻るようになりました。

 教育の基礎はまさに基礎学力にあります。そのためには頭も体も柔らかいときにできるだけ良いモデルを見せ、反復練習させて覚え込ませることです。ゆとり教育とは「ゆるみ教育」。創造性や個性を伸ばすのは基礎学力のうえに初めて築き上げられるものなのです。

 吉田松陰など、昔の人は幼い時に四書五経を徹底的に覚え込まされました。もちろんその時には意味が分からないけれど、成長して分かるようになったときにはすっと自分の血肉になるのです。漢文の素養あればこそ文章もうまかったし、(文法が似ている)英語もやりさえすればすぐに上達したのです。

 若いお母さん方には私はよく、どうぞ絵本を読み聞かせてあげてくださいとお願いしています。言葉は体で覚えるリズムです。そして教育とはまずは国語力をつけること。初期教育でやるべきことは、一に国語、二に国語……三、四がなくて五に算盤(藤原正彦さんが同じことを述べておられました)。

 なぜ国語力が大事か。それはものを考える力と感性、人格を作る2つの要素が国語力によって培われるからです。

 例えば、ハングル語には受身形がありません。「日本が韓国を占領した」だけで「韓国は日本に占領された」という言葉はない。だから発想としても、占領された自分たちにも落度があったとは考えられないのではないか――韓国人である呉善花さんの考察です(『スカートの風』(角川書店))。呉さんは日本に来てだいぶ経った頃にようやく生け花の美しさが分かったと言います。それは「しめやかな」「涼やかな」といった大和語の意味が分かったときと同時だったそうです。

 国語力をつけるべき時期にわざわざ英語を勉強するなんて、なんと愚かなことでしょうか。外国語は必要があれば出来るし、必要がなければ出来ないのです。発展途上国では教育など受けなくても誰でもそれなりの英語を喋ります。

 2.国連至上主義の見直しを
 この3月に始まったイラク攻撃では、新たな安保理決議を必要とする仏独露と新たな安保理決議は不要だとする英米とに分かれ、日本政府は後者を支持、ただ野党その他は前者の立場でずいぶん批判を受けたものです。国連至上主義を捨て、対米追従だと。

 この議論は、元を辿れば、仏独の大陸法と英米法とが基本的に異なることに端を発していると考えられます。

 大陸法は成文法主義、すなわち法律として記された文言及びその解釈を最重要視します。対する英米は慣習法(判例法)、すなわち文言よりも具体的紛争に合った妥当な解決法を重視します。日本は明治以来、フランス・プロシアに倣ったために仏独と考え方が似ています。つまり、国連憲章では自衛(個別・集団)のための戦争と国連安保理決議による戦争以外は認めていない(51条)、だから新たな決議が必要、となるわけです。

 ただ、イラクのフセイン政権がわずか20日で崩壊したという結論から見れば、日本が最初からアメリカ支持の立場を鮮明にしたことは正解でした。仏独は壊れた対米関係をいかに修復するか、苦悩していると言われています。
 
 根元的な問題は、国連至上主義が果たして妥当なのか、ということです。

 国際連合はThe United Nations、英語では「連合国」と同じです。安全保障理事会は「15の国連加盟国で構成する。中華民国、フランス、ソヴィエト社会主義共和国連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国及びアメリカ合衆国は常任理事国となる。総会は……非常任理事国となる他の10の国連加盟国を選挙する(2年任期)」(23条)。

 第二次世界大戦の戦勝国である連合国が署名して国連を作り、拒否権を持つ常任理事国に就任しました。「中華民国」はその後共産党が国民党に勝利を収めて中華人民共和国となり、ソヴィエトは崩壊してロシアとなっているにかかわらず、不動の地位を占めています。対して、国連憲章には未だに「敵国」条項が残っています(53条、107条)。そうなのです、日本・ドイツは未だに「敵国」なのです。

 日本は安保理の非常任理事国ですらなく、つまり国連の意思決定には携われないのにかかわらず、国連の分担金は19.16%、トップ米国の22.00%に次いで第2位。続く上位国はドイツ9.77%、フランス6.47%、英国5.54%、反対に常任理事国でも途上国扱い中の中国は1.53%、ロシアは1.20%と、非常な不公正不公平感が拭えない分担金比率なのです(2003年現在)。
 
 アナン事務総長にはなす術もなく、今回ほど国連の存在が希薄に思えたことはありませんでした。国連はそもそもが主権国家の寄り集まりです。米国など大国の思惑でどうにでもなるのが現実なのです。国連があたかもスーパーマンであるかのような幻想を、日本はそろそろ捨てなければいけない時期に来ています。

 3.文化大国の発信を
 日本には独自の文化がたくさんあります。「源氏物語」は世界最古の長編小説として、世界の十大文学に必ず数えられます。また江戸時代に発達した浮世絵はヨーロッパ印象派の巨匠たちに大きな影響を与えたことはよく知られています。日本が生んだ磁器、伊万里焼は貴族たちが競って求める品となり、後のマイセン磁器を生み出しました。

 フランスのシラク大統領はもともと日本陶磁器のコレクターとして知られ、来日は50回を数えます。その他、歌舞伎、相撲、そして世界で最も短い詩として知られる俳句は今や世界中で愛好者が増えています。中華料理には比べるべくもないものの、日本料理も徐々に認知されるようになってきました。日本発カラオケは世界のものとなり、最近では日本のアニメが、そしてまた若い歌手の歌もとくにアジアではよく知られるようになりました。反日の多い国でもこと文化に関しては垣根が低いのです。

 イスラエル対パレスチナのアラブ問題は、元を正せば、ユダヤ人にもアラブ人にもいい顔をしようとして二枚舌、三枚舌を使った英仏など大国にその原因があるのです。アフガニスタン問題にしても最初はソヴィエトの侵攻があり、冷戦構造の下それを防ごうとしたアメリカの侵攻がありました。つまり、日本はどの地域の紛争にも手を染めていない、無色の立場でいる唯一の大国なのです。おまけに文化がある。四季折々の自然は美しく、観光にも本来適しているはず。こうした特色を何ら発揮することなく、金ばらまき外交、アメリカ追従型でやってきたのは惜しまれてならないことです。北欧諸国やカナダのように大した経済貢献はできないにしろ、仲介外交などその独自のブランドで存在感を発揮している国を日本は見習うべきでしょう。

 こうした外交を担わせる真の国際性を持った日本人を、教育によって輩出していかなければならないと思うのです。


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