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Vol.115  法律事務所開設 2004.7.22(木) 記  
 厚生労働大臣政務官を辞任した。辞任届は17日に提出したが、閣議了解事項のため承認が20日にずれ込んだ。夕刊各紙掲載。理由はそこに載ったとおり、弁護士業開始のためである。
 国家公務員である大臣政務官は、営利企業の役員等への就任を禁じられ(刑事罰の対象。で顧問会社はとれない)、その一方、兼業は許可にかかっている。ぼちぼち法律相談などがあり許可願いを出していたのだがいっこうに下りず、せっつくと結局、先例なしとのこと。
 となると、9月に予想される内閣改造まで弁護士業は出来ないということになる。まあ長い人生、そう慌てる要もなく、秋からでも構わないようなものだが、悪いことにはこうした事態を予想せず、7月29日夜、事務所開きパーティを盛大に(?)催すことになっている。その際「ただ、実際の業務は内閣改造人事以降になります……」とアナウンスするのもなんだかちょっと気が抜ける話である。で、切りのいいところで、国会議員の任期が切れる7月25日同日付けで政務官を辞任する方向で、各所の了解を得ていたのである。
 ところが、急遽ある刑事事件を引き受けねばならなくなった。となると弁護人選任届も出さねばならず、警察署など公的な場所にも赴かねばならない。刑事罰にはかからないが、法律を知ったうえでの不遵守にはやはり躊躇を覚える。とはいえ最も公的な役職を、中途半端に投げ出すのにもまた大いなる抵抗がある。まさにハムレットの心境で悩んだ挙げ句……辞任を決意した。

 身近な、少数の人間の力にさえなれずして、より多くの人を助けられるはずはない。私を頼ってきた人の力になろう。そう考えたのだ。幸い大臣は医者、快諾して下さった。ばかりか多くの人の納得を得ることができた。ありがたいことである。
 そして私は、当初考えていた7月26日より少しだけ早く、「佐々木知子法律事務所」の看板を出した。まだ開始したばかりだが早速に、弁護士仲間がよく言う、依頼者があってお金を貰うのだから大変という意味が分かってきた。これまでの検事、そして国会議員という職業では毎月必ず決まった給料を貰えた。仕事自体に生き甲斐があり、金のことは考えずにすむ――渦中にあってその幸せに思いを馳せることは、あまりなかった。
だが、弁護士には別の醍醐味がきっとある。私に任せなさい、私が守ってあげるから。こんな気持ちになったことはついぞなかった。検事時代、被害者に対して同じような気持ちをもってもよかったのだろうが、あくまで公人として関わっているのであり個人として頼られたわけではなかった。
 面白いもので、早速に表情が変わってきたと言われている。物言いもすっかり法律家らしくなったらしい。もともと法律家なのだが、国会議員である間、違った一面を見せていたのだろう。

 それやこれやで、29日のパーティ時に披露予定のピアノの練習が一向に出来ていない。超多忙の毎日だが、記録的な猛暑をものともせず、乗り切りたいものだ。あるいはホームページは次の全面改定まで閉めずに残しておく方向にしようかとも思っている。

Vol.114  参院選 2004.7.12(月) 記   

 自民49(改選前51)、民主50(同38)、公明11、共産4、社民2、その他5――。
 予想通り、自民敗北、民主大躍進だった。
 民主が勝ったというより、自民が負けたのだ。年金法案及び小泉首相への不信感が反動となって表れたのである。

 今回、各地を回っていて憂慮を深くしたのは、公明党への依存度がますます強まったことである。
 昨秋の総選挙時にはまだ、「比例は公明党に」と大っぴらに言う候補は少数だった。もちろんこれは禁じ手である。だが今回は、それくらいは当然、それに留まらず、公明党の地区割り比例候補と組んで動く候補者までいたのである。たまたま欠席のその比例候補に代わり、公明党の県代表が予定時間を遙かに越えて自党及びその比例候補の宣伝をし、会場中が白けきった(と私は感じた)。おそらくは候補者自身も嫌なのだろう(と思いたい)が、選挙に勝つためには何でもやらなければいけないのだろう。
 こんな体たらくでは、本来の自民党支持者は愛想を尽かして離れていく。悪循環で、公明党依存がますます深まっていく。そして、政策すべてに公明党の声がますます反映されていく。
 
 加えて、選挙直前にやはり(!)実現した「曽我ひとみさん家族と再会」劇。こんな見え見えのパフォーマンスは国民の反発をかえって招くのではと案じたが、支持率は上昇したらしい。
 しかし冷静に考えて、一連の首相の行動は、国際的に見て、どう評価されるだろうか。拉致された国民・その家族を身請けするために、首相自らが、大量の手土産を携えて相手国に出向く。軍務中の韓国から北朝鮮に脱走した重罪犯罪人にまで首相自ら会い、身柄を保証するから日本に住んでほしいと頼むのだ。
 いうまでもなく日米間には犯罪人引渡し条約がある。法治国家であるアメリカは、拉致された日本人の夫だからという理由で特別扱いするわけにはいかず、当然引渡しを要求するだろう。それを回避するために法務大臣が特別の許可を与えて彼を帰化させるとでもいうのだろうか(原則として、帰化は「5年以上の居住」「素行が善良」等の厳しい条件の下で認められる。だが、自国民は引渡しの対象外なのである)。その一家をインドネシアで再会・滞在させるために政府が大枚の金を使い、マスコミが一斉に乗り込む。そんな国が世界のどこかにもし存在したら、変な国だと思わないだろうか。
 日本はどんどんと、誇りのない、背骨のない国になっていく……そのことに、日本人自身が気づかない。たとえ大衆が気づかなくても、国のリーダーは当然気づかなくてはならない。それがリーダーたるものの勤めである。

 選挙戦中、一度も更新しなかったにかかわらず、一日平均60件のアクセスがあった。任期切れ後は個人のホームページとして続けてほしいとの声もある。7月25日でいったん閉め、落ち着いたらまた開こうかと考えている。今度は法律事務所になっているが、またどうかアクセスしていただきたいと願っている。

Vol.113  新事務所 2004.6.21(月) 記   

 通称年金国会が16日に閉幕。

 年金の額は、将来の出生率(払う人)、平均余命の延び(貰う人)、かつ物価に左右されるから一義的には決まらないのだが、この年金法案は出生率が1.3を下らないことが前提だった。ところが、参院通過のすぐ後、マスコミに暴露されて出てきたら、驚愕の1.29! おそらくは昨年中には判明していたはずだが、大臣官房下の部署でありながら官房長にも大臣にも上げずに抱え込んでいた……またまた厚生労働省の悪弊が露呈されたわけである。

 国民は、将来のために真面目に積み立ててきた年金が一部官僚によってほしいままに無駄遣いされ、消えてしまったことに、心底腹を立てている。その責任を、誰も取らないのだ。損害も戻ってこない。この3年、改革の掛け声だけは勇ましいがその実体は郵政と道路公団の各論のみ。

 無駄遣いの温床でしかない天下り諸団体の解体、国民の税金から甘い汁を吸っている特権階級の解体(例えば、各種委員会委員で年収2000万円以上はざらだ)こそが改革の中核でなければならないはずなのだ。真面目に働けば必ず報われる――そうした社会こそが健全であり、であって初めて規範が保たれる。ではなく、真面目は損、楽をして金を儲けたい、そうした価値観が蔓延していることが、この国を徐々に、かつ確実に浸食しているのではないか。

 せっかくの有益な議論の場だったのに、ある意味では些末な、年金未加入・未納問題に特化させた野党の責任は大きい。そしてまた、自らの厚生年金加入問題に関して「人生いろいろ、会社もいろいろ、サラリーマンもいろいろ」と居直った小泉首相もまた、大いに非難されなければならない。日本は古来、言霊信仰の国である(このことは井沢元彦氏の著作に詳しい)。言葉がこれほど軽々しく扱われていいはずはない。まして国のトップであれば、その一言一言の重みは大きい。私はこの国を愛している。経済、治安、そして何より人を作る教育ががたがた崩れる音が聞こえてくるようになったのは、この10年ほどのことである。ことにこの2〜3年の緩みは大きい。

任期は7月25日まで、7月11日の選挙までは次の人が入ってくるはずもなく、当然それまで会館事務所にいるつもりだった。が、引退議員は会期終了まもなく出て行ってほしいとのこと。で、非常に慌ただしかったが思い切って、閉幕翌日の6月17日に引っ越した。もちろん電話は移送、ドアには移転先の張り紙をと考えていたのだが、どちらもにべもなく駄目とのこと。さすがお役所仕事だと、またまた呆れている。

 居場所がしれず迷惑をかけた人もすでに何人かいる。幸い今日から留守電応答できるようになって一応はほっとしている。外部への移転挨拶状もおいおい今日辺りから着くはずだ。

新事務所は
   102-0082 千代田区一番町9-23 一番町ビル6階 
   TEL :03ー3556-1081  FAX:03-3556ー1082

 

Vol.112 徹夜国会 2004.6.7(月) 記 

 徹夜国会――は先週末4日(金)午前11時半に始まった(〜土曜午前9時半)。

 その前日、参院厚労委員会では年金法案が「審議打切り動議」によっていわゆる強行採決されていた。対して野党は委員長解任決議案を提出、まずは民主党女性議員がその解任理由を、長々と、ほぼ無関係のことばかり、繰り返し執拗に述べて、なんと3時間経過。引き延ばし戦術は明らかだ。

 続く「討論」に入って、「反対」の自民7分、「賛成」の民主2時間10分(「論語」などからの引用が多く、若手議員だけに多くの先輩議員の顰蹙を買った)、そして共産1時間40分! で、すでに午後8時。そのまま採決に入って牛歩戦術がくるかと思いきや、「延会」手続きが採られて、再開0時10分! 

そこで採決に入り、野党は案の定牛歩戦術をとったが、粘る気はないらしく2時過ぎに終わる。いったん休憩に入って、3時半再開予定が実際は4時半再開――。

 信じられないことが起きたのは、そのときである。

 議長不信任案が次の議題であるとは知っていたが、まずは議長が登壇、その旨宣して副議長に代わるものと思っていた。だが、はなから副議長が登壇、開会宣言後すぐに「散会」宣言。すると、野党一同、わーと歓声を挙げて退場――事態が飲み込めないまま、われわれ与党議員は国対(国会対策委員会)指示の下、そのまま残った。

 するとまもなく議長が登壇、散会は無効と宣言(参院規則82条「議事日程に記載した案件の議事を終わったときは、議長は、散会を宣告することができる」とあり、散会要件を満たさない)、国会法22条にいう「議長・副議長に共に事故があるとき」に該当し、仮議長を選挙し議長の職務を行わせる場合にあたる、としていったん休憩を宣言したのである。

 民主党には「秘策」があると囁かれていた。これがそうだったとは。
「散会」は上記の場合以外、「議場を整理しがたいとき」になされる(「休憩」も同じ。国会法117条)。上記の「散会」はいずれの要件も満たしてはいない。だがその以前に、そもそも副議長は「議長に事故ある」(不信任決議案提出により)ために議長職に就いたのであって、その任は不信任決議案をかけること以外にはない。不信任決議が可決されるまでは依然として議長は議長職に留まっているのである。

 もしそうではなく、副議長がどんな議事進行でも出来るとなれば、不信任決議案を提出しさえすれば何でもできることになり、その不合理は火を見るより明らかだ。なぜこんな馬鹿げたことが起こったのか、私にはそのほうが不思議でならない。

 今回の一連の馬鹿げた騒動で、国民の政治離れ、政治不信をいっそう強く招いたことをわれわれは心から反省しなければならないと思う。もう参院選には行かない、貴女は引退を決めて正解だったね、という声もよく聞く。

 ちなみに私が机上に突っ伏している写真(午前8時頃撮影)が日経・毎日各夕刊に掲載されてしまった。不名誉なことだが、その前から睡眠不足が重なっていたところに加え、徹夜国会となって疲労困憊だった。5年前の徹夜国会(通信傍受法案等審議)の際には私だけ起きている写真が掲載されて面目躍如したものだが、やはりこの5年で体力が落ちたのは隠せない事実であろう。

 

Vol.111 任期が残り少なくなり...  2004.5.30(日) 記   

  前に書いたときから1週間位経ったかと思ったら、10日以上経っていた。それくらい慌ただしく、毎日があっという間に過ぎていく。

首相・官房長官と政務官らとの懇親会(5.26) 火・木は参院委員会の定例日で、私の所属する厚生労働委員会では懸案の年金法案を6〜7時間コースで審議している。政務官なので採決時以外は前に座るようにとのこと、答弁の出番がないのが残念だが(大臣ないし副大臣で済んでしまうし、技術的なことは局長が答える)、前に座っていると緊張するせいか、内容がよく頭に入る。それにしてもずっと同じ姿勢でいるせいだろう、肩が凝って疲れる。

 開会中のため夜もいろいろと行事が入る。朝にはいたって弱いのだが毎日たいてい早いし、政治家はやはり(選挙に代表されるように!)体力勝負だと思うことしきりである。

 26日夜はホテルオークラにて、首相・官房長官と政務官らとの会食が催された。

首相・官房長官と政務官らとの懇親会(5.26) 政務官会議は2週に1度、昼の時間に首相官邸で催されているが(シンプルな和食献立が主だが、御飯と漬け物が絶品で、楽しみにさえなっている)、夕食は、就任後8か月にして初めてのことだった。首相に勧められるまま、食事中、一人一人立って、2分程度の挨拶をする。

 後の人ほど挨拶が長くなる傾向がある。挨拶は短いに限る。とくに食事中に硬い話はいただけない。選挙応援でもそうだが、長ければいいというものでは、決してない。短くて心に残る、人がつい笑ってしまうような、ユーモアのある話。ただ、政務官になると質問ができないという苦情(?)には頷けた。

 政治家になって楽しかったことは様々にあったが、その一番が「質問」だと思い当たったときには自分でも意外だった。検事時代も公判が大好きだった。

 任期が残り少なくなった私の、ホームページ閲覧者が減らないのが、とてもありがたい。最後まできちんと仕事はこなすのはもちろん、以後立場は変わっても社会と国に貢献したいという気持ちは変わらない。

 

 

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