執筆佐々木知子弁護士事務所
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「多くの反応に心から感謝」

2010年
4月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 前回の選挙で落選し、引退された方がつぶやいた。「いつかは人間、幕を引かないといけないから」。
 何事にも終わりがある。残念だが本稿も最終回となった。早いもので5年。3年目頃ネタが切れて困ったことがあるが、あとは日常のちょっとしたことがヒントになり、毎月楽しみながら執筆していた。多くの反応を頂き、心から感謝申し上げる。
 この際、今後取り上げる予定だったネタをざっと書いておきたい。
1. 人は何か事が起こらないと分からない所がある。長年連れ添った夫婦でもそうだ。人は互いに向き合うのではなく、同じ方向を向いていることが大事だが、そうあり続けるには不断の努力が必要である。
2. 口の上手い人は信用できない。この理は一般人も弁護士など専門家も同じである。前号でも取り上げたが、責任を感じれば言葉はどうしても重くなる。軽く言うだけならお世辞も約束も簡単だ。
3. 人を見るには金銭感覚が重要な指標となる。お金を何にどう使うかにこそ、人の価値観は如実に表れる。ケチはだめ。浪費家もだめ。
 4. 何であれ基本が大事である。  学生には日頃口を酸っぱくして、基本が大事と言っている。民法、刑法が分からなければ特別法は使えない。恥を言うと、上手だと思いこんでいたピアノがいろいろな点で基本がなっていないことが最近分かり、愕然としている。一からやり直しだ。
5. 準備を万端に。
 その日持っていく物を玄関の決まった場所に置いておくことにして以来、忘れ物がなくなった。服装や髪の毛も綺麗に整えておくと気持ちがいい。  さて、ありがたいことに次号からは別コーナーを担当できることとなった。今後ともどうぞよろしくお願いします。

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「言葉が軽んじられる昨今
自分自身の言葉に責任を持つこと」

2010年
3月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 あるテレビ番組で、司会者が女性タレントに尋ねた。
「戦国武将は誰が好きですか」
「坂本龍馬です」
「えっ。龍馬は戦国武将ではないですよ」
「(ちょっと驚いて)ぶしょうって何ですか?」
「織田信長とか豊臣秀吉とか徳川家康とか」
「へえ」
 ああ、これだと思った。思ったことは二つ。
 一つは、語彙が不足していると文意が読みとれないということである。どの言語も結局は語彙を増やすことが上達につながるが、日本語の場合は端的に漢字力をつけることである。
 専門用語は分からなくて普通だが、学生に話していて、例えば「せんご」「はいせん」「せんりょう」など、理解されていないよう感じる。歴史に関する知識がないからであろう。一般に、生活にない語彙は必要がないため身に付かない。だからこそ新聞を読め、本を読めと言うのである。
 もう一つは、テキトー(「適当」ではない。)に言葉を発する人が私の周りにも結構いるということである。弁護士ですらいい加減な人が珍しくない。この頃私は性格が少し穏やかになって、人が約束を守らない、嘘をついたテキトーなことを言った、でいちいち腹を立てないようになった。これも年の功かもしれない。
 だがもちろん、人たるもの、言う以上は言ったことに責任を持たなければならないのは当然である。日本には古来、言霊信仰がある。言葉には魂が籠もるから、間違ったことを言ったり約束を違えたりすることはできないのである。
 言葉はすなわち人格そのものなのだ。重さの極みにあるべき言葉が、某国の首相はじめ、軽さの極みとなって、嘆かわしくて仕方がない。

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「若者に広がる活字離れに危機感
文章を読んで思考力を培う努力を」

2010年
2月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 活字離れが止まらない。
 かねてからの出版不況のうえ、新聞の購読者数が軒並み落ち込んでいるという。
 新聞は生活の必需品だと堅く信じてきた私だが、今の学生が新聞を読まないのは驚くばかりである。理由を聞くと、高いと言う。たしかに下宿者には高いだろうが、飲み代を少し削れば購読料くらいは出る。
 ニュースはネットで見られると彼らは言うが、ネットには社説・論説がない。各社生え抜きの論説委員が知恵を絞って書き込む記事は、思考力を培うのに格好の材料である。加えて、新聞では記事の軽重が一目で分かる。どの記事を何面に載せ、どれだけのスペースをさくか。どういう解説を、どの識者に書かせるか。各社が頭を捻るからこそ何紙も購読する価値があるのである。
 対するネットではどのニュースも同じに扱う。新しい順に更新され、古い分が消されていく。妻がワイドショーばかり見て、芸能も政治も同レベルの話題にすると嘆く知人がいるが、ネットがまさにそうである。そんな情報をいくら仕入れても知識とはならない。知識とは体系的なものだからである。
 人と接していて、軽いなあと感じることがある。物事を表面的にしか見ない、自分の言葉にならない……。これはそもそもの思考力が不足しているのである。考える力をつけるには、まずもってそうした文章が読めなければならない。漢字が読めるのは当然のことだ。読めなければ自ら考えることはできない。もちろん論理立って話すことも書くことも無理である。
 ネットは単にツールにすぎない。知識あってこその情報である。自らが使える器ではないのに、ただ便利だからとネットを使うのは危険である。だが活字離れは止まらない。どうすればいいのだろうと思う。

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「健康のありがたさを思い
感謝の気持ちを忘れずに持ち続ける」

2010年
1月

自由民主党女性誌
『りぶる』
  新年早々から私事で恐縮だが、昨年の終わり頃、突如頭痛に襲われた。
  大学生の頃は頭痛持ちだったが以後止んで、久しい。今回は頭や体を動かすと右側の一定部分がずきずき痛む。1週間続いたので受診したら、緊張性頭痛でしょうと、血行をよくする薬をくれた。処方された7日分を飲んだが頭痛も肩こりも治らない。その場合は頭痛外来に行くよう言われたが、検査漬けになるだけだと思い、そのままになっている。
 これで分かったことが二つある。風邪程度でもよく思うことだが、常がいかに恵まれていたかということが一つ。
 あと一つは、少々の痛みくらい大したことではないということだ。完全を望むからいけない。頭の左側も体の他の部分も痛まない。動かなければ大丈夫。それに、きっとそのうちに治る。
 耳鳴りに襲われて受診した黛まどかさん(俳人)は、手遅れで一生治らないと診断されたそうだ。ホテルで冷蔵庫も止めるほど音に敏感なのに、昼夜を問わず耳元で音が鳴り続ける苦痛。そのとき初めて、耳鳴りがあると言っていた知人の苦悩に思いが至ったという。世間には、治らないどころか悪化必至の難病に悩む方もおられる。
 人はとかく今ないことに思いを馳せがちだ。そうではなく、今あることに感謝をすべきなのだ。飲食店の人が書いていた。客が少なくて険しい顔でいたところ、「来てくれた客になぜ感謝をしないの?」と言われ、目から鱗であったと。たとえ今は仕事がうまくいかなくても、希望や努力を捨ててはいけない。健康がある、家族がいる。何より生きている。犯罪被害や事故で突如命を奪われる人が世の中には大勢いるのである。
 年頭にあたり、「今あるものに感謝」の気持ちを改めて持ちたいと思うのだ。

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「スポーツ界で活躍する若者に
準備する努力の大切さを学ぶ」

2009年
12月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 日本体操、復活である。
 北京五輪個人総合で銀を獲得した内村航平が、10月、ロンドンで開催された世界体操競技選手権大会で、ついに金に輝いた。弱冠20歳。女子も、17歳の鶴見虹子が個人総合銅を獲得した。日本女子体操では43年ぶり、2人目の快挙だという。彼女、種目別の段違い平行棒では銀を獲得。ブラボー!
 体操は高度な技とともに美を競うスポーツである。といえば、フィギュアスケートもそうだ。なぜかここ数年、日本が圧倒的に強い。やはり10月、グランプリフランス杯で織田信成(22歳)が優勝。浅田真央は2位だったが、続くロシア杯では安藤美姫が優勝した。
 2つの競技は、どの一つの演技を見ても人間業とは思えない。平均台の上を歩くだけでもすごい。氷上を滑るのは至難の業だ。それを3回転、4回転、捻り技……。目にも止まらぬ早さで正確に体を動かす彼・彼女たち。脱帽である。
 本番で難技を決めるには練習で120点が出ていることが必要だとよく聞く。100点満点でも不完全、それ以下は論外だ。余裕をもって毎回確実にこなせる程度でないと、本番での成功は望めない。まさに血のにじむような努力が、笑顔で披露される演技の背後に連綿として続いているのである。
 これは極端な例だとしても、我々にも同じことが言えるのではないかと思う。よく出来る人ほど実は日ごろ、たゆまぬ努力をしている。運よくたまたま成功なんてことは、それこそめったに起こらない。決して手を抜かず、万全の準備をしたうえで、本番に臨むべきなのだ。「人事を尽くして天命を待つ」。天命を待つために人間は己のできることはし尽くしておかねばならないのである。
 真剣勝負の若い競技者に学ばされる。

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「責任政党の原点に立ち返る
一致団結して党再生の一歩を」

2009年
11月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 「祇園精舎の鐘の声……」
 愛唱している平家物語の一節が浮かんだ。開票速報の夜のことだ。
 「平氏を滅ぼす者は平氏なり、 鎌倉を滅ぼす者は鎌倉なり」
 こちらは家康の言葉である。
 家康は人質時代、相当に勉強したという。愛読書の一つに鎌倉幕府の盛衰を描いた「吾妻鏡」がある。鎌倉(源氏→北条氏)はなぜ滅びたか。平氏はなぜ滅びたか。家康は考える。外の敵に滅ぼされたのではない、内部から崩壊したのだと。奢って慢心する、初心を忘れて贅沢になる、内部がばらばらになる、そして滅びたのだと。
 今回はまさしくそれであったと私は思う。国民は決して民主党を信任し、まして英国発祥のマニフェストなるものを必ず履行してもらうべく、民主党に票を入れたのではない。自民党に嫌気がさした、その受け皿が民主党であった。度重なる総理職の投げだし、閣僚のスキャンダル、もう嫌だというのが国民の偽らざる気持ちであろう。
 長らくかけて悪くしてきたものを良くするのは至難の業である。だが自民党は今こそ原点に立ち返り、国家国民に責任を持つ、毅然とした保守政党にならなければならない。健全な与党には健全な野党が必要だ。かつての某党のように、与党の揚げ足取り、批判に終始してはならない。二大政党制は政局ではなく政策が肝要である。人材を育てなければならない。
 最も大切なことは、一致団結することだ。子どもに危機が生じれば普段は仲が悪い夫婦でも結束をする。外国に対して国が一つにまとまらなければ戦う前から敗北である。誰が悪い、これが悪いといった批判は誰の尊敬も得られない。内部すらまとまらないのでは組織の信用を甚だ害し、自滅につながることをまずもって銘じ、目を覚ますことが党再生の一歩であろう。

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「当たり前ではない幸せをふり返り
豊かな生活に感謝の気持ちを」

2009年
10月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 何げなくテレビをつけたら、華麗な民族衣装の少女が映っている。ベトナムの少数民族だそうだ。その部落では年に3日間、若い男女が集って見合いをするが、そのときの女性の衣装が見ものなのである。
 主人公の青年は、2年続けて失敗、今年こそは相手を見つけたいと、家族ともども願っている。簡素な家に暮らす両親もまた、そこで知り合い、一緒になった。一家で農作業に勤しむ毎日。青年は今回見事に成功、可愛い女性のハートを掴み、自転車に乗せて、家に連れ帰ってきた。皆とても幸せそうだ。放映用の出来レースの感もあるが、私もつい微笑んでしまう。
 そうなのだ。世の中にはまだまだこんな生活をしている人が大勢いるのだ。一日ただ働き、ご飯を食べ、子どもを生み育て、老いて死ぬ。それでも、戦争があることを思えば、疫病や栄養失調で死ぬことを思えば、子どもが物乞いや身売りに出されることを思えば、うんと幸せな人生なのだ。
 この国でもほんの1世紀前まで、人は生きるに精一杯だった。一握りの富裕な貴族も大名も、今の基準からすれば食事はじめすべてが質素だった。歌にいう「逢う」は文字通り、男女が会って交わること以外にはなかった。デートはない。映画館もデパートも旅行もない。そして60年前、この国は焼け野原から驚異的に復活を遂げ、高度成長期を経て急激に、何でもありの生活となった。
  この生活は、人類の歴史上、決して当たり前ではないのである。いったん当たり前になると、人は感謝を忘れ、不足を言いだす。老子いわく、「足るを知る」。世界に目をやり、先人の苦労に思いを馳せ、珍しいほどの豊かな生活を、今ひととき味わわせていただいているという感謝の気持ちを持っていたいものである。

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「辻井伸行さんの音楽に魅せられて
今後の活躍を心から応援したい」

2009年
9月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 暗いニュースが続く中、久々に明るい話題に接した。「20歳の辻井伸行さん、バン・クライバーンコンクールに優勝」。
 日本人が栄えあるコンクールに優勝すること自体非常に慶賀なことであるが、ことに辻井さんは生まれつきの全盲である。どれほどの御苦労があったことか。何であれ楽器演奏は、まずは楽譜の読み方を教わり、見よう見まねで演奏の仕方を学ぶことから始まる。視覚が不自由であることはそれだけでおそろしくハンディである。
 それでもバイオリンとかフルートであれば、指が届く範囲に音があり、いったんコツを会得した後はさほど難しくないかもしれない。だが、ピアノの鍵盤は左右に広がり、中にはリストの「ラカンパネラ」のように、指がばんばん跳躍する超絶技巧曲もある。目が見える人でも音を外すのだから、辻井さんの指には目がついているのかと米国の聴衆がびっくりしたのは当然である。
 天賦の才はハンディなど易々と超えてしまったのであろう。天才は、曲を聴いただけで、調・和音・音楽の構成を直ちに理解し、すぐさま再現できるという。羨ましい限りである。そんな特殊な耳と頭脳があれば、目はさして重要ではないのかもしれない。彼に聞こえる音楽、自ら奏でる音楽にはきっといろいろな色彩があり、様々な宇宙を創造しているのであろう。
 辻井さんの才能はひとり演奏を超えて編曲・作曲にも及んでいる。親しみやすい明るい性格は、今回辻井さんと共に脚光を浴びた元アナウンサーのお母様、産婦人科医のお父様の、豊かな人間性と愛情によって育まれてきたものであろう。
 辻井さんのお陰で、にわかにクラシックファンが増え、とても嬉しい。今後の活躍を心から応援したい。
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「検事になるきっかけとなった
指導検事との思い出」

2009年
8月

自由民主党女性誌
『りぶる』
  人生は人との出会いの連続だが、その中に、人生を変える出会いがある。
  検察修習の指導係だったK検事はその一人である。人なつこい丸顔にはにかんだ笑みを浮かべ、修習生室に元気に入ってくる姿が今も記憶に鮮やかだ。
 神戸地検では司法修習同期26人を半分に分け、各4ヶ月、実務修習をさせていた。修習生には適宜事件が割り振られ、取り調べをし、公判立ち会いもする。ここで司法解剖も経験した。

  司法試験に合格しただけの若造相手に、大変な毎日だったはずだが、K検事はいつも泰然としていた
  私にやる気があるからと、殺人事件も任せてくれた。夫に女が出来たと思いこんだ妻が、子ども2人を道連れに鉄道自殺を図り、自分だけ生き残った事件。「夫の落ち度とか、被疑者に有利なことを調べるのは弁護士の仕事でしょう」と言う私に、彼は言った。「いや、検察は公益の代表者や。調べられるものは何でも調べるんや」
 真相解明はもちろん、被疑者の更生も検事の大事な仕事である。K検事は常に親身だった。「親が悲しんとるで。あんたもええ加減、立ち直らんとなあ」。

 検察修習で検事を見直す修習生は多い。大学では冤罪を作る鬼検事としか教わらないのだ。K検事はやがて熱心に私に任官を勧めてくれた。弁護士にはいつでもなれる、とりあえずなろうやとも。
 私を含め、何人もがK検事の人柄にひかれ、任官した。その実績を買われ、彼は後に司法研修所教官に抜擢された。自然体で敬愛される人だった。

 振り返って、K検事があのときまだ34歳だったという事実に胸を打たれる。検事正を最後に退官後公証人となり、だがまもなく胃癌に冒され、先般帰らぬ人となった。享年62歳。惜しまれてならない。
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「区切りの年を迎え,思い巡らす
弁護士という仕事に就いて」

2009年
7月

自由民主党女性誌
『りぶる』
  この7月末、国会議員を辞めて弁護士になって、ちょうど5年が来る。
  5年は大きな区切りである。以前この稿に、弁護士で難しいことは、お金の取り方と依頼者との距離の取り方と書いたが、そのコツも大方掴めて、楽になった。
 弁護士としての信条は、一つ一つの案件を、その大小にかかわらず、確実に、丁寧にこなすことである。縁あって私に持ち込まれた以上、他のどの弁護士に頼むよりも良い結果にならなければ、紹介者・依頼者に申し訳ない。というよりそれは自身の矜持の問題であると、最近気がついた。こうしておけばもっと良い結果になったかもしれないと、たとえ僅かでも悔いが残るのが嫌なのだ。
 精一杯努力した結果、一般には勝てないと思われる訴訟に勝ったときの嬉しさ、起訴当然の事件を起訴猶予に持ち込めたときの喜び、これらは何ものにも替えがたい。お金を貰って、感謝してもらえて、いい職業だなと思う。忙しくて連日休みなしになってもちっとも辛くはないのは、仕事が趣味に近いからであろう。
  傍ら週1日、3コマ教えている大学も、今春5年目を迎えてようやく、自分のスタイルを確立した感がある。昨年から家裁調停委員、今年から弁護士会の綱紀委員も加わる。弁護士に対する懲戒申し立てを審理する部署である。
 公私にかかわらず、人から誘われ頼まれることは、ありがたいことである。前半生をだいぶ我が儘にやってきた分、後半生はできるだけ人のために生きようと決めている。
 実は5周年記念にピアノ演奏会を開きたかったのだが、残念ながら余裕がなく、ただ皆さまに心からの感謝を捧げたいと思います。続く5年がさらに充実したものとなりますように!
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「日本が世界に誇る歌舞伎
 伝統がすたれず生き残るには」

2009年
6月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 久々に歌舞伎を観た。歌舞伎ファンの、大先輩の弁護士に誘われたのだ。
 10年以上も前、私はよく歌舞伎を観ていた。たまたま東京にあるアジア極東犯罪防止研修所勤務となり、外国人に同行したのがきっかけである。英語のイヤホンガイドでは足りず、様々な質問を投げてくるが、答えられない。日本人がこれでは恥ずかしいと感じたのだ。
 歌舞伎は、世界に数ある演劇の中、ことに様式美に優れる芸術だ。絢爛豪華な衣装、回し舞台、そして花道。赤穂浪士討入りや源平合戦、伊達家お家騒動など、生きた歴史もそこにはある。花魁も遊女も心中も日常茶飯の世界である。
というのは表向き、私がファンになったのは実は片岡孝夫(仁左衛門)と坂東玉三郎のファンだったからだ。共に細身の長身。細面、色白の美形。加えて、佇まいの気品。観客はいっせいに身を乗り出し、双眼鏡で一挙手一投足を見つめる。それを見ているだけで楽しい。
 久しぶりの歌舞伎座に、2人は健在だった。大店の若旦那が太夫を身請けする出し物でのコンビだ。同伴者が言う。「身請けの金って、最近の若い人には分からないのだって」。それはそうだろう。今ない言葉は分からない。ちんぷんかんぷんでは遠ざかるのは必定だ。愛好者を増やさなければ歌舞伎もすたれてしまう。
 しかし、長いねえ。午後9時半終了後、大先輩が漏らした言葉に、相づちを打つ。夜の部は午後4時半に始まり、出し物3つの合間に休憩は30分。正味4時間半、同じ姿勢で座るのは、現代人には酷である。日に3回転させ、一回の出し物はせいぜい2つとして、その分観劇料を安くしてはどうか。
 守るものは守る、変えるものは変える。何事であれ、それはきっと生き残る智恵である。
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「60年の時を経て届いた恋文
 過酷な時代に懸命に生きた人々の姿」

2009年
5月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 寝しなにテレビをつけたら、なんとも感動的な語りに引きこまれ、最後まで見入ってしまった。涙が頬を伝う。テレビでは珍しいことだ。
 70分ドキュメンタリー、「あの夏〜60年目の恋文〜」。平成18年夏に放映されて反響が大きく、何度か再放送されているらしい。
 原作は、川口汐子・岩佐寿弥の往復書簡集「あの夏、少年はいた」(れんが書房新社)。小学4年生の岩佐さんは、奈良女子師範から来た10歳年上の雪山先生に胸をときめかせた。先生はお嫁にいき、実に60年後、ひょんなことからその消息を知った元少年、長じてテレビディレクターは、意を決して、長い恋文を書くのである。
「突然の手紙を差し上げるご無礼をお許しください。……あの昭和19年夏、ご本人の計り知れないところでこれほどまでに恋い焦がれていた少年がいたことを、素直に受け止めていただきたいと思うのです」。60年が一息に巻き返され、息もつまりそうになりながら、先生は長い返事をしたためる。朗読される手紙の、なんという格調の高さ、なんという美しい響き。文通は続き、2人は会う。番組にはお2人が登場する。互いの家族、そして教え子たちも。
 後に歌人・児童文学者となった先生が1ヶ月半の教生生活を丹念に綴っていた日記が番組を支える。魅力的な先生の情熱と活気に応え、輝く生徒たち。戦争という過酷な時代にあっても人は懸命に生きていた。人が出会い、思い出を作り、互いに想い合う素晴らしさ。懸命に生きる人はそれぞれに皆、美しい。
 しかし……別のことも思わされる。やはり、手紙にしくはないと。私の愛読書、宮本輝著「錦繍」は手紙文学の傑作だ。息づかいの伝わる手紙がすたれ、手軽なメールばかりでは人間関係も希薄になるはずである。

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「出会いの季節,一期一会を大切に
 調停委員の仕事から学んだこと」

2009年
4月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 昨春家裁の調停委員になり、ほぼ1年が経った。
 家事調停といえば離婚と遺産分割だが、弁護士調停委員はもっぱら遺産分割に携わっている。離婚よりもはるかに法律的知識が必要だからであろう。
 調停は必ず男女ペアで臨み、また弁護士は一般と組むので、私の相棒は男性の一般調停委員である。公務員・教員・サラリーマンを退職された方が多く、皆とても熱心だ。
 調停委員の在り方を一言でいうと、「公平に当事者双方の言い分をよく聞くこと」である。そんな主張は法律的に認められないよとばかり、上から目線で説教していては、当事者がそっぽを向く。弁護士がついていない場合はよけいである。
「聞くこと」。これには大変な労力が要る。カウンセラーや精神科医も同様だが、親身になって聞かないといけないし、相づちを打ちすぎても、打たなさすぎてもよくない。話している途中に口を挟むのはよくないが、適当には挟まないと進まない。私などに務まるか、当初不安だったが、なんとかやれている。どころか、実に面白い。
 先般、先妻の子対後妻(弁護士なし!)の、感情的対立これぞ極まれりの案件が無事にまとまったときなど、どれほど嬉しかったか。日当はほぼボランティアに近いのだが。
 私が常に心がけているのは、笑顔でいることだ。特に、最初の瞬間。調停室に入ってくる相手の緊張を解きほぐす顔をし、声を出す。こちらにとってはいくつもある調停の一つにすぎなくても、多くの当事者にとっては人生にただ一度のことであろう。話をよく聞いてくれる、公平な調停委員だったかそうでなかったかで、裁判所へのイメージも大いに変わる。
 一期一会。4月、新入生も来る。どんな出会いも大事にしたい、と改めて思う。

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「真の価値を見失う現代にあって
 人に感動を与える芸術とは」

2009年
3月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 クラシック音楽を毎日聞いている。CDやラジオ・テレビが多いが、たまに演奏会に行く。生演奏は最高だが、生だから良いとも限らない。
有名な人でもえっという場合もあるし、コンクール歴も決して当てにはならないようだ。クラシックでもやはりルックスや激烈なうたい文句が大事なのかもしれない。
 私がよく分かるのはピアノなのだが、正直なところテクニックが目立つ人が多いと感じる。音に魂がこもらず、音楽への愛情の感じられない演奏。時間とお金を使って、心が冷えてはつまらない。それでも盛んに拍手を送っている人がいるのは、日頃良いピアノの音に接していないからかもしれない。
 芸術の神髄はやはり感動にあると思う。涙が溢れ、生きていてよかったと思わせてくれる力こそが芸術だと思う。世紀のソプラノ、アンナ・ネトレプコは言う。「声がいくら良くても、歌がいくら上手でも、それだけで人に感動を与えることはできない。それはsoul(魂)だ」と。

 私が最も好きなドイツのピアニスト、今は亡きウィルヘルム・ケンプの演奏には魂が籠もっていた。テクニックにさほどの評価はなかったが、真摯な、気品に満ちたその演奏は、一つ一つの音を通して、聴衆に感動を与えた。温かい、敬虔な人柄を感じることができた。
 しかし今や、音楽や芸術に限らず、社会の隅々に、小手先のテクニック、言葉や態度が蔓延しているような気がする。真摯、敬虔、気品といった、真の価値が忘れ去られているように感じる。お金がなくては人は生きてはいけないけれど、それにのみあくせくしていては、肝心の心を見失う。
 未曾有の危機にあるからこそ、今一度、原点に立ち返ってと祈りたい気持ちである。

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「希望の実現に向かって努力する
 作家活動がもたらしたもの」

2009年
2月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 近頃とんと読書をしないことに気が付いた。読むのは新聞、仕事絡みの本・雑誌、加えて贈呈本だけだ。
 もちろんそれだけでも結構な量があり、相変わらず活字漬けの毎日ではあるのだが、かつては自ら欲求した本を、寝しなや通勤に読んでいた。その読書習慣が、いつのまにか抜け落ちている。それで分かったことは、私は生来さほどの本好きではなかったということである。心底好きなものは死ぬまで好きなはずだからだ。
 と理解して、気が楽になった。実は以前から、薄々気がついてはいたのだ。私の読書たるや、質量ともに、いわゆる知識人のそれとは比べるべくもないことに。ただ認めるのに抵抗があった。なぜか。
 ちょっとした文学少女だった私は、長じて小説を書くようになった。結果、幸運にも作家としてデビューすることができた。本当に、どれほど作家に憧れ、作家業を続けたかったことか。だが、私はまもなく筆を折る。無から有を産む芸当を職業とするには、欲求や努力だけでは足りない、才能が必要だと思い知ったのである。
 だが、冷静に考えて、私が現在あるのは、小説を書いたお陰である。検事で作家だったからこそ、政治家にとの声がかかった。ここで、決して出会うことのない方々を知ることができた。やめた後はすぐに独立開業ができた。運命の変転は、あの一時期の、何かに取り憑かれたような欲求と努力の賜なのである。
 なんだか「藁しべ長者」みたいだなと思う。一本の藁しべから、運命が幾重にも好転し、最後に長者になるという、私好みのストーリー。人生、まずは希望である。そして実現に向かって努力をすること。そのうえで諦めるのはいいが、やらない前から諦めてはいけない。

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「自分が変われば人も変わる
 自分が変わらなければ何も変わらない」

2009年
 1月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 また新しい年である。
 当然ながら、また一つ、年を取る。
 悲しいことである。だんだんと皺やしみが増え、白髪も増えてきた。体もたるんでしまりがなくなり、動きが鈍くなっている。若い人は綺麗でいいな、羨ましいなと思う。若い時には気がつかないが、若いことはそれだけで素晴らしいことなのである。
 ただ、冷静に考えると、加齢は悪いことばかりではないと思える。精神的にはむしろ良いことが多いように思う。私は成長が人より遅いのかもしれないが、ようやくに自分というもの分かってきて、ずいぶんと生きやすくなったのだ。
 私は短気で、狭量で、完全主義者なのだ。だから他人を受け入れにくかった。だが、人にもそれぞれの考え方、生き方があり、みな一生懸命にやっているのだと思えるようになって、対応が穏やかになった。
 自分が優しくなったからだろう、周りも私に優しくなった。自分が変われば人も変わる。自分が変わらなければ何も変わらない。本当に、もっと若い時にこの処世術が会得できていれば、人生もっと充実していただろうにと残念である。
 人生の有限が見えてきだすと、すべてが愛おしくなる。今見ている何気ない光景もいつか必ず見えなくなる。今話している人ともいつかは話せなくなる。年を取ると涙もろくなるのは感受性が研ぎ澄まされてくるからなのだ。
 とはいうものの、身体的にはやはりアンチエイジング(抗加齢)でいきたい。もともと堅い体が昨今ますます堅くなり、不自由になってきたので、体を動かすことを今年の目標にしようかなと思う。60歳でなお美しい前田美波里さんのようにはいくまいが、せめて努力だけはしたいものである。
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「伝えられなかった感謝の言葉とともに
 悔いのない人生を生きるために」

2008年 12月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 おかげさまで、弁護士業も早や4年になる。この間、周りの人に大いに助けられてきたが、今年はとても悲しい年になった。格別お世話になった方が亡くなったのだ。
 5月に食事の約束をしていたが、入院するのでと断りが入った。その後、電話で何度か仕事の話はしたが、4ヶ月後、突然の訃報となった。
 最後にお会いしたのは3月だった。それが最後になるとは考えもしなかった。分かっていれば、どうしても言っておきたいことがあった。「本当にありがとうございました」。私がどれほど感謝をしているか、永久に伝える術はない。それが大きな悔いである。
 生老病死。人は必ずや死ぬのだが、最後の挨拶ができないことがこれほど辛いとは知らなかった。思いきって携帯電話の登録を消したとき、二度と声を聞くことのない現実の重さが、胸に押し寄せてきた。
年齢のせいだろう、私の周りにも死が増えてきた。死因は断然、癌が多い。寿命が延びた分、かかりやすくなったそうだが、若くして逝く人も珍しくはない。自覚症状が出たときにはすでに手遅れ。それどころか、検診を受けたら末期だったという話もある。
 余命あといくらと宣告されたら、私はどうするだろうか。行きたかった所に行くだけの気力があるだろうか。死に出の旅の準備を整え、周りの人にも気配りができるだろうか。否、自暴自棄になり、あたふたするだけで、とてもとても、そんなことはできそうにない。
 明日がをあることを前提に、人はその日を生きている。だがしょせん、生は有限なのである。いかに悔いなく生きるか。結局はやはり、毎日を充実して生きることしかないのだろう。
 身につまされて人生を考えた今年も、まもなく終わる。

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「一流の総合芸術に触れる
 芸術の秋にオペラ鑑賞のススメ」

2008年 11月

自由民主党女性誌
『りぶる』
食欲の秋、芸術の秋。
 最近、オペラにすっかり嵌っている。
 ピアノを4歳から習い、楽器は何でも好きだったが、なぜか声楽は苦手だった。普通ではない声を張り上げ、大したことでもない愛やら恋やらを、大仰な表情で歌われると、こちらのほうが恥ずかしくなる……。
 と言うと、大学の恩師からまじまじと言われた。「私はどんな楽器より、人間の声ほど美しいものはないと思っています」。彼は、当時の大ソプラノ歌手マリア・カラスではなく、大メゾソプラノ歌手、シミオナートの大ファンだった。
 その後私は、徐々に、声楽も好きになった。歌曲もオペラも、どちらもいい。結局のところ、一流の歌手が歌う本物の歌は、素晴らしいのである。
 ことにオペラは、演劇に加え、管弦楽と声楽から成る、総合芸術の極致である。ベートーベンは「フィデリオ」一曲、ブラームスはゼロ(いわく「結婚とオペラは諦めた」)だが、モーツアルト、ベルディ、プッチーニ、ワグナーなど、その演目は数多く、同じ物でも演出や指揮、配役によって別物になる。実に奥深いのである。
 好きになるコツは、芸術すべてに共通することだが、とにかく一流に接することである。私のお薦めはアンナ・ネトレプコ。当代きっての美人ソプラノ歌手だ。71年、ロシア生まれ。今や実力・人気共に世界一で、歌えるオードリー・ヘップバーンとも称される。透き通った美しい声、正確な音程。清純派から官能派まで、幅広い役柄を自然にこなせる演技力。来日オペラは高くて入手が困難だが、DVDでもその魅力が堪能できるので、是非観てほしい。
 愛と官能と死の世界、オペラ。きな臭いこの世をしばし離れ、夢の世界に浸るのは、精神衛生にとてもいい。

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「世界の料理を洗練してきた日本
 豊かな食文化を次の世代へ」

2008年 10月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 私は、自他共に認めるグルメである。 
 美味しい店の情報はメモをし、丹念に出かけていく。すごいエネルギー、執念だね、とよく言われるが、単純に、美味しい物が食べたいだけである。未知なる食材、未知なる美味に出会えば感激し、生きていてよかったとすら思えてくる。食欲は本能だから、まさに美味は、人生の醍醐味だと思う。
 国外で出会った、とくに忘れがたい味を挙げる。パリ郊外でのフォアグラ料理。ジュネーブでのスープフォンデュー(鍋物)。日本でも食べられるオイルフォンデューやチーズフォンデューとは別物だ。そして、ベトナム・ハノイでのエスカルゴ。蒸して現地の調味料をつけて食べるだけの単純な代物だが、本場フランスのとは違う美味で、3人前を平らげた。
 数え切れないほど行った海外で、数えるほどしか感激の美味に出会わないのは、国内で多種多様の美味に馴染んでいるせいだろう。イタリアンもフレンチも中華も、現地より日本のほうが美味しいと思うのは私だけではない。今や東京ほど、世界中の料理を、かつまた洗練度の高い料理を味わえる都市は、他にない。
 日本での食は文化なのである。魚といえば単語が一つしかない国もあるが、日本では出世魚がいくつもある。山菜も様々に使い、食材が豊富。自然に恵まれ、自然と一体化した日本人の繊細さが食を育んできた。季節や食材によって器を選び、掛け軸を替えて、客をもてなす国。まず視覚から食欲に訴える日本料理からフランス料理が学んだことは多い。
 耳は3代、舌は5代という。スナック菓子やコンビニ弁当で育つ世代に、文化は継承されるのだろうか。母の味は、愛情でもあり、また文化の継承でもあるはずだ。
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「まもなく始まる裁判員制度
 よく尋ねられる質問は……」

2008年 9月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 裁判員制について尋ねられることが増えた。
 市民の刑事裁判参加は、陪審制や参審制など、先進諸国ではすでにお馴染みだ。日本では4年前、法曹人口の増員、日本版ロースクールの設置など、司法制度改革の一環として、導入が決まった。5年の周知期間を経て、来年5月に始動する。裁判官3人と裁判員6人が合議し、事実認定はもちろん、量刑も決めるのだ。死刑判決もある。
 よく受ける質問からいくつか。
1. 誰が選ばれるの?
 20歳以上の選挙民から無作為抽出。法曹など一定の職業は除外され、70歳以上や学生、介護や育児に多忙などの理由がある場合には辞退が認められます。
2. 出頭しない場合の制裁は? 10万円以下の過料(刑事罰ではなく行政罰)がありえます。
3. どんな事件を審理するの? 死刑・無期刑の定めがあるか、故意の犯罪で被害者を死亡させた事件、つまり殺人や危険運転致死など一定の重大犯罪のみ。年約3000件、刑事事件全体の3%程度です。
4. 審理の拘束期間は?
 法曹3者が事前の話し合いで争点・証拠を絞り込み、3日を目処にしますが、難しい事件ではもっとかかるでしょう。
5. マスコミの取材や
 お礼参りは大丈夫ですか?
 暴力団関係事件などは裁判官だけで審理しますし、マスコミも取材自粛を申し合わせています。日当は1万円限度、など。
 とはいえ、実際どうなるか、始まってみないと分からないことも多い。
 民衆が民主主義を「血と汗で勝ち取った」歴史を持つ欧米では、裁判参加は民衆の「権利」である。日本では「お上」への信頼が厚く、こうした制度は不要だと私は猛反対したし、未だに持論は変わらないが、ここに至れば、うまく機能してほしいと祈る気持ちである。
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「治安の安定をも左右する
ワーキングプア問題は喫緊の課題」

2008年
8月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 我ながらなんという卓見であったろう。「ワーキングプア問題」を取り上げたのは2月号。
年収200万円以下の貧困労働者が1000万人を超えた実態を捉え、私はこう指摘した。「貧困は古今東西、犯罪を生む最大要因でもあるから、治安対策にも必須の課題である。日本の治安の良さは、教育によるモラルの高さに加え、経済的な安定によって保たれてきた。」
 5月、江東区マンションで女性遺体逸失事件が起こった。そして、6月。犯罪史上に残る秋葉原の大量通り魔事件が起きた。
 犯人はどちらも派遣社員だった。
 犯罪を個別に見ればそれぞれ要因があり、派遣だから、貧困だから、ということはないが、全体的に見れば、社会を映し出す鏡となる。契約更新があるのか、次の雇用があるのか分からない、明日が知れない人生は絶望と裏腹だ。秋葉原犯人は、25歳にしてすでに、独りぼっちの老後を描いていた。
「人は夢を失ったときに老いる」とは、ウェルマン『青春の詩』。負け組の人生が早くに確定すれば、自殺するか、さもなくば社会に怒りを爆発させるか。理不尽であるにしろ、犯罪予備軍がうごめている気配がひしひしと感じられる。
「必要な時に必要な人材を」。これは使う側の論理である。労働者は会社に搾取され、派遣業者にも搾取される。要らなくなったら使い捨て、では物と同じである。
 会社の社会的貢献とは「何よりも雇用を作ること」だと、名企業経営者・永守重信氏は言う。寄附でもなければ、ましてリストラして利益を上げることではない。人は、能力より意欲だと彼は言う。
 働く意欲があっても働く場を与えられない人たち。ワーキングプア問題は社会安定のために喫緊の課題なのである。
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「身の丈に合ったお金を使い」
お金の生きる使い方を知ること」

2008年
7月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 美容院には月に一度、まめに行く。そこで高級婦人雑誌が読めるのはささやかな楽しみである。
 ページを捲ると、贅沢な美の世界が広がる。世界や日本の観光地、美食の数々。ブランドの宝飾品や服飾品。値段を見て、びっくりするのは毎度のことだ。宝石は千万円単位、服やバッグも百万円を超えたりする。こういうのを普通に買っている人たちがいるのよねえ。少しの羨望を、たしかに感じる。
 だが、手が届かない物はしょせん仕方がない。無理をしない範囲でお洒落はできるし、反対に、お金があれば素敵に着こなせるとも限らない。まして幸せかどうかは別ものだ。幸せとは、苦労なく与えられることではなく、あと少し頑張ったら手が届く、そのために努力しようと思える状態であるからだ。
 しかし、世の中には、身の丈を超えて金や物を追い求める人が、結構いる。買い物依存症の人たちの心は常に飢餓状態で、借金をしてでもブランド物を買いあさる。詐欺で稼いで、パチンコやブランド物、高級飲食店でそれこそ湯水のように使いまくっていた女もいた。出所後はまた繰り返す。俗にいう「飲む打つ買う」は、犯罪に走る三大動機である。
 先日、自己破産希望の男性から法律相談を受けたのだが、唯一の趣味の競馬、職業としての投資を続けたいとのこと。それでは債務の免責はされないだろうと答えると、困りましたと言う。それこそ困った人である。
 生きていく背骨に金銭感覚があると、私はずっと思っている。生き方は金の使い方に如実に表れるからだ。何にどう、いくら使うか。ケチは駄目、さりとて浪費家も駄目。相性がいい人というのは金銭感覚が合う人だということも分かってきた。
 粋な人、素敵な人は金の生きる使い方を知っている。
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「世界に誇るべき名作「源氏物語」
日本の文化をもう一度読み直す」

2008年
6月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 今年は「源氏物語」千年紀である。レディ紫の物語は世界初の長編小説なのである。
 以後世界中で数え切れない小説が生まれたが、依然、世界十大小説の一つに挙げられる。それほどの傑作が日本で、しかも女性の手に成った。誇らしいことである。現代語訳で何度か読んだが、たしかに面白い。古今東西の名作すべてに共通することだが、時代・文化の相違を越え、そこには人の普遍性が謳われる。
 天皇に寵愛され、嫉妬を買った挙げ句、早死にした美貌の母。光り輝く貴公子・光源氏はドンファンで、亡母に似た義母(藤壺女御)とも通じる。義母は不義の子を出産。源氏は、義母に似るその姪を幼少時から引き取り、理想の女性に仕立て上げる(紫上)。だが、腹違いの兄の頼みを断り切れず、その幼い娘を正妻に据えるのだ(女三の宮)。紫上の限りない悲嘆。そして、逝去。正妻は若い貴公子と通じ、不義の子を産む。因果応報こそが源氏物語最大の主題である。紫上に先立たれた源氏は女性にも関心を失い、やがて出家する。
当時の風俗も面白い。高貴の女性は外を出歩かないから、美しさはあくまで噂でしかない。恋心を募らせ、歌を交わし、従者が女中をうまく手なずけて、ようやく忍び込む。恋の成就である。だが、朝見たら醜女でびっくり、ということもある(末摘花)。女としては男が来なくなったらお終いなのだが、源氏は、一度契った女の面倒は見続けるという律儀さを持つ。
 我々はもっと自国の文化を誇っていい。いや、誇るべきだ。金や経済ではなく、文化こそが世界共通の財産であり、最も尊敬を得られるものなのだから。まずは我々自身が知るべきなのだ。
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「仏教文化を学んだら,目から鱗
日本語の素晴らしさが見えてきた」

2008年
5月

自由民主党女性誌
『りぶる』
哲学、宗教関係の本をまとめて買い込んだ。
 実はとうの昔からうすうす気付いていたのだが、西洋人の背骨にはキリスト教があり、その芸術を理解するには、歴史や宗教の理解が不可欠なのである。そのため遅まきながら、一般教養のレベルでいろいろと読み始めたら、これが実に面白いのだ。
 旧約聖書(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の聖典)、新約聖書(キリスト教)、コーラン(イスラム教)、あるいはギリシア神話など。併行して、仏教関係の本も読み始めたところ、こちらは非常に言葉の勉強になると気が付いた。
 日本語の日常の言葉には実に仏教用語が多いのである。その中にはサンスクリット語(古代インドの典礼語で、梵語ともいう)の表音をそのまま漢字に当てはめたものが多いという。例えば、嘘も「方便」、「阿吽(あうん)」の呼吸、あるいは「南無」(「帰依する」を意味する「ナマス」から)、またはシャリ(身体を意味する「シャリーラ」。真っ白な米粒が遺骨に似ているから)。
「しゃかりき」が「釈迦力」で、「ガタピシ」は「我他彼此」。我と他者、あれとこれというように物事を対立させ、縁起から離れて衝突を生じた様子である。僧服は黒で「玄人」、対する一般人は白い人の意味で「素人」であるなど、まさに目から鱗の連続である。
 ちなみに京都の祇園は、平安時代に藤原基経が自分の屋敷を寺にし、インドの祇園精舎の故事にちなんで祇園社と名付けたのが起源であるそうな。また、「他力本願」は他人頼みの悪い意味で使われるが、本来親鸞の「他力」とは、阿弥陀仏の誓いの力のことである。 言葉は実に文化そのものなのだ。
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「過去を思い,未来のために
軍歌を聴いて思うこと」

2008年
4月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 立春を過ぎた頃、顧問先に誘われて、軍歌祭に初めて行ってみた。
 今年で22回目だという。300人位いる会場は熱気でむんむんしている。多いのは年配の男性だ。前方で楽団が演奏し、それに併せて参加者が適宜ステージに出て合唱する趣向である。
 トップは「予科練の歌」である。「若い血潮の予科練の 七つ釦は桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ霞が浦にゃ でかい希望の雲が湧く」。配られた歌集には作詞西条八十とある。あと知っているところで、「暁に祈る」「ラバウル小唄」「空の神兵」など、計10曲。
 その後、「りんごの歌」や「青い山脈」など懐かしのメロディ10曲を挟んで、後半の軍歌10曲に移った。「麦と兵隊」「出生兵士を送る歌」、そして「戦友」となった頃、私も誘われて前に出た。
「ここは御国を何百里……」。3番「ああ戦いの最中に となりに居りしこの友の にわかにはたと倒れしを われは思わず駆け寄って」4番「軍律きびしい中なれど これが見捨てて置かりょうか しっかりせよと抱き起し 仮ほう帯も弾のなか」5番「折りから起こる突貫に 友はようよう顔あげて お国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙」……。
 私の目にも思わず涙が溢れてきた。若い彼らがどんな思いで戦場に赴き、そして戦ったか。お国のため。ただその一心で、彼らは有為な前途を抛ったのである。
 その貴重な犠牲の上に今の繁栄がある。彼らに今の日本を見せられるだろうか。誇りある国家を、我々は将来のためだけではなく過去のためにも造っていく義務があるのだ……。
 祭は、みな肩抱き合っての「同期の桜」で終わった。来年もまた私は来るかもしれない。
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「より良い人生のためにも
健康は自分で作るもの」

2008年
3月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 大学で教え始めて3年、この秋冬は初の快挙を達成した。計14回の講義を一度も休まず、補講をせずにすんだのである。
 体調がずっと良かったのは、偶然の賜では決してなく、毎日心がけて、健康を管理した成果だと思っている。
 私はいわゆる腺病質の子どもで、勤め始めてからも風邪などはしょっちゅうで、皆勤の年は一度もない。入院も2度した。頑丈な男性陣(女性はあまりいない職場だった)には体力で負けるなあというのが実感だった。
 自由業になって休めなくなり、徐々に、健康管理こそが一番の仕事だと思うようになった。
 体調不良のほとんどは睡眠不足に起因する。と気がついて、夜の付き合いはほどほどにし、早めの帰宅を心がける。飲み過ぎない。就寝まであえて、ぼうっとする。風邪を引かないよう、うがい・手洗いの励行。人混みでのマスク着用。冷暖房対策として、別のインナー、ストールの携行……その他細々と、睡眠不足にならないよう、風邪を引かないよう、毎日気を配っているのだ。そう、健康は自分で作るものなのである。
 副産物として、毎日が楽しい。良い睡眠が爽快な目覚めをもたらすしてくれるからだ。今日はいい日になる、頑張ろうと単純に思える。憂鬱な案件でも、楽しんでやろうと思えてくるから不思議だ。ましてそこに爽やかな青空なんぞ広がっていたら。幸せってこんなに身近だったのだと実感する。短歌の一つも浮かびそうになる(実際はなかなか出来ないが)。
 英語では人生と生活は同じである(Life)。良い人生を送るとは、すなわち日々の生活の質を高めることのように思う。

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日本の未来のために
ワーキングプア問題の解決を

2008年
2月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 事件や社会問題が起こりすぎる昨今だが、中で私がことに憂えるのは、ワーキングプア問題である。
 すなわち、「働く貧困層」。正社員並にフルタイムで働いても、生活保護の支給額以下の収入しか得られない就業者のことをいう。この日本で、年収200万円以下の労働者が2006年、21年ぶりに1000万人を突破したという。労働人口3100万人に対し、実に3分の1を占める。この中には配偶者控除のためにあえて所得を抑える人たちも入るだろうが、それにしても驚くべき数値である。
 企業は、バブル経済崩壊以降、消費の減少、デフレの進行の中で、人件費削減を推し進めていく。賃金の高い正社員の新規採用を抑制し、代わりに、アルバイトやパート、契約社員、派遣社員といった非正規社員の雇用を増大させている。彼らはどれほど社会経験が豊かでもキャリアとは認められず、正社員への道は低く閉ざされている。片や正社員も安穏ではなく、会社の倒産やリストラに遭えば、国家資格や特別な技能なくして、再びの正規雇用は至難の業である。
 年収200万円で家庭を築き、将来設計を描くのは不可能である。少子化の解消を唱えるのであれば、まずはこの労働者問題を解消することだ。貧困は古今東西、犯罪を生む最大要因でもあるから、治安対策にも必須の課題となる。日本の治安の良さは、教育によるモラルの高さに加え、経済的な安定によって保たれてきた。終身雇用は社会保障であり、最も有用な社会インフラなのである。
 ワーキングプアは格差社会の反映でもある。労働が正当に評価され、不公平・不公正のない社会。そんな社会をこそ政治は目指さなければならないと思う。
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「笑う門には福来たる」
幸せな笑顔は、多くの幸せを運ぶ。

2008年
1月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 悩みがないのだろうとよく言われる。私に会うと元気が出るとも言われる。大きな声で喋り、よく笑うからであろう。ありがたいことである。
 もちろん人間だから悩みはあるが、楽天的な性格のお陰で、深く落ち込まずに済んでいる。これがもし悲観的に生まれついていれば、どれほど大変なことか。人の持って生まれた性分は、その適性や能力と同様、努力次第で簡単に変えられる類のものではない。
 幸いネアカの私だが、近頃はやはりそれなりにストレスを感じることがある。仕事が仕事だし、一人でやっているから大変なのである。そんなときはたいてい、悪いことが重なる。普段だと簡単に乗り切れることが、思わぬ障害になるのである。最悪の場合、私は誰にも必要とされていないとまで思い始める。これで根が弱ければノイローゼになったり自殺したりするのだろうなと理解ができる状態である。
 負の連鎖を断ち切るために、どうするか。試行錯誤して、意外と簡単な方法を会得した。親しい人を誘って食事をすることである。美味しい物を食べて笑っているうちに、旺盛な食欲も、ネアカの私も戻ってくる。人は人によって傷つき、それでいて人によってしか癒されない存在なのであろう。そう思っているとき、哲学者ニーチェの言葉に出会った。
「幸せであるためには幸せでなければならない」
 言葉は違うが、そんな意味であった。悩んだ顔、苦しい顔は人を遠ざける。幸せをよぶためには自らがまず幸せであること。トートロジーのようだが、真理である。
 そう、「笑う門には福来たる」。それが今年のモットーである。
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読む度に心が洗われる本。
名作には感動を呼ぶ品格がある。

2007年12月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 本を読め読めと人に言うわりに、私自身は実は、さほどの読書家ではない。本屋にはあまり行かず、必要な物は注文で済ませているほどだ。仕事柄毎日活字に親しんではいるが、趣味で読む物といえば音楽関係くらいである。
 そんな私が、十年ほど前までは小説を書いていたのである! 子どもの頃から本はよく読んでいた。自ら書くようになって徐々に、作家の資質として必要不可欠な、細部にわたる描写能力が残念ながら私には欠けていると自覚し始め、それとともに読書量が減った。
 もちろん、話題の本を買って、上手いと感心したり、情報量に感謝したりはするが、再読となるとめったにない。そんな本は誰でもせいぜいが一割程度らしい。つまり、本の賢い利用方法は、借りて読み、中で、手元に置きたい本だけを買うことなのだ。そうしておけば本がどんどん増え、置き場所に困ることもない。
 徐々に賢い利用者になったのか、私は今、とんと本を買わない。日常の時間がふっと空いて、心が別の世界を渇望していると感じるときは、自分の本棚に手を伸ばすのである。
 古今東西の歴史物、古典物。何度読んでも、頁を捲りさえすればそこには新鮮な世界が広がる。日本の近代では夏目漱石、新しい所で藤沢周平。読む度に心が洗われる。名作の名作たる所以であろう。
 はて、名作の本質とは何だろう。と考えていて、思い当たった。今、流行りの「品格」という言葉。音楽でも絵でも映画でもすべて、本物には品格がある。真摯に、まっとうに作品に取り組む姿勢、そして真の才能。感動こそ人の生きている証、そして感動は時代を超えて、普遍である。
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積み上げた経験が生きてくる。
今,オシャレを通して分かったこと。

2007年11月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 このところ、実に堅実な生活を送っている。顧みてこれまで、夜の飲み歩きは当然のこと、ブティックも気分転換にしょっちゅう覗いていた。結果、時間もお金もずいぶん無駄に使った。
 堅実になったのは、残りいくらの有限の時間を大事にするようになったからである。また、自由業は給料生活の時よりお金の有り難みが如実に実感されるからである。加えてこと服に関していえば、自分に似合う物、似合わない物がようやくに分かったことが大きい。
 私はお洒落とたいそう縁が深い。神戸育ち。洋裁を仕事にしていた母。物心ついたときからモードは私の生活の一部だったのだ。以来、膨大なエネルギーと時間を費やした。使った金でマンションの一つや二つは買えたはずである。
 実に半世紀近い試行錯誤の期間を経てようやく、自分という素材を最大限に生かせるパタンが会得できた、そんな感じがする。体型の長所・欠点、雰囲気、個性、そしてTPO。すべてに合格する物を自分の目で確実に選べるようになった。一つ大きなサイズを着ていたことも分かり、ジャストフィットにしたら、断然スリムにも見える。
 初秋、今年の流行色、黒とグレーのスーツを各1着、購入した。そして持っていたスーツを8着、人にさしあげた。シンプルなワードローブだ。そう、これからは本当に自分に合う物を丁寧に、着ていこう。
 身近なお洒落ですら神髄を極めるのは大変なのだから、まして趣味や学問の奥は深いはずである。積み上げた経験を生かすことで、人生が充実していくのだと思えば、年を取るのも悪くない。

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勇気と感動を呼ぶ生き方。
夢を追って「一所懸命」に生きる。

2007年10月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 記録的な猛暑の夏だった。
 例年私はお盆を、尾道の実家で過ごす。家族がテレビを見るので私も見るが、家ではニュース以外ほとんど見ないので、どの番組も新鮮だ。
 山岳事故で両脚麻痺になりながら、オーストラリア大陸を車椅子で縦断した、若い女性が出ている。不屈の意志で大勢の助けを得、砂漠や坂、山をも乗り越え、床擦れにも耐えて、数ヶ月をかけて完走。その後パートナーを得、子どもにも恵まれた。また、女優の夢を捨てず、ついに台詞入りの役を勝ち得た聾唖の若い女性も出ている。たった一言とはいえ、発語が聞こえないのだから、大変な努力の賜だ。頑張って、大成してねと祈らずにいられない。
 彼女たちは、愚痴や恨み言を決して言わない。常に前を向き、明るく、謙虚である。そうした生き方が人を感動させ勇気づけ、この人のために何かをしてあげようという気にさせるのだろう。
 盆休みが明け、私は大学でのオープンキャンパスに初めて参加した。入学希望の高校3年生を対象に面接体験を実施するのである。
 小学教師志望の男子は、問題児だった自分を常に庇い、救ってくれた教師に家族一同心から感謝していると言う。懸命に言葉を紡ぎ出しながら、小学校教師になりたいと言う聾唖の女子もいる。法学部に行って資格を取りたいと言う女子は笑いが絶えず、聞くと「両親が大好き」。
 どの子もひたむきだ。一生懸命という言葉が浮かぶ。もと一所懸命。封建時代、賜った一カ所の領地を命をかけて守ったのである。そう、私ももっと一所懸命にならなくちゃ、そんなことを思わされた。

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正しい漢字や日本語を学ぶこと。
国語力が,考える力と感性をつくる。

2007年09月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 大学の前期授業では大きなショックを受けた。学生に条文を読ませようとしたら、読めないのである。「教唆」「幇助」「嘱託」「宣誓」……。
 難しい漢字ではない。少なくとも大学入学時には必須のレベルであろう。おまけに私は講義で何度も口にしてきた。それが読めないということは、聞いていて意味が分からないということである。時事を適宜採り入れながら分かりやすい講義をしていると悦に入っていたのが一転、自己満足だったと思い知らされた瞬間だった。
 だが事はひとり我が大学だけの問題ではないはずだ。ゆとり教育のお陰か、肝心の基礎学力がつかないまま、選びさえしなければ大学には入れる。
 国語力が落ちていることにはずいぶん前から気づいていた。司法試験合格答案でもひどい日本語が多いし、法曹の作成書面も意味が分からなかったりする。大学の定期試験で私はずっと論述式問題を出しているが、きちんとした答案はわずかである。教科書を読ませると大方の漢字が読めない子もいる。
 この6月、参議院文教科学委員会での教育再生関連3法改正の公述人によばれた際、私は基礎教育では国語力を培うことこそが肝要であると切に述べた。国語力はものを考える力であるとともに、感性をも作る。知らない言葉で人は感じることができない。つまり国語力が人間を作るといって過言ではないのだ。
 子どもの時に絵本を読み聞かせられ、以後自ら親しんでくれれば自然に培われるものが、ああ今や手軽なネットや携帯の時代、まともな文章がどんどん失われてゆく。しかい嘆いていても仕様がない。現実は現実として、後期授業は心機一転、頑張らなければ。

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自由な時間をどう過ごすかが大切。
「定年後」の人生も充実したものに。

2007年08月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 これが皆さんのお手元に届く頃はきっと、参議院選挙戦の真っ最中だろう。厳しい暑さの中、厳しい選挙戦を本当にお疲れ様、とまずは申し上げたい。
 私が引退して、ちょうど3年になる。今やニュースで徹夜国会、禁足、長時間の委員会審議と聞く度に、申し訳ないのだが、今の生活をありがたいと思う。その以前15年の検事時代も勤務時間が長かった。休みが欲しいと思うことはあっても休めないのが当たり前だったし、また働くことが好きでもあった。純粋に若かったのである。
 だが運命の変転により急に自由業になってみると、これが至って心地よい。すべての時間は自分の管理下にある。やりたいことの優先順位に従って、この日を空ける、この時間は空けると決めれば、あとは仕事をうまくやりくりすればいい(弁護士間では平日のゴルフコンペが盛んである。もっとも私自身はゴルフをしないのだが)。誰も文句を言う人はいない。
 齢50を過ぎ、友人たちとの話題に「定年後」が自然とのぼる。誰もがそれを恐ろしいものと捉えている。趣味といえば読書かスポーツ観戦程度では、膨大な時間は埋められない。生き甲斐となるほどの趣味を持つには10年やそこらの準備が必要だ。加えて男性は地域に足場がない。家庭にも居場所がない。一日中家におられては奥さんが辟易して離婚にもなりかねない。となれば、何か仕事を見つけるにしくはない。
 まずは団塊世代が大量定年を迎える。寿命が延び、本当の老後を迎えるまでの実に長い時を、どう過ごすか。誰もが定年のずっと前から考えておかねばならないし、国としても今後大きな課題となるはずである。そんなことを思う。

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人を愛し,愛される幸せ。
「徳」の大切さを実感する。

2007年07月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 はっとするエッセイに出会った。いわく、「人を愛するということは、その人の徳を愛するということである。なぜならば人の性格や能力は、老化とともに劣化していくものだからだ。故に愛は、善い人と善い人との間にしか成立しえない」。
 愛が徳に基づくなど、考えたこともなかった。「愛」は気軽に巷に溢れるが、「徳」は今やすっかり忘れ去れられた感がある。だが考えてみると、徳のある人は市井にまだまだいるのだと思い当たる。
 70歳の知人は娘に言った。「してさしあげられるということは、素晴らしいことよ」。娘の嫁ぎ先には体の不自由な小姑がいるのである。立派な舅姑、良き夫に恵まれ、娘は本当に幸せ者だと、彼女は真から思っている。同居の嫁との仲も実にいい。
 元売れっ妓芸者の友人は、母親の顔を知らない。中学を出て芸者になり、腹違いの弟を大学に行かせた。弟は資格を取り、事務所を構えている。感心する私に、彼女はにこやかにさらっと言う。「それが授かりというものですから」。育ての母親に孝養を尽くし、その最期を看取った。
30年来の交際になるご夫妻は仲が良く、定年後頻繁に海外を旅していた。昨年末、ご主人が87歳で大往生。寂しいだろうに、彼女は努めて明るい。「後悔のないようすべて致しましたから。それはそれはとてもいいお顔だったのですよ」。生前の元気な姿を記憶に留めておいてもらいたいからと、最後入院してからは誰もよばなかったという。夏、お墓にお参りに行く。
 たしかに徳あればこそ、人を愛し人からも愛されるのであろう。
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迷惑をかけない,不愉快にさせない。
最低限のマナーは守ってほしい。

2007年06月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 近頃、あんなに驚いたことはない。マナー違反もここに極まれり。みなが静かに聞き入っているクラシック音楽の演奏中、会場の前方から退出する者が続いたのである。
 まずは小学1年位の男児だった。子どもだから急にトイレか、仕方ないかと気を取り直したところに、その子は戻ってき、堂々と席に着いた。ところがすぐにまた席を立ち、出て行ったのである。今度は荷物を持参している。
 一体、親は何をしているのか。と苛立つところに、今度は年配の男性が退出したのだ。荷物を持参し、普通の足取りである。平行して、私の隣席の男の携帯が、マナーモードでブーブー鳴り続ける。続いて、後部座席で派手な着信メロディーがけたたましく鳴った。
 この一連の騒ぎにもピアニストは平然と演奏を続け終わり、ブラボーの嵐に包まれた。だが万一、拙い演奏だったとしても、中座せず、静かにすべきは当然のことである。人に迷惑をかけない、不愉快にさせないのは、人間社会で最低限必要なマナーなのだ。
 これは極端な例かもしれないが、近頃、マナー違反がやたらに目に付く。歩きながら、あるいは電車やバスの中で、パンを食べる人をどれだけ見ただろうか。人前の化粧も今や当たり前。カップルのいちゃいちゃも目に余る。彼らの意識には他人が存在しないのであろう。
 マナーを作るのは、当然ながら躾である。躾は「身を美しくする」もの。日本が作った独自の漢字である。私が5年来住む賃貸マンションでは、見知らぬ住人からよく、「おはようございます」「こんにちわ」とにこやかに声をかけられる。その度にちょっと驚いて、私は挨拶を返す。躾の出来た人も多いなと思う。見習わなくてはとその度に思うのである。

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今,現場で起きていること。
教師と親と子の関係を考える

2007年05月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 昨春、親しい知人が教職をやめた。
 彼女は大学を卒業後、公立小学校に26年勤めた。定年まであと12年残していたが、とにかく辞めたかったのだと言う。
 ずっと熱心に仕事に取り組んでいた彼女が、愚痴を零すようになったのはここ数年のことである。ちょうどその頃マスコミで、荒れる学校が取り上げられるようになっていた。
 少子化で学校規模は小さくなり、加えて少人数学級制だから、相対的に個の比重は高くなる。中で一部問題児がいじめを引き起こし、暴れ、授業を妨害する。親は親ですぐに学校に怒鳴り込んでくる。「教育委員会に訴える。訴訟を起こす」。校長が事なかれで平謝りをし、さらに事態はエスカレート。気の毒なのは巻き添えを食う普通の子ども、親たちである。
 残業手当も出ないのに、夜は残ってペーパー作りをするそうだ。管理者向けの評価書である。そうやって萎縮し疲弊し、本来は子どもに向けるべきエネルギーが燃え尽きた。このままだと自分が死んでしまう……。
 思い切って辞めて1年、今はジムや資格の学校に通いながら、彼女はほっと自分を取り戻しているという。あなたは独身で気軽だからやめられていいよねと、同僚たちが羨ましがるそうだ。

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さまざまな経験を経て得たこと。
答えは「いつも,今が一番。

2007年04月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 先日、9年ぶりに、法務省中央合同庁舎赤煉瓦棟を訪ねた。この中の法務総合研究所に室長研究官として勤めていた時の部長が、昨秋所長に就任、遊びにおいでと言われたのだ。
 普段はあまりつけない、未だに金ぴかの弁護士バッジを身元証明でつけて行ったが、門衛さんらは私の顔を覚えていた。
「あ、佐々木先生」。
 所長室に案内される。山登りが趣味の所長は、見た目ちっともお変わりにならない。
「9年かあ。僕らにとっては勤務地が変わるだけで大した違いはないけど、貴女にとっては激動の9年だったよね」
 私の転身に、彼は反対だった。検事という特殊な世界に15年。もともと政治志望もないのに、突然未知の世界に飛び込んで、やっていけるはずがない……。当然の心配であった。
「でも結果としては良かったね。貴女がこれほど順応性があるとは想像もしなかった」
 振り返ってみれば、慣れるにはそれなりに苦労した。だが、山を超えると、視界が一挙に開けた。現行の法律を現事象に適用する法曹と違い、そのもともとの法律をつくる、エネルギー溢れる議員たち。法曹のままでは、知り合う人・職種は限られていた。法曹のままでは歴史の勉強もしなかった。様々な意味で私は、世界を広げ、得難い貴重な経験をさせてもらった。
 3つの職業のどれが一番いいですか、とよく聞かれる。答えは「今が一番」。弁護士が一番というより、様々な経験を経て今の自分があると思うからである。
 いつも、今が一番。今後もずっとそうありたいと、感慨を持って赤煉瓦を後にした。
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法律事務所には無縁の人生。
平凡で波風立たない人生こそ幸せ。

2007年03月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 考えてみると、弁護士はあまり、幸せなことは扱わない。
 例えば、結婚するとき、弁護士の所には行かない。いざ離婚になって初めて足を運ぶ。もっとも日本は世界中で最も離婚が簡単に出来る国なので、役所に離婚届を出しさえすればいい。離婚理由も別居期間も不要。証人2人のサインが必要だが、ゆきずりの人でも構わない。こうした協議離婚が9割を占める。
 残り1割が、親権・養育費、慰謝料、財産分与などで折り合わず、弁護士に持ち込まれる案件だ。まずは調停が起こされ、ここで9割が決着する。不調だと裁判である。裁判では、姑のことから夫婦生活の隅々まで洗いざらいぶちまけられ、まさに修羅の場となる。なので私は、裁判は決して勧めない。
 実は、離婚事件が苦手だという弁護士は多い。ことに男性弁護士はそうだ。弁護士の所に来るころはたいてい、事はかなりこじれている。中には理性的に順序よく話をしてくれる方もいるが、あれこれ悪口の出る人もいる。真相はどうあれ、一度好き合って結婚した相手を、あしざまに言うのは体裁のいいものではない。もし本当にそれほど悪かったのであれば、事前に見抜けなかったのは自らの不徳というものだ。また人間関係は、片方が一方的に悪いことはまずなく、どちらにもそれなりに言い分があるものである。
 もちろん、寿命の延びた昨今、合わない相手と無理に添い遂げることはない。金銭的に余裕があるのなら、何回結婚してもかまいはしない。ただ、離婚には結婚の何倍ものエネルギーが要るから、できればしないに越したことはないと思う。
 そのためにはどうすればよいか、と考えるようになった。まずは結婚前に、相手だけでなくその育った家庭をよく見ることである。とりあえず同棲をするのもいい。うまくいっているカップルにはどうやら共通項があるようだ。基本的な価値観の共有である。育った家庭の文化が似ていれば価値観も似る。それさえクリアして結婚したのなら、あとはとにかく大目に見ることである。
 仲良きことは美しき哉。長い歳月を経た仲のいい夫婦を見ると、本当にいいなあと思う。それなりにいろいろなことがあったのだろうが、それらをすべて乗り越えて今がある。
 幸せな人生というのは、平凡な、波風の立たない人生であるとつくづく思う。被害に遭わないことも含め、法律事務所には無縁の人生。とはいえこの節、遺言や成年後見など、賢く利用していただきたいと思うのである。
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エレガンスな対応を念頭に。
その前提に必要なのは心の余裕。

2007年02月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 座右の銘が幾つかある。
 その1「案ずるより産むが易し」。
 気の重い案件の前に唱えるだけで、ずいぶんと気が楽になる魔法の言葉である。
 その2「人事を尽くして天命を待つ」。
 自分なりに出来ることを、とにかくする。その結果思ったようにはいかなくても、一生懸命やったのだから仕方がないと思えれば、これまたずいぶんと気休めになる。
 ところで、以前書いたように、私は生来短気な性分で、いつもの私からは想像できないほど(?)突然に切れることがある。ことに、タクシー乗車時。道を知らない、そのくせに横柄な運転手が多すぎるのだ。不愉快なので、できるだけ公共機関を利用する。どうしてもタクシーに乗る時は、初めての道であれば地図を持参するほどである。
 ところが、だ。先日、その私より前に同乗者が突然に切れたのである。半端な切れ方ではなかった。普段にこやかで穏和な人だけによけいびっくりした。思わず口をついた言葉が、
「まあ、そう怒らなくてもいいじゃないの。悪気があって間違えたわけじゃないのだから」。
 格好いいことではないと、端で見ていて、初めて気がついた。理由がどうであれ、少なくとも美しくはない。
 突如、エレガンスという言葉が頭をよぎった。優雅+知性+美しさを併せ持つ、最高の称賛である。そう、イギリスの紳士淑女は決して怒ったりはしないはずである。使用人に対しても、どんな不条理に対しても、常に丁寧に、微笑みをもって対処するはずである。
 頭に来たから、腹が立つから、と怒るのは誰もがすることである。人とは違うこと、普通の人にはなかなか出来ないことをして初めて、人は尊敬される。怒るのであれば、それは自分の憂さ晴らしではなく、相手や人のためであるべきだし、その時にも怒られる側の立場になるべきなのだ。でなければ、謝罪はその場凌ぎのものとなり、自分も決して良くは思われない。
「人の振り見て我が振り直せ」。
以来、これも座右の銘になった。できるだけ怒らない。怒っても、抑える。そのためには心に余裕が必要なのだと気がついた。そう言えば、イギリスでは古来、ユーモア精神もまた、非常に尊ばれている。人を笑わせることは、自分に余裕がないとできないと言う。そう、エレガンスの前提には余裕があるのである。
 幾つになっても、学ぶべきことは多い。
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男女には画然とした違いがある。
相互の尊敬・理解があっての社会。

2007年01月

自由民主党女性誌
『りぶる』
  私は自他ともに認める、メカ音痴である。
 家電もパソコンも、生活や仕事に必要最低限使うだけで、そのメカニズムや多種の機能に興味を持ったことがない。故障したら自分では何も調べず、業者か友人に丸投げである。車を持たないのは、都会なので必要がないことに加え、ブレーキが利かなくなったらどうしよう、ひとり山中で車が故障したらどうだろうと考えるだけで恐ろしいせいもある。スピードを出して気分転換しようなどとはまるで思わない。
 我ながら情けないなあと思う。とはいえ、同族の女性もけっこういて、卑下するほどではない。私は地理にも弱いのだが、男性がいなければ私が先導するくらいなのである。と言うと、「ほら、だからそれは、女性が指導者的立場にないからで、訓練次第だよ」と言う人がいる。たしかに、女性の中にも理系に強い人、空間認識である地図や囲碁将棋に強い人はいる。そうした個人差はあるにしろ、全体としての男女差は絶対にあると私は思う。
 以前、オーストラリアの夫婦が書いて世界的にベストセラーになった本がある。『話を聞かない男、地図が読めない女』。読んで、なるほどと納得した。男女はそもそも脳の構造が違うと言うのである。
 女の子のほうが育てやすいのはよく知られたことである。男の子は体が弱いうえ、昆虫でも乗り物でも、動く物に多大の関心を示して、行動範囲が広くなるからだ。男の本能はハンターなのである。かつては外で獲物をしとめ、女と子どもを養っていた。依然、男は女をしとめ、自らの遺伝子を残すべき宿命を負っている。
 私は、メカや空間に強い人を、単純にすごいなあと思う。たいていの男性はそうだからすごいなあと思うのだ。他者からの攻撃であれ何であれ、いざとなると頼りになるのはやはり男である。そして、権利と義務は表裏一体なのだから、いざというとき、貴方は男だからと前に押し出し、自分は弱い女だから庇ってねというのは甘えであろう。男女共同参画社会やジェンダーフリーも、もともと違う男女をまさか同じにしようという訳ではあるまい。画然と違うからこそ恋愛もあり、相互の尊敬・理解・謎もあって、人生は楽しいのである。
 日本語にはかつて、女言葉と男言葉があった。台詞だけで、女か男かが分かる文化。それでこそ美しい日本語であり、美しい国であったはずだ。男は男らしく、女は女らしく。これは依然として普遍的な真理であると私は思う。
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目標達成の秘訣は、自らを知ること。
そして実現可能な目標を立てること。

2006年12月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 あっという間にまた年賀状の季節である。どんどん短くなる一年だが、今年は私には特筆すべき年となった。
 年頭に立てた目標は、2つ。それを早、夏には達成しえたのだ。
 目標その1は、「ピアノが上達すること」。上達したのには訳がある。
 2月、東京で弁護士をしている高校の大先輩から、弁護士会の某会合に出るよう頼まれた。欠席予定だったが、仕方なく出たら、そこで大クラシック好きの弁護士と知り合った。CDを1000枚は所有とのことで、うちピアノの名盤を50枚、選んで貸してくれた。聞いているうち、ずっと敬遠していたベートーベンが弾きたくなった。そこで、某代議士の御縁で知り合った、ベートーベン弾きで有名なピアニストに教わるようになったのが、5月。そうしたら8月の発表会に出てほしいとのこと。やむなく必死で練習したお陰で、本番でもつまらず、なんとか弾き切れた。自信がついてあちこちで披露するようになり、プロみたいと言われて調子づいている。この因果の元を辿れば、声をかけてくれた先輩弁護士及び某代議士のお陰だから、人生、やはり人と運である。
 さて、目標その2は、「法律に詳しくなって、弁護士会の法律相談に行けるようになること」であった。
 弁護士会の法律相談は、知人や顧問先の相談とは違い、相談者も案件も選べない。あとで調べて答えますとも言いにくい。だからこそ勉強になるのだが、自信がつくのを待っていたら、いつになるか分からない。よし、まずは実行だと春に申し込んだら、8月の案内が来た。迫るにつれ、緊張が高まる。仕事である分、発表会よりさらに緊張したほどだ。
 ところが、いざ行ってみると、お盆前とかで、相談者がずいぶん少ない。待って、ようやく一人。人の良さそうなおじいさん。借地の案件だ。手持ちの訴訟案件と似ていて、答えは簡単だった。
 その後交渉はうまくいったかなと思っていたら、2ヶ月後、弁護士会から電話があり、私にまた相談したいとのことだが構わないかと言う。快諾して、今度は私の事務所で応対し、相手方の地主に内容証明を送った。すぐにお礼の電話があり、振り込みも即日だった。
 誰かのお役に確実に立てるのは、人としていちばん嬉しいことである。もちろんそれが弁護士の醍醐味でもある。
 しかし、この快挙を別の面から見ると……自らの分を知るにつれ、夢が、大きなものから、頑張れば実現可能なものに変わった故かもしれない。来年も同じような目標しか立てないだろうが、それはそれでよしとしよう。
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大人になるということは,
忍耐強くなること。
さまざまな感情は時間が解決する。

2006年11月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 先般、大いに腹の立つことがあった。
 誰かと食事でもすれば、飲んで喋って憂さを晴らせるのだが、あいにくその日に限って(?)予定がない。仕方ない、誰かに電話して聞いてもらうかと考えていたら、たまたま大学時代の友人から電話があった。世間話をするうちにだんだん気分が変わり、結局、その話はせずに済んだ。
 受話器を置いて、な〜んだ、と拍子抜けした。離れた所から見ればどうということはないのだ。とらわれているから腹が立つ。怒りは大変なエネルギーを必要とする。つまらないことで自分を消耗させては馬鹿馬鹿しい。
 翌日、当の相手から電話があり、ずいぶん詫びられた。言い訳がましくはあったが、たしかに悪気はなかったのだから、よしとせねば。顧みて、直接当人にぶつけなくて、本当によかった。これからも普通につきあえる。
「短気は損気」──腹が立って仕方がないときの、私の呪文である。
『坊ちゃん』(漱石)は、「親譲りの無鉄砲で子どもの時から損ばかりしている」が、私は「親譲りの短気」で、振り返るとずいぶん損をしたことは間違いない。感情を相手に直接ぶつけるのは簡単だが、それをしては両者必ずやわだかまりが残る。人はどこかでつながっているから、将来ずっとひきずることになる。
「日にち薬」とはよく言ったものだ。恋愛のような激しい感情ですら、時が経つと薄れ、時には忘れさえする。実際、冒頭の件は、その後言語道断の出来事が立て続けに起こり、それに比べて謝罪もあったし、可愛いものであった。あ〜あ、本当に、怒らなくてよかった。
 とにかく何であれ、待つことなのだと思う。時が経っても怒りが収まらないときこそは、その理由を冷静に分析した上で、善後策を講じるべきなのだ。
 と考えていたところ、買い物も同じなのだとふと気がついた。衝動買いをすると、家に同じ物があったり、組み合わせが利かずに無用の長物になったりで、後悔することが多い。しばらく待って、冷静に考えているうちに、購買意欲が消えていることがよくある。それでもなお、欲しい物だけを買うのが、失敗しない買い物のコツだと、ようやく会得した。この時代、物は溢れていて、買わずに後悔することは、海外の、めったに行かない所に行った時くらいしかありえない。
 食べることも同じである。食欲に任せず、少し待つこと。大人になるということは、様々に忍耐強くなることなのかもしれない。
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元気な高齢者は生き方の手本。
活躍する姿が人の励みになる。

2006年10月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 杖もなく、ちゃんとした足取りで歩いてこられる。足元を見れば、茶色の靴。お洒落である。
 15年前、検事をしていた所に、有名な弁護士がいた。90歳を超えて、なお現役。新年会でご一緒したとき、「ほおっ、こんな美人が検事になる時代になったのだねえ。長生きするものだ」と、破顔一笑された。楽しい方である。
「検察庁で是非講演を」とお願いし、迎えにいくと申し出たが、「歩いて行けるので大丈夫」とのこと。とはいえやはり心配で、前の道路まで出た私が目にしたのが冒頭の光景だった。講演の場で椅子を勧めると、笑いながら手を振った。「いえ、弁護士は立ってものを言う商売ですから」。
 そして1時間、笑いを交えながら、貴重な体験を語ってくださった。60歳まで裁判官、その後弁護士に転身して30年余り。「皆さん、事務所に遊びに来てください。お酒が置いてあります」と軽妙に話を結んだ。その後100歳まで生きられたという。
 94歳の現役医師、日野原重明先生も「超」がつくほどお元気だ。3年前、親しい医師夫妻主催のパーティで隣り合わせた際、まずは同じテーブルの、私を含む7人ひとりひとりに、名前と職業を尋ねられた。丁寧な方である。
 講演が始まって、驚いた。冒頭で、今得た情報をその会社なり職業とご自身との関わりを即興で交えながら、正確に空で言われたのだ。続いて、長い医師経験からくる得難い人生訓を、ユーモアたっぷりに、やはり立ったまま1時間話されたのである。
 周囲には、高齢でもなお生き生きと活躍中の方が何人もおられる。もともと長生きの蔓でなければ、その年まで生きられないだろうが、こうした方々には共通項がある。よく食べる。くよくよしない。つまりは体も心も丈夫なのである。加えて、旺盛な好奇心。ユーモアのセンスや寛容性があること……。
 少子高齢化の時代、女性と高齢者を更に活用すべきだとよく言われる。医学の進歩は飛躍的な長寿をもたらしたが、元気で長生きしてこその「長寿」である。
 若さはそれだけで素晴らしいが、若いことと若々しいことは決して同じではない。近頃若々しさのない若者が目につく。自らをさえ元気にできなくて、人に元気は与えられない。人は誰しも元気のある人に元気づけられる。高齢で元気な人は生き方の手本である。どんどんそうした人が増えて、活躍してくれれば、それは次世代の者の大いなる励みになる。
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人が生まれて,最初に接する大人は親。
子の生き方で,親の生き方は評価される。

2006年9月

自由民主党女性誌
『りぶる』
  それは実に素晴らしい結婚披露宴であった。ことに最後、新婦が両親に述べた挨拶が出色だった。
「物心ついたときには、両親は会社を作り、いつも一所懸命働いていました。お父さんはよく、『俺が今あるのは〇子(母親の名前)のお陰だよ』と言います。私もずっと後に、旦那さんから『俺が今あるのはお前のお陰だよ』、そう言ってもらえるよう、努力したいと思います」。
 会場がしんとした。母上が泣く。父上も涙をこらえている。
 ご両親は共に、人間として素晴らしい。連れだってよくあちこちに出かける。お二人と知り合って数年後、私が娘さんの結婚披露宴での唯一の来賓にと見込まれたのだ。当日当人と初対面にならないよう、事前に引き合わせてくれる心遣いもさすがだった。
 私は、以下のような祝辞を述べた。
「ご両親は端で見ていてとても仲がいいのですが、本当にいい結婚生活だということは、子どもさん3人を見ればよく分かります。
 今、結婚しない人(残念ながら、私もその一人!)、結婚してもあえて子どもを持たない人が増えていますが、ご長男はすでに3人の子持ち(この子たちは、誘拐したくなるほどに可愛い)、ご次男は少し前に結婚して、もうすぐ最初の子どもさんが産まれる。そして今日、長女の〇子さんが晴れて結婚」
 人が生まれて、最初に接する大人は親である。親のすべてを見て、真似て、子は育つ。良くも悪くも親はモデルとなるのだ。
 その親が仲が良く、家の居心地が良いのなら、子は長じて、何のためらいもなく、同じような人生を歩むはずである。
 彼女は30歳で結婚、この度妊娠が分かってご両親は大喜びである。おめでとうと電話をした私に、彼女が言った言葉がまた素晴らしかった。
「本当に良かったです。私ひとり、親に孫を見せてあげられないのじゃないかと心配していたのだけれど、これで私も無事、孫を見せてあげられる」
 互いに助け合う夫婦。子どもを真に思いやる親。そうした家庭を作れば、子孫は自ずと繁栄していくのではないか。深刻な少子化の原因について、経済性とか仕事との両立等々が言われるが、自らを顧みるに、それは単に後からの理由づけのように思える。前にも書いたように、人は、優先順位でしたいことをするものだからだ。
 子がどう生きるかで、親の生き方はある意味、評価されるのかもしれない。
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偶然がなさしめた職業遍歴。
面白い人生を歩める感謝を込めて。

2006年8月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 7月末で、国会議員をやめてちょうど2年になる。つまり、弁護士業を始めて、2年。
 今だから言うが、始める前は大いに不安もあった。ひとつは弁護士業務への不安。もうひとつは、経営者業務への不安。どちらも私には初めての経験になる。
 長い間検事をやっていたから刑事事件は大丈夫だが、民事事件はそのうちの2年、国の代理人として大きな事件に携わっただけだ。大学時代は民法を専攻していたし、適性は未だに民法のほうにあると思っているが、そうした基本法さえ昨今はどんどん変わる。加えて、実務は、法律や判例の知識や理論だけでは動かない。
 だが、同業の友人らは「そんなことはすぐに慣れるから心配がないよ」と言う。それよりも、事件が来るかを心配すべきだと。だから、最初は堅実にどこかの事務所で働くべきだと言うのである。
 しかし、切りよく後半生に切り替えた私としては、自分のペースで過ごせる、自分の事務所でなければ意味がなかった。最初から独立開業の選択肢も「無謀」とは思わなかった。なんとかなると思っていたのだ。
 そして実際、本当にありがたいことには、なんとかなっているのである。口の悪い向きには、弁護士をやるために国会議員になったのだ、とまで言う人がいるが、まさか。
先日、親しい女性弁護士に言われた。「検事のうえに国会議員なんて、いくらお金を積んだからって出来るものじゃなし、すごいことよ」。たしかに、この経歴は、本業に役立つばかりか、今や役職は優に10を越える。無償のものが多いが、人から必要とされるのは嬉しいことである。
弁護士業務への心配は、友人らの言どおり、杞憂に終わった。法律家の基本は同じなのだ。人の話をよく聞き、書類を検討し、事案を見極めること。もっとも弁護士業には、これに独自の難しさが加わる。以前にも書いた、依頼者との距離感の取り方。そして、お金の取り方。始めて1年くらいしたときに友人にそう言うと、「へえ、もう分かった? 早い」と感心された。それももちろん、年の功、経験であろう。
、女子学生が言う。「先生って、職を転々としているのね」
「それはちょっと日本語が違うんじゃない(笑)」
 そう、たぶんに偶然がなさしめた職業遍歴なのだが、面白い人生を歩ませてもらっていると思う。
 開業2年を機に、皆様方にもただ感謝である。
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限られた時間をどう使い,優先順位をつけるか。
生き方上手とは時間の使い方が上手ということ。

2006年7月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 あれっと気がついた。いつの間にか携帯メールをしなくなっている!
 5年前、携帯メールを始めた。会議中、通話せずに用件を伝えられて便利だよと教えられたのだ。以後、秘書あてに「長引きそう。〇〇はキャンセルして」とか、待ち合わせ相手に「ごめん、10分遅れる」とか、実に優れた効果を発揮した。
 まもなくチャットをするようになった。パソコンと違って、指で一つ一つ打つから面倒だが、慣れればどうということはない。どころか、無味乾燥なパソコンメールとは違い、多種の絵文字が使えて楽しいし、電車の中やちょっとした空き時間に、軽いお喋りをする乗りで打てる。同じメールを複数に送信するのも簡単だ。まさに、手軽なチャット。だからこそ、手紙を出すときには返信など期待しないのに、メールだと返信は当然なのである。
 誰もが気軽にメル友になるこの時代、隣りに座って黙ってメールを打ち合うカップルが変だとか、歩行中のメールが危険だと感じる以外は、もはや見慣れた光景でしかない。
 それなのに、私はなぜ携帯メールをやめたのか。ピアノに熱中しだした時期と重なるから関係があるのだろうとは思うが、過去にも漫画やファッション雑誌や着物や宝石など、熱中していたのにいつとはなく止んだものがいくつもあるから、単にそうした潮時だったのかもしれない。
 面白いというか当然というか、自分が打たなくなると、人からもさっぱり来なくなり、かくして携帯メールチャットの習慣は消えた。今思えば、よほど他にすることがなかったようでもあり、恥ずかしい。
考えれば、これは一例なのである。生活を見渡すと、なければないで済むものがいくつもある。
 例えば、テレビ。もともとあまりテレビを見なかったのだが、携帯メールに合わせるように、最近はとんと見なくなった。当然「今」には遅れるが、新聞は丹念に読んでいるから、さして困ることはないと気がついた。携帯電話で常にニュース配信を追っている知人がいるが、それが単なる趣味を超えて、常に「今」が気になるとしたら、もはや中毒であろう。手段と目的を間違えてはいけない。手段に振り回されては、なんのための便利さか分からない。
 世の中が変わっても、人の本質は変わらない。持ち時間は同じ。限られた時間を、何に、どう使うか。優先順位は何か。生き方が上手な人というのは結局、時間の使い方が上手な人のことを言うのかもしれない。そんなことを思わされる。
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事実を見る力は人間を見る力
その基本は人へのやさしさと厳しさにある

2006年6月

自由民主党女性誌
『りぶる』
「依頼者に騙されるな」。
 これが弁護士の鉄則である。
 世の中には、初めから弁護士を騙そうとかかる手合いもいるし、中には、そんな連中とぐるになる悪徳弁護士もいる。それは論外としても、弁護士は往々にして、依頼者に「騙される」。なぜか。ことは人間の本質に関わるのである。
 つまり、人は誰でも、自分が可愛い。よほどの人格者でない限り、自己に不利なことはあえて言いたくはない。故意にしろ無意識にしろ、自分を庇うのが人間の性なのである。
 真実は、まさに『藪の中』(芥川龍之介著。映画『羅生門』の原作)。一見単純な殺人事件でも、加害者と被害者、また関わる人によって、事実の捉え方はそれぞれだ。「真実」は神のみぞ知るが、事実は人の数だけあり、置かれた立場により、その性格により、異なる。ただ基本的に、加害者は少なめに、被害者は多めに語ることを、法律家は知っておかねばならない。人は自分が可愛く、自らがまず自らを弁護して当然なのである。
 姑の口から聞くと、ひどい嫁。嫁が語ると、ひどい姑。夫が言うと悪妻で、妻が言うと、家庭を顧みない暴力的な夫……これが当たり前の形である。真実は大体において、その間にある。誰がどんな立場で話すのか。それを常に念頭において客観的に聞く力こそ、法律家に最も大切な資質である。
 まずは常識人であれ。
 法律云々や解釈の違いが問題になるよりはるかに多く、その前提となる「事実」が争われる。だからこそ英米は素人裁判官に事実認定を委ねるのである。
 相手方及びその代理人はもともと敵対関係にある。だが、依頼者は本来同志であり、その基本に信頼関係がなくてはならず、つい甘くなる。そこに問題が生じる。依頼者にしてみれば自分を信じてくれない弁護士など頼れないから、信じる姿勢こそ崩せないが、それとは別に、裁判官的な公正な目で、客観的に見る目が不可欠である。
 困ったことには、このバランスの取れない弁護士が目につくのである。依頼者の言うがままに訴訟を起こし、追行する。事実を見る力は人間を見る力であり、法律を学ぶことでは培われない。人と交わり、人の痛みを知り、自然や芸術の美しさに感動することで生まれてくる力なのである。
 その基本は、人への優しさと厳しさであろう。と考えると、これはひとり法律家ではなくすべての人に通じる資質かもしれない。
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心身共に元気で年を重ねるために
自分に合った趣味でエネルギー値を上げる

2006年5月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 先日、同い年の知人の来訪を受けた。彼女は2年前、鬱病にかかり、最近ようやく出歩けるようになったのだ。
 仕事はとうにやめ、子どもはおらず、家で日がなテレビを見る毎日だという。
 「何かしなくちゃいけないとは思っているのだけど、何もしたいことがないのよねえ……」。発病前も彼女は同じことを言っていた。
 私の周りには、その正反対に、エネルギーに溢れた人が多い。医者だった御主人に先立たれた薬剤師の知人は、大して語学が出来るわけでもないのに、ひとりカメラを抱えてよく外国に出る。写真集を出版し、個展も開く。今年78歳だが,この春もまた、元気にトルコに出かけて行った。帰国後、個展を開くという。
 人にはそれぞれ、持って生まれたエネルギー値があるのかもしれない。私のエネルギー値は、と考えると、仕事も人との交遊も好きだし、趣味もあるし、平均値よりはきっと高いのだろうと思う。
 趣味のピアノは、4歳の時、母に習いに連れて行かれて以来の長い付き合いだ。
 最初遊びたくて嫌がっていたが、すぐに好きになり、以後20年以上、飽きずにずっと習っていた。検事になって転勤生活となり、先生につけなくなってやめたが、それでもピアノだけはずっと持ち運んでいた。
 ただ、弾かなくなって指は自然と動かなくなり、すっかり諦めていたのだが、2年半前、レッスン再開を思い立った。実に21年ぶりのレッスン! やがて、少しずつだが指はまた動くようになり、また、年輪を経た分、個々の音や音楽そのものに遙かに愛着が深くなったのが分かる。
 仕事が他人のストレス肩代わり業だからこそよけいに、忘我で浸れる世界を持てることがありがたい。副次効果だが、指を動かすことほど、ぼけ防止に役立つことはないらしい。
 たまたま親に習わされた楽器が好きだったのは幸運というほかはない。ふと思うことがある、もしこれがバイオリンだったらと。そうしたら、それをきっかけに音楽が身近になり、クラシック好きにはなっていただろうが、きっと続きはしなかった。もちろんバレーや日本舞踊だったらとうてい無理だった。趣味にも、仕事や人と同様、相性があり、運命のようなものがあるのだろうと思う。
 最近私は、ヨガに通いだした。こちらは、「好き」からでは決してなく、加齢対策、健康を維持する必要性からなのだが。
 政治家を筆頭に(?)元気な人はみな、よく食べる。あるいは、食べるから元気なのか。高齢化の時代、いつまでも心身共に元気で、年を重ねたいと思うのだ。
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人の基本をなすのは国語
その力がものの考え方と感性をつくる

2006年4月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 昨春から大学に通い始め、1年が無事に経った。
  後期試験は1月末であった(春休みが2ヶ月以上あるのだが、自分がそんなに長く休んだ記憶がない)。試験後1週間以内に採点をする。その数、3科目合わせて、実に600枚! 論述式問題である。
  と言うと、公立大学に長年勤める友人が絶句した。「私立は過酷だなあ。僕だったら絶対、穴埋め式にするね」。であれば、苦労するのは問題作成の時だけだ。採点は人に頼んだっていい。
  だが、どんなに採点が過酷でも、私は今後もずっと論述式にするつもりである。
  理由は、三つある。
  まずは、全体的な理解度が、文章を通してはっきりと分かるからだ。それが次期以降のより良い授業につながる。
  二つ目は、個別の出来がよく分かるからだ。
  毎回前列に陣取り、熱心に質問してくる学生とはすでに馴染みになっていて、大いに期待しているのだが、意外に大した出来でなかったりする。その一方、未だに名前と顔が一致しないのに、S(最上)評価の答案もある。そうした学生の前期の成績を見ると、例外なくS。つまり、出来る。いい答案に出会うと、文句なく嬉しくなる。
  三つ目は、学生に文章を書かせたいからである。論述式の試験をクリアすべきことが、彼らにとって文章を書く一つの動機づけになればと思うのだ。
  今時の若い者は……の例に漏れず、彼らの多くは文章が苦手である。
  論述式!? マジですか、先生。
  もちろんよ、と私はにっこり。
  ことに1科目(刑法総論)は必修だから、C以上の合格点が取れないと卒業できない。彼らには死活問題なのである。だから、心優しい私は、問題を授業中に教えたりするが、それでも多くの学生にとっては苦痛であるらしい。
  昨年来のベストセラー、藤原正彦著『国家の品格』にいう。初等教育は、「一に国語、二に国語」。
  国語は人の基本をなす。筋道の通った考えを持ち、適切に表現し、人を説得するのは国語力なのだ。そのために、本を読むこと。小中学生の時にどれだけ小説を読み、言葉を会得し、様々な世界を知り、感性を磨いたか。それがその後の人生を決めるといっても過言ではない、と私は思う。国語は、ものの考え方と感性を作る。つまり人間を作るのである。
  法律の基本は国語力です。まずは本を読みなさい。新聞を読みなさい。そう私は常々、学生に言っている。
  再び、4月。新しい学生と出会う。
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決して誤ってはならないのは犯人が誰かだけ
裁判は迅速でなければならない

2006年3月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 宮崎勤被告の死刑がようやく確定する。
  日本の犯罪史上に残る、幼女誘拐・殺害事件。ビデオおたくの犯人は、わいせつ目的で女児4人(4〜7歳)を言葉巧みに誘拐、即日殺害した。遺体を自室で陵辱。被害者方前に遺体の写真と遺骨を入れた段ボール箱を放置、新聞社宛にも女性名で声明文を送付した。この種快楽犯の常として彼も、人を狙う前、猫など小動物を無闇に殺していた。
  死刑は当然である。
  それなのに、なぜ17年を要したのか。事件発生は88〜9年である。
  一般に、裁判は長くかかると思われているが、実は、どんな大事件でも珍しい事件でも、被告が認めて争わなければ、せいぜい1年で済む。だが、オウムの麻原被告しかり、宮崎しかり、耳目を引く事件が長くかかるため、世間には悪いイメージが定着する。
  麻原は、一審の死刑判決まで10年かかった。「実行行為者との共謀がない」として無罪を主張していたのだが、二審では精神障害も争うらしい。対する宮崎は、事実自体は争えず、終始精神障害による責任能力欠如を主張していた。
  精神障害には、大きく分けて、3種ある。精神病、人格障害、知的障害だ。中で、特異残忍な事件において必ず争点になるのが「統合失調症(精神分裂病)か人格障害か」。前者は代表的な精神病であり、責任能力なしとされやすいが、後者は人格異常であり、責任能力には問題がない。かの大久保清、池田小の宅間、宮崎……すべて精神鑑定の結果人格障害とされ、死刑が決まった。
  だが、社会がとうに忘れた頃に判決が出ても、感銘力が薄く、抑止効果に乏しい。裁判は迅速でなければならないのだ。日捲りのように事件が起こる昨今ではなおさらである(この最高裁判決が出た1月17日、他に小嶋の国会喚問とライブドアの捜索があった)。裁判で決して誤ってはならないのは、犯人が誰かだけではないのか。
  遅延の原因は多々あるが、背景に、裁判で真実究明を極めようとの姿勢があるのは事実である。今回もマスコミは、宮崎の「心の解明」がされていないと繰り返していた。しかし、「真実は神のみぞ知る」。客観的事実はともかく、心を知るのは至難の業だ。統合失調症の原因ですら未だ不明なのだし、自分の心すらまま分からないのだから。
  そして……我が国情には合わないと、私自身は大反対した裁判員制度が、3年後に施行される。裁判官3人と裁判員6人。その合議体で裁かれる殺人事件が速やかに終わらねばならないのは当然である。
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国家には遺族が満足するに足りる
刑罰を科すべき責務が担わされている

2006年2月

自由民主党女性誌
『りぶる』
「事件が起こりすぎる」
  誰もが同じことを言う。
世間を震撼させている耐震強度偽装事件。その合間を縫うように、女児を狙う凶悪事件が続く。
  昨年11月、広島市。1週間後、栃木県。12月、京都府。前2つは、共に小一女児が下校途中、ひとりになった時を狙われた。と考えて、この走りは、一昨年11月の奈良にあったと思い起こす。やはり小一、下校途中。
あのとき、アメリカから帰国した友人が嘆息したものだ。
「今に日本でも、子どもの登下校に付き添いが必要になるよ」。
予言は、当たった。
  これら犯人には同種前科がある。奈良の新聞販売店員、広島のペルー人(栃木は現時点で未検挙だが、おそらくそうであろう)。京都の大学生にもやはり前科がある。
  人は「なくて七癖」。誤解を恐に言えば、犯罪もまた「癖」である。手癖の悪い窃盗常習犯、粗暴癖のある人、薬物嗜癖者、あるいは異常性嗜好者……。刑罰の目的は応報に加えて犯罪者の更生だが、往々にして空しいのが現実である。
  小児性愛(ペドフィリア)は、露出症やサドマゾと同様、異常性嗜好の一つである。成人女性の代替として小児を対象にする場合は別として、正真正銘の小児性愛者は、まずもって直らない。故に、「再犯のおそれ」でチェックされ、なかなか仮釈放されないが、満期になれば出所する。
  日本では全般に刑罰が軽く、被害者が殺害されて初めて無期懲役刑になりうるが、これは終身刑とは違うから、いずれ仮釈放になる。アメリカでは、殺された女児の名前にちなんだミーガン法の下、出所者の居住情報を住民に知らせているが、日本ではようやく法務省が警察に知らせるようになっただけである。もっとも自警意識の乏しい日本では知らされてもパニックが起きるであろうが。
  それにしても、と思うのだ。ご遺族の心痛たるやいかばりかと。病気でも交通事故でも、子どもの死ほど悲惨なものはない。ましてや異常性愛者の毒牙にかかっての惨殺である。娘が極限の恐怖に怯えながら、助けを求めつつ空しく絶命した現実から、遺族は終生逃れられることはない。かたや、犯人は生き続ける。死刑は、複数を殺して初めて適用されるのだ。それでも死刑は反対と言う人に、私はただこれだけを聞いてみたい。
「あなたの子どもがこのような目に遭ってもなお、死刑でなくていいのですか」。
  権利は義務を尽くしてこそある。遺族から私的報復権を取り上げた国家には、遺族が満足するに足りる刑罰を、科すべき責務が担わされているはずである。
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人生の選択は自ら選び取ったもの
人はそれぞれ資質を持っている

2006年1月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 新年号に相応しい話題でなくて恐縮なのだが──。
 私が、人は必ず年を取ると実感したのは、3年ほど前である。そうなって初めて、様々なことが見えてきた。
 この知恵を持って若い時に戻れたら、もっとずっと賢く生きられたはずだが、知らなかったからこそ人生は、希望に満ち溢れていたのかもしれない。
 若さとは、つまり、可能性である。出来ること、やりたいこと、いろいろと思いを巡らせられることである。年を経るほどに、積み重なった現実の比重が増し、その分徐々に、可能性は狭まっていく。そして今や、諦めというよりむしろ悟りの境地で、言えることがある。
 人の生まれ持った器は自ずと決まっている。だから多分に「そのようにしか生きられなかった」と。
 振り返って、私が地元の国立大学に進んだのは、下宿はさせないとの親の意向があったからだとずっと思ってきたのだが、そうではなく、私自身が選択したのである。こぢんまりした規模が私には居心地がいいのだ。もし私が、大きな志を持ち、絶対に東京に行くと言い張れば、実現させていたにちがいない。
 大学で職業にあれこれ思いを巡らせたとき、政治家も官僚も選択肢にはなかった。今分かるのだが、官僚・政治家を志望する人は、国家や国際社会といった大きな場でのビジョンを持ち、組織を動かすことに喜びを覚える人である。対して、具体案件の的確な法的処理にやり甲斐を見出す司法官志望者は、元々の資質が違うのだ。
 その後たまたま検事に任官した私だが、巨悪を裁くといった野望とは無縁であった。市井の事件で、被害者と共に泣き、犯罪者の更正の一助となることに大きな喜びを感じた。実際、検事数100人を超える東京地検より、検事数名の小地検のほうが、はるかに己の存在感を実感でき、居心地がよかったのである。
 これがつまり、終始一貫、私という人間の本質なのだ。
 今や全国で2万人を超える弁護士は、自由業でもあり、金儲けに邁進する事業家から人権派まで実に様々だ。私はといえば、誠実な職人タイプであると思う。私を頼ってくれる人のために最善を尽くすこと、それが生き甲斐だ。お金はあくまでその結果。お金よりはずっと、時間が欲しい。
自由な時間、そして空間。家でぼうっとしているとき、私は根っからひとりが好きなのだと思う。結果、少子化に貢献してしまった悔いは残るが、これまた決して偶然ではなく、自ら選び取ったものなのだと思う。
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健康で仕事があることの幸せ
暇なときにこそ怠けずに・・・

2005年12月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 弁護士業を始めて、1年と何ヶ月か過ぎた。話には聞いていたことが、いざやってみて実感されることが多い。
  まずは、仕事の忙しさに大きく波があることだ。
  私のような一般の弁護士は、仕事をつくり出すのではなく、あくまで受け身である。たまたま案件が重なると、裁判も重なり、裁判所に提出する書面をいくつも起案しなければならない。昨今、審理迅速化の掛け声の下、書面提出期限は厳格に定められる。
  10月下旬までの約1ヶ月、この期限が重なった。後期大学も始まり、毎火曜は使えない。弁護士は通常、夕刻以降に起案するのだが、夜が結構入る私の場合、どうしても週末に持ち越しとなる。事務所に出るか、ボストンバッグに記録を詰め込み、自宅で起案するかだ。
  書面は、かつては裁判所宛に相手方弁護士の分も一括郵送していたが、昨今はそれぞれにFAXで送る。一つ一つ、スケジュールの「〇〇事件書面提出期限」を消し、最後のそれを消したときの達成感は大きかった。
  遙かに超えて、安堵感が広がる。ずっと綱渡りのような日々だったのだ。
  もし体を壊したら、もし身柄事件が入ったら……。身柄、つまり被疑者が逮捕される事件は最優先である。起訴不起訴はすべて逮捕勾留期間での勝負だから、何はさておき留置場に接見に行き、事実を聞き出し、また警察や検察庁にも足を運ぶことになる。
  実はこの間、身柄になりそうだという相談を受けていた。もしそうなったら、裁判は休めないが、大学を休講してこれを欠席して……と苦しい算段をしていた。幸い杞憂に終わり、あるいは相談者より私のほうが安堵したやもしれない。
  仕事のリズムが通常に戻り、私はきっちりと決意した。今後はいつ身柄が入っても無理なく対応できるよう、早めに起案を終え、身軽になっておくのだと。そして、弁護士稼業の至言、「暇な時にこそ怠けず、よく勉強しておくこと」。
  昨今の法律改正はめまぐるしい。何十年と不変だった民法・民事訴訟法、刑法・刑事訴訟法までもが大きく改正され、商法に至ってはそれこそ毎年のように変わる。弁護士会研修や本・雑誌でよほど勉強しておかないとついていけないのである。議員時代は、施行前の立法段階から知識を得られたのだが。
  ところで、その繁忙時、新たな発見をした。家のソファに寝そべってぼうっとしていたとき、なんて幸せなのだろうと思ったのだ。健康で、仕事があるからこその、幸せ。幸せは実はこんな身近にあるのだと。
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心身ともに健康でありたい 
人にやさしく、有意義な人生のために

2005年11月

自由民主党女性誌
『りぶる』
 過去形になったから言うのだが、世が選挙戦一色の時期、私はかなりのスランプ状態にあった。
  はじめに仕事の失態ありき。今思えば大したことではなかったのだが、ずっと順風満帆で自信があっただけに激しく落ち込み、自己を全否定するほどだった。
「弁護士って大変だねえ」
  司法修習同期の友人に零した。
  友人は理系出身。独学で司法試験に合格し、弁護士を独立開業して20年経た2年前、仕事はもう充分やったと廃業した。今は悠々自適の趣味生活だ。
  彼女は、ははと笑った。「今頃分かったか。そう、孤独な職業だよ。だから、できるだけこうやって、話せる人に喋ることが大事よ」
  だがその後、仕事ではないが悪いことが二つ続いた。後ろ向きの思考や自信喪失が呼びこんだことだろう。
「よくお嬢さんだと言われるけれど、ようやくそうだと分かったわ」
  愚痴ると、大学の同期がかかと笑った。彼は知る人ぞ知るの為替ディーラーだ。
「分かっただけで偉いよ。ずっと分からん人間が結構いるから。大丈夫だよ、そんなに元気な声が出せるんだから。来年になったら絶対、昨年はこんなことがあったのよって、笑ってるさ」
  ふっと視界が開けた。ずっと今しか見ていなかったが、1年後、笑う自分が見えた。30年来私をよく知る人が断言するのだから、間違いない。
  翌日、偶然かどうか、仕事でいいことが二つあった。
  その翌日、昼食にカツを食べたい自分にはっとした。ずっと食欲がなく、昼は麺類で済ませていたのだ。早速カツ定食を食べ、夜はイタリアンのフルコースをきれいに平らげた。食が細くなったと思っていたが、違ったらしい。体が心を映していたのだ。ストレスで免疫抵抗が落ちて癌になる──これはきっと本当の話だろう。他人のストレス肩代わり業がストレスに潰れていては、そもそも仕事が成り立たない。
  世の中には、今回のマドンナ候補はじめ、気力・体力・知力ともに充実した、すごい人がいるものである。私はその足許にも及ばないが、人と比べても仕方がない。人はそれぞれ。各持ち場で最善を尽くすことだ。持って生まれた自分は変えられないが、せいぜい努力をしなくては。人に必要とされ頼りにされて、有意義な人生を送るために。少しだけだが、今回悩んで成長したと思う。
  教訓その一、本音を話せる友人を大事にすること。
  その二、健康であること。自らが心身共に健康でなくして人に優しくなんかできっこないのだから。
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歴史は「その時代」で見るべきもの
日本は、いつまで敗戦国なのか

2005年10月

自由民主党女性誌
『りぶる』

 解散後、どれほど言われたことだろう。
「刺客に声がかからなかった?」そして、「貴女はいいときにやめた」と。
 たしかに昨夏、苦労の末に幸い再選を果たしたとして、今回大いに悩んだだろう。思わぬ成り行きに、暑い夏がひとしお暑かった。その帰趨も、本稿が出る頃には明らかになっているはずである。
 それにしても、と改めて思う。6年間国会にいて、本当に良かったと。お陰で、様々な分野に関心を持つようになった。
 その筆頭が歴史である。
 いわゆる日本の歴史教科書問題に接したときの驚きは、今も鮮明だ。明治維新の立役者・偉大な政治家伊藤博文を、朝鮮に圧政を敷いた為政者として、暗殺者安重根を英雄として扱っているのだ!
 もとより歴史は、現在ではなくその時代で見るべきである。人類は古代、中世、そしてルネッサンスで近世に入る。イギリスで産業革命が起こり、列強が世界に進出。ペリーが来航して開国を迫った1853年、独立国といえばもはや、エチオピア、タイ、中国(清)、そして日本くらいであった。植民地に下るのを敢然と拒否し、明治維新を起こした日本は、またたく間に近代化を果たした。そして1905年、日露戦争に勝利。その快挙は、大国ロシアに長く痛めつけられていたトルコやポーランド、フィンランドなど多くの日本贔屓をつくった。
 片や朝鮮半島ではいまだに民衆は飢え、李氏は500年続いた自らの延命を図ってロシアと手を結ぼうとした。近代化を図る勢力が日本の力を借りようとした日韓併合(1910年)は、両国間で詳細な協定書が交わされ、列強の強い支持を得た。
 日本の植民地政策は、列強のそれとは対極にある。はるか遠隔の地を搾取と収奪の対象としてしか扱わなかった列強に対し、隣地ゆえに国土の一部として扱った日本。日清戦争で得た台湾の荒地を国家予算の1割をかけ、続いて、朝鮮半島には2割をかけ、民を教育し、工場をつくり、インフラを整備した。故に台湾は親日だが、韓国・北朝鮮は国を挙げての反日だ。歴史を歪曲し、日本海呼称や竹島領土問題などを起こすのは、彼らの国家政策ゆえである。日本はきちんと主張するべきである。
 戦後、我々が自虐史観で育ったのは、東京裁判に代表される占領政策の一環であろう。戦勝国が敗戦国を二度と立ち上がれないようするのは古来、当たり前のことなのだ。だが、我々はいつまで敗戦国なのか。国の歴史は、人が自ら拠って立つ基盤である。国に誇りを持てなければ、人は自らを誇れない。まっとうな歴史教育を、望んでやまない所以である。

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人の役に立つ「快」を教わらずに育つ不幸
得手になれば、 生きる力が湧いてくる

2005年9月

自由民主党女性誌
『りぶる』

 正直に言うと、私は長い間自分のことを、なかなかの努力家であると思ってきた。それなりに勉強もしたし、コツコツ真面目にやるほうだと。
  だがどうやら、そうではないらしいと分かってきた。つまり、
「人間は結局、自分のやりたいことしかやらない。いや、自分のやりたいことしかやれない、と言ってもいい。いやいやながらそうする、という場合だって、与えられたその状況で出来ることの中では、一番やりたいことをやっているはずだ。」(『<子ども>のための哲学』永井均・講談社現代新書)。
  たしかに、その通りなのだ。私も結局は、好きなことをやってきただけ。嫌いなものはしなかった。例えば理科。そして、運動。三〇代に入って一念発起し、エアロビクスと水泳に通ったが、いっこうに上達せず、面白くないのでやめてしまった。社交や老後を考えるとゴルフが最上だが、悲しいかな、やっても上達せず、面白くないのできっと続かないと分かっている。実に「好きこそものの上手なれ」。たまに「下手の横好き」はあれど、「好き」がすべての基本である。そして普通は、ある程度得手だからこそ継続できるのだ。
  努力家というのは、嫌いでも苦手でも、やらねばならないことはやる人のことを言うだろうから、私は違う。どころか、むしろ怠け者の部類に入るだろうと思う。
 
  生来硬い体がここ数年とみに硬くなり、ストレッチを続けないと今に腰が曲がるよと脅されても、ままよと放っているほどだからだ。自分がこの程度だから、学生には、勉強しなさい、努力しないとダメと言いはするが、本心では、好きでないとやらないだろうなあと思っているのである。
  要はシンプルな話で、人は「快」を求めて行動する。心身共に心地良いことをするのだ。おいしい物を食べたい、気の合う人と一緒にいたい。それと同じように、好きなことはやる、できることはもっとできるようになりたいと欲が出て、やる。つまり、やる気を出すためには、対象を好きになることであり、またさらには得手になることなのだ。
  昨今、学業・勤労いずれにも意欲のないニートが社会問題となっている。勉強して新しい知識を得る快はともかく、働いて人の役に立つ快を、大人になる過程で彼らはなぜ教わらなかったのだろうか。簡単なことなのに。透けて見えるのは、自ら勤労に快を覚えない親。子どもに手伝いをさせず、また手伝ってもらって感謝を表さない親‥‥。生きる力のない人間が育つ現実を、こんなところにもまざまざと見る思いがする。

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人生を豊かにする 「読書、友人、旅行」
世代、立場を超えて、
やはり人と人。心と心。

2005年8月

自由民主党女性誌
『りぶる』

 毎週火曜は大学の日だ。
 東京郊外の八王子キャンパスまで、片道1時間半。授業は、昼を挟んで、各1時間半を3コマ。文字通り一日仕事である。
  昨今の学生には1時間半はとうてい無理との先輩教官の助言あり、講義は1時間にとどめ、あと30分を質問タイムにしている。これが当世若者気質を反映して、実に新鮮だ。
  とにかくやたらに多い質問は、以下。
「教科書が切れてるんですけど」(本屋に注文してください!)
「試験はどんな形式ですか」(穴埋め式じゃなく、「〇〇について延べよ」式です――えっー!)、
「試験に教科書の持ち込みはなしですか」(当たり前でしょ!)
  極端にひどくなると、以下。
「今日初めて授業に出たんですが(もう8回目ですよ!)、教科書は何を使ってるんですか」
(シラバスに書いてあるでしょ!)
「寝坊して聞けなかったんですが(授業開始は午後2時半)、今日は何やったんですか」
(そんなこと、私にじゃなく、誰か友達に聞いてよ!)。
  大学の大衆化に伴い、全体に幼稚化しているうえ、友達の輪が狭くなっていることに気づく。教科書が手に入らなくても、たまたま忘れても、ひとりぽつり。隣の人に本がないのに気づいて、見せてあげようか、もない。あるいは、いつも仲良し2人組もいる。
  その昔、大学に入った時、先輩に言われた。
「とにかく本を読むこと。それと、サークルに入って友達を作ること」。
授業は出なくていい、は余分だったが、助言に従いESS(英語クラブ)に入った。そこで得た友人が今も一番の親友だ。何の損得もなく本音でつき合える友人は、社会に出た後ではなかなか作れない。人生を豊かにする3つ、「読書、友人、旅行」。だが、とうにすたれた麻雀を代表格として、群れなす行動は今、はやらない。それがとりもなおさずコミュニケーション力というか生きる力の衰えを示しているようで、ちょっと寂しい。
 一方で、予想外の収穫があった。本当に真面目で熱心な、何人かの学生に恵まれたことだ。彼らはいつも最前列に陣取り、熱心にノートを取り、終わると必ず質問に来る。質問で大体のレベルが分かるが、中には即答できず、次回に持ち越す質問もある。礼儀正しく、学ぶ姿勢にあふれる彼らと会う毎火曜は、うれしい一日でもある。
時間に余裕のあるときは、お茶をしながら話すこともある。
  世代を超えて、立場を超えて、やはり人と人。心と心。そう思う。

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便利な品々に囲まれて思う
発展とは・・・幸せとは・・・。

2005年7月

自由民主党女性誌
『りぶる』

  まだまだ若いと思っていたが、この春、ついに私は50歳を迎えた。
  私が生まれた昭和30年は、高度成長が始まった年である。高校を卒業する年、オイルショックを経験した。その後も日本は発展し続け、土地の価格は上がり続けた。膨らみ切ったバブルが突如崩壊し、以来15年間、不況は長引き、社会には閉塞感が漂う。実に激動の半世紀であった。
  私の記憶は神戸に始まる。父の勤める会社が神戸にあり、その寮も神戸にあった。私はいつも寮の友達と、周りの自然の中で遊んでいた。4歳の時、皇太子御成婚。8畳一間の我が家にもテレビがやって来た。私の机は当初ミカン箱だったが、思い返すと泣けてくるほど、それはそれは幸せな時代だった。小学2年の時、時代の先端を行く鉄筋アパートに移った。わおー、すごい。二間に、トイレ・風呂・台所付きだ。中学1年で、新築の一戸建てに移った。
  ワープロを初めて見たのは25年前、司法修習生の時だ。まだ超大型で100万円超。以降目覚ましい勢いで安価・小型化され、タイピストが駆逐された。そのワープロも専用機はすでになく、パソコンの一機能になって、久しい。
  この10年はIT化時代である。情報はインターネット、通信はメール。通信の主流は携帯電話とメールになった。
  手紙だと放っておけるが、メールだとすぐに返信をという気分になる。と周りの友人らが言うが、私も同感だ。せき立てられるように慌ただしく返信を打つ。その分、心は伴わない。心も文化も、明らかに手紙のほうにある。言葉を練り、相手を思いながら、自筆でしたためる手紙。漱石の小説を読むと、あの時代、朝書いて投函した手紙にその日のうちに返信が届いていたことが分かる。なんと便利でありかつ優雅な時代であったことだろう。
  人は本来、簡素な生活でこそ落ち着いた気持ちになれるという。自ら求めて僧や修道女の生活を送る人はもちろん、収容所や戦後の耐乏生活ですら、人は僅かな物で生きていけ、大きな精神上の自由と平和が与えられることを知るという。だが、大部分の人は、簡素な生活を送れるにかかわらず複雑な生活をあえて選ぶのである(リンドバーグ夫人『海からの贈り物』)。
  国が発展し、生活全般が便利になったようでいて、その実我々は決して幸せになったわけではない。幸せは絶対ではなく相対であり、あくまで心の問題だからだ。では、何のための発展だったのだろう。便利な品々に囲まれながら、そんなことをふと思う。

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教育は人と人との真剣勝負−
基本は太古の昔から変わらない

2005年6月

自由民主党女性誌
『りぶる』

 4月から大学で週1回、刑法と刑事訴訟法を教えている。
  昨今の学生は静かに聞かせるのが大変だろうと覚悟していたが、思いのほか熱心だ。中には、
「刑法総論は昨年履修して単位も取っているのですが、また受けさせてもらっていいですか」
  と言う学生もいて、とても嬉しい。
  若い時は、とにかく勉強をすることだ。遊ぶのは仕事を引退した後でもできる。
  世の中には、家庭の事情で進学を断念せざるをえない人がいる。世界を見渡せば、平和な環境で勉強に専念できることがどれほどの幸せか。たとえ法律を仕事にはせずとも、法的思考のいくばくかを身につけてほしいと思う。それは長い人生で、必ずや役に立つことだから。
「千里の道もまず一歩から」
  私自身、2回生で初めて法律を学んだときは、ちんぷんかんぷんだった。その後、基本書を最初から丹念に読み直し、繰り返し繰り返し勉強をした。地道な努力の積み重ねである。
  司法試験の受験科目は「六法」。
  憲法を頂点に、民法、商法、民事訴訟法(民事法)と、刑法、刑事訴訟法(刑事法)、合わせて6つの基本法だ。
「皆さんに、私が長年かけて会得した勉強のコツを教えます」
  目次を重視するのが私流だ。
  法律でも基本書でもまずは全体像を頭に入れる。そのうえで細かく勉強をする。でなければ、今習っていることがどんな意味を持つのか、どれほど重要なのか分からず、遠回りになる。おぼろげでも全体像が掴めていれば、入ってくる知識や情報をうまく整理することできるのだ。
  つまりは物の整理整頓と同じである。きちんと分類できる棚や抽出しを持つこと。法律に限らず、学問なり勉強はすべて同じだと、私は信じている。
  講義の出席はいちいち取らないが、
「相手が誰であれ、人生の先輩の言うことは聞くものです。法律の実務経験が長い私の話を聞くよりもっと有益なことが他にあるのなら、来なくて結構です。そうでないのなら、来て、聞くこと」
  500人が静かにしている。
  振り返って子どものとき、質問をして、はぐらかす大人はすぐに分かった。相手が誰であれ、真っ向から答えてくれる大人は本物だ。子どもも若者も、本気の大人を求めている。
  どれほどITが発達しようとも、教育の基本は、太古の昔から変わらない。必要なのは、教科書と紙・鉛筆。そして、熱血教師。
  教育は人と人との真剣勝負であると思う。

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家庭の基本は食−
子どもの健全な発育を
育む日々の食卓
2005年5月 自由民主党女性誌
『りぶる』

  休日の夕方、台所にいたとき、聞こえてきた言葉に思わずはっとした。テレビ画面を見る。

「親の愛情は料理に表れますからね」
  有名な料理人。さすがずばり、いいことを言う。

  少年事件を扱っていて、家庭のひどさによく暗澹とさせられた。放任を象徴するのが「食」。まともな食事をしていないのだ。親というのは普通、我が身はさておき、まずは子に食べさせ、その健やかな成長を願うものであろう。家庭の基本は食にある。共に語らい、笑い合って食卓を囲んでこその家族である。それを、金だけ与えられて買い食いの生活では、誰だって心がすさむ。

  切れやすさはカルシウム不足のせいもある。牛乳や小魚、ではなくファストフードと清涼飲料水。これで心身共に健やかに育てというほうが無理である。

  人の愛情はすべて、言葉ではなく行動に表れるのだ。親の場合は、これ毎日の食である。愛されて育てば、人は、大切にされる自分という自己評価を育て、自らを大切にすることができる。犯罪や援助交際といった自らを貶める行為に走り、親を悲しませることなどできなくなるのだ。だが悲しいかな彼らは、親にさえ構われない、つまり誰からも放っておかれる自分を、心の奥深くで蔑んでいる。

  親が子になすべきことは、ひとりでもやっていけるよう基本的な生活習慣を身につけさせることである。挨拶、きちんと座る、人の話を聞く、嫌なことも我慢してやる……。規則正しい食生活もその一つだ。悪い例が、最近増えている子どもの肥満。肥満は生活習慣病の元凶である。将来も食欲と闘うか病気と闘うか、苦しい人生が続く。

  いい食習慣は人生の無形財産である。運動が苦手でダイエットもしない横着な私が、この二十年来体重がほぼ変わらない秘訣は、たぶん食習慣にある。厳しい母から嫌いな物も食べさせられたお陰で、偏食がない。好みは関西風の薄味。間食はしない。腹八分目で自然に摂取が止まる。すべて子どもの頃についた習慣なので、何の苦労も要らない。

  食卓で、母によく言われた。食べられない可哀想な子どもたちのことを。あるいはお米を作るお百姓さんの苦労を。母は農家の出身なのだ。食は、料理をする人だけではない、素材を作る人、素材そのものへの感謝の念と共にある。殺生を許さない宗教もあれば、神に祈りを捧げて初めて殺生を許す宗教もある。他の命を犠牲にして自らの命があることを知れば、人を傷つけたり、自らの命を粗末に扱ったりすることは決してできないだろうと思うのだ。
 

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消えた武士道−
敗戦後に失われた精神的基盤
2005年4月 自由民主党女性誌
『りぶる』

 先日、自民党の埼玉県連青年部で、「少年非行・犯罪」について、講演をした。

 その後、会場から手が挙がる。公民館が中学生のたまり場となり、苦情を受けた学校が「警察に通報して下さい」と対応するのだと言う。教師の質の低下、権威の失墜は嘆かわしい……。

 それは私も痛感するところである。

 三年前、出身高校に講演に行き、その後校長と話した時のこと。「生徒が何で国語やらなあかん聞くから、国語出来んと憲法読まれんやんか、答えてます」。思わずえっと顔を見た。まさか。あぁ。

 だが権威の失墜は、ひとり教師だけにはとどまらない。日本全体を覆う問題なのである。

 かつて「地震・雷・火事・親父」。親父はとうに脱落。社会に目をやれば、官僚、政治家、警察官……あらゆる権威が失墜する中、教師ひとりが立派であれるはずもない。権威の消失。それは懼れがないことを意味する。その結果が言いたい放題、したい放題となる。

 外国ではこの点、事情が違う。神が存在するからだ。

 とくにユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教。天地創造の主は何でもご存じだ。地上での裁きは逃れえても神の裁きは逃れられない。その宗教が、日本にはない。では何で国民を規律しているのかと問われ、新渡戸稲造が英語で著したもの。それが『武士道』である。加えて、日本には神の代わりに世間様がいた。すなわち「恥の文化」である。

 その国体を、敗戦が変えた。史上初かつ決定的な敗戦に自信を喪失し、拠って立つ精神的基盤を捨てたのだ。伝統、文化、歴史。GHQが一週間で作った憲法を受け容れ、昭和二十七年、独立を回復した後も見直さず、安全保障はアメリカに任せ、経済一辺倒でまっしぐらにきた。「経済大国日本」。バブルが吹き飛ばしたのは経済だけではない。膨れあがった、実体のない自信を木っ端微塵にしたのである。もはや何の基盤もないのだから、途方に暮れて当然だ。

 治安の悪化が顕著になったのはバブル崩壊後である。犯罪件数は十年で倍。低年齢化、凶悪化も進む一方だ。会社はリストラを進め、終身雇用をなくし始め、もはや「第二の家庭」ではなくなりつつある。本当の家庭も、学校教育も、崩れる音が聞こえてくる。

 戦勝国が敗戦国を徹底的に打ちのめすのは歴史の必然である。かつて世界を震え上がらせた日本兵の強さの源、大和魂。それがここまで荒廃しようとは、さすがのアメリカも予想だにしなかっただろう。戦後六十年、日本を取り戻すところから始めなければならないと思うのだ。

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感謝しながら生きたい 2005年6月29日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 人は、受精の段階で、ほぼ決定づけられている。と最近、気がついた。DNAはいわずもがな、生後の環境もまた大きく親に左右されるからだ。
  もちろん、与えられた遺伝と環境の中で、人は精一杯の努力をすべきである。それが人のあるべき姿だ。
結果はどうあれ、努力する姿それ自体が美しく、人をいたく感動させる。
  ただ、努力できるというのもまた、一つの資質であるらしい。勤勉性。責任感。目標達成意欲ないし遂行力。
見渡せば、何事にも意欲的に取り組む尊敬すべき人がいる反面、何事にも不真面目で投げやりな人もいる。
  たいていの人は、私を含めその中間で、努力するときあり、しないときあり。これは対象への能力や適性と大いに関わるようだ。
つまり人は好きなこと、やりたいことはやる。また、出来ることは気楽にやる。
最近私は、ストレッチをしないとますます体が堅くなって、いずれ腰が曲がるよと脅されるのだが、生来運動が嫌いなので、ついやらずに日が過ぎる。
  人はかく既定された存在だが、せっかく生を受けたのだから、親に始まる様々の御縁を大切にし、人のお役に立てることに喜び、
「一隅を照らす」存在になれればと願う。人生の有限を悟り出してこの方、どの人も愛しく見えてみた。
生老病死の宿命を背負って生きている人間。自分にあるものに感謝し、人がしてくれることに感謝しながら生きようと思う。
  書くことはとても好きで、あっという間の半年でした。 お付き合い下さった皆さま方に心から感謝します。

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法律の基本は国語力 2005年6月22日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 そろそろ前期の試験問題を作る時期だ。学生は心配しているが、基本的な問題しか出さないから、日頃勉強しておけばどうということはない。
  ただ、論述式なので、文章が書けないといけない。学生には、新聞や本を読み、実際に文章を書いてみなさいと、折に触れて勧めている。法律の基本は国語力だからだ。
  法律は見識に根ざした学問である。まずは常識ありき。それを万人に納得させる理論づけが法律である。だから基礎的な素養が何より大事となる。昨年、法科大学院が始まったが、その本家本元の英米では、大学に法学部がない。文学、ジャーナリズム、心理学などを専攻した者が、さらに法曹を目指してロースクールに進み、一気呵成に法律を習得する。
  日本では、来る裁判員制導入に伴って、中学で法学教育を施すという。社会に関心を持ってもらうのはいいのだが、そんなことに時間を回せるほど、基礎教育は十分になされているのだろうか。
  さらには小学段階での英語教育にも疑問を感じる。たしかに英語ができると便利だが、あくまで伝達手段であり、肝心の思考を作るのは国語である。昔からいわく、「読み書きそろばん」。初等教育で学ぶべきはとにかく国語なのだ。英語は中学から学んでも十分、物になる。それに、本当に英語が必要な人は限られる。我々は、海外ニュースも本もすぐに母国語になる便利な国に住んでいる。
  教育は基礎作りである。「基本に立ち返って」と、私はいつも学生に言っている。

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日本に根ざす司法制度を 2005年6月15日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

「弁護士って、検事と正反対の立場ですよね。大変でしょう」とよく言われる。
  笑って答える。「映画やテレビではそうだけど、実際は大して変わりませんよ」。無罪を争う事件は限られ、素直に罪を認める事件がほとんどだ。検察官も弁護士も、その目指すところは同じ。犯罪者の更生、社会秩序の維持、被害者の救済である。
  裁判で明らかにすべき事実は「真実」だ。これは本来「神のみぞ知る」ことだが、唯一絶対の神は不在だし、一方で「お上」への信頼は高く、国民が刑事司法に真実の究明を求めているのだ。結果、ともすれば精密を極めすぎ、裁判長期化の要因ともなっている。
  この対極がアメリカである。
  刑事司法も基本的に、民事と同様、当事者間、つまり検察官対被告人(弁護人)の争いであり、多くが司法取引で決着する。その典型は、無罪を主張したいが陪審では勝てないと判断した場合、軽い罪名と刑罰で手を打つことだ。取引はせず陪審裁判にした場合、弁護士が依頼者から聞かされるべきことは「陪審に信じ込ませたい事実」である。
  アメリカはそもそも人種も価値観も多様な国である。だからこそ、共通のルールを法律が定め、詳細な契約を結ばなければならない。弁護士が増え、訴訟社会が必然となる。
  近時日本にも、法曹の大幅増員に始まる司法改革の波が押し寄せている。その理想にアメリカがある。何であれ、アメリカ。それが戦後日本の現実だ。だがもうそろそろ、自国の拠って立つ基盤を見つめ直す時ではないのだろうか。

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ムラ社会の更生制度 2005年6月8日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

「それは、犯罪者更生の理想的な制度ですね」
  アジア極東犯罪防止研修所(国連機関)にいたとき、先進国・発展途上国を問わず、多くの司法関係者にそう賞賛された。保護司制度のことである。
  保護司は、法務大臣から委嘱を受けた民間篤志家で、保護観察中の犯罪者・少年の改善・更生を、公私にわたって助けている。全国に五万人弱。
  日本は古来「ムラ社会」である。人は先祖伝来の田畑から動けず、一斉作業も多い。互いに助け合い、我が儘を言わないこと。「ムラ社会」から刑事司法も見えてくる。
  ムラで再び受け容れてもらうには、悔悟して真人間になっておかねばならない。自らの罪に真摯に向き合わねばダメだと、捜査官が懸命に諭す所以である。
  そもそも犯人を逮捕するのは例外で、在宅での調べが原則だ。警察では微罪処分がある。送検後、半数が不起訴。起訴の九割近くが略式請求、つまり罰金だ。残りが公判請求だが、その六割に執行猶予がつく。できるだけムラで更生させるのである。何度も篩いにかけられ、新受刑者は年約三万人。
  刑務所ではきめ細やかな分類収容・処遇が行われる。諸外国で分類といえば警備の軽重による分類だが、日本では学校の卒業資格も、職業訓練を受けての各種資格も、取得できるのだ。危険な者は隔離・放逐しておけばいい狩猟社会では考えられないことである。
  今、保護司が高齢化し、減少しつつあるという。日本の良き伝統があちこちで崩れつつある、これも一つの表れかもしれない。

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真のエリート教育とは 2005年6月1日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)
 先日、中曽根元総理の誕生祝い会に出席した。
  氏は八十七歳。「家族に言われまして、今年は短く、二十分で」と冒頭笑わせてから、スピーチをされたが、内容はもちろん、そのままで文章になる整然さは未だに別格である。もとより頭脳が別格なのである。俳句・書画をよくされ、フランス語で「枯葉」を歌う趣味人でもある。
  比べて今の政治家は、と言う人がいるが、資質の差は当然として、時代が画然と違うのだ。戦前は、制度として、真のエリートを育てていた。旧制高校では、カントなど哲学を原文で読んでいたという。現在も厳然と階級が残るヨーロッパでは、ノブレスオブリージ(高貴な者はそれだけ責務も負う)。ここでの教育の中心は、伝統的に人文の素養、つまり哲学や文学や歴史である。
  これらは実学やハウツー物とは違い、すぐに何かの役に立つわけではない。だが、そうした素養こそが人間の厚みとなり、人や社会への洞察力を培い、物事に正しく対処できる力を育てるのだと私は思う。
  戦後、平等主義が行き過ぎ、エリートといえば偏差値エリートになってしまった感がある。だが、受験マニュアルをいくら詰め込んでも、知識や教養とは別物である。そして人生は、解を自ら考えて導き出し、情と理で相手を説得しなければならないことが実に多いのだ。
  政治家の質が、法律家の質が、とよく言うが、全体の質を上げなければ、その中から選びようがないではないか。そんなことを改めて思わされる。
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シンプルライフ 2005年5月25日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

   至福の時は、一日を終え、就寝までのひととき。よほど疲れていないかぎり、私は活字に目を通す。新聞、雑誌、法律書、小説、何でもいいのだ。何であれ、ああなんて幸せなんだろうと私は思う。
  実に安上がりだが、生来そうだったわけではない。贅沢もかなりした。ことに着る物。洋服ばかりか、着物や宝飾品にも嵌った一時期がある。昨年弁護士になり、シックなパンツスーツの外は要らなくなって、急速に関心を失ったのだ。となると、住居はずっと賃借でと思っているから、欲しいものが何もない。最近心が平穏なのに、物欲からの解放があると気がついた。物を整理し、今後は快適な住空間で暮らそうと思う。
  人は本来、簡素な生活でこそ落ち着いた気持ちになれるのだという。
  自ら求めて僧や修道女の生活を送る人はもちろん、収容所や戦後の耐乏生活でも同じだという。物がなく自由が制限されてもなお、そうした生活は、「人間がいかに少しのものでも生きていけるか、そしてそういう簡易な生活がどんなに大きな精神上の自由と平和を与えるものか」教えてくれるという。「私たちの中の大部分は、簡易な生活を選ぶことができるのにその反対の、複雑な生活を選ぶのである。」(リンドバーグ夫人『海からの贈り物』吉田健一訳)
  これからはシンプルに暮らそう。そしてシンプルに生きよう。人生で本当に必要な物は少しだけだから。仕事、家族、親しい友人。そして何より、健康であること。

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少年老い易く・・・ 2005年5月18日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 大学の講義を三コマ、受け持っている。一コマは一時間半。
「今時の大学生には無理ですよ。せいぜい一時間」。長く公立大学で教える友人の言に私も同感だ。故に講義は一時間にとどめ、あと個別の質問タイムにしている。ことに一回生は必修講義で五百人超だから、質問者の数も半端ではない。
初回で断然多かった質問は以下。「履修届要りますか」要りません。「教科書、本屋に行ったら切れてます」注文して下さい。「出席取りますか」いいえ。「試験問題はどんなのですか」穴埋め式じゃなく〇〇について述べよ式です。「教科書持ち込みありですか」六法だけです。
  二回目以降講義内容に関する質問が増えた。別の講義に関する質問あり、進路相談あり、ちゃっかり法律相談あり、いろいろだ。ゼミを持つ時間的余裕のない私にはこれが唯一、学生と個別に触れ合える時間なので、結構楽しんでいる。中には、即答できない高度な質問もある。
  大学でも二極化が進んでいるようだ。必ず前に座り熱心に聞く者。傍観者に徹した者。小学生相手なら、静かに聞きなさいと諭すのも教育の一環だろうが、最高学府の大学は本来、学問の場である。
とはいえ私自身、振り返って、あまり真面目な学生ではなかった。働かずに学べる環境に特段感謝もせず、若さの特権にも気づかなかった。だが人生で、純粋に勉学に没頭できる時期は限られるのだ。後悔はただ一点、もっと勉強しておけばよかった。
「少年老い易く学成り難し」。年を経て初めて実感される真実が多い。

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冷静な国連論議を 2005年5月11日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 国連安全保障理事会の常任理事国に入るため、日本が活発に運動しているという。
  常任理事国は米・英・仏・ロシア・中国の五カ国。あと非常任理事国が十か国。こちらは任期二年の改選組である。
  四年前、国連本部を訪れたときのこと。案内役の外交官が、我が哀れな実状を教えてくれた。場所は安保理会場の隣室だ。
「非常任でも理事国のときはいいのですが、任期を外れると、ここで待って、中から出てきた人にどうなったか聞くしかない」のだと。
  国連の加盟国数は現在百九十一。理事国数を増やし、その際地域的なバランスに配慮すべきである。ことに日本は、アメリカの二二パーセントに次ぐ、一九パーセントの国連分担金を負担している。応分の立場を要求して当然であろう。
  だがそれも、国連外交が数ある外交の一つにすぎないと承知した上でだ。そもそも国連とはどんな機関か。その憲章は「われわれ連合国の人民は」で始まる。国連(The United Nations)はすなわち「連合国」。現在の常任理事国五カ国は、第二次世界大戦の戦勝国だ。五三条には未だに敵国条項が残る。同時多発テロ以降、米国の顕著な国連軽視はEU諸国の非難を浴びるが、もとより加盟国の集合体、各国益を超えた価値や平和など幻想にすぎない。
  最近危険に思うのは、日本が米国一辺倒をますます強めていることだ。米国は今世界でどんな立場にあるのか。外交は全方位とはいわぬまでも多極でなければならぬ。米国を挟んでEU。中国を挟んでインド・ロシアというように。戦略なき外交が心配だ。

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御縁を大切に 2005年4月27日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 昨夏法律事務所を開業した際、親しい弁護士ほど経営を心配してくれた。毎月固定経費がかかる、依頼はそうそうはないよ、報酬請求が難しい……。
  だが、案ずるより産むが易し。周りの皆さまに支えられ、なんとかやれている。有りがたいことには最近依頼が相次ぎ、せっかくの大型連休もゆっくり休めそうにないくらいだ。
  実は、想像していたよりはるかに弁護士業は楽しく、充実した毎日だ。理由は二つ、思い当たる。
  一つは、違う職種を経験しているからだ。国会議員の時は、新米でもあり、数の一つにすぎない場面が多かった。委員会などの時間拘束もずいぶん長い。その以前の検事の時は自分でかなり決められたが、勤務時間が当然にある。だからこそ今、自由に時間がやりくりできる有り難みが身に染みる。
  もう一つは、後半生に入り、人生の有限を悟ったからだ。地球上に何十億と人はいても、実際に出会える人はほんの一握り。袖振り合うも多生の縁。御縁を大事にしなくてはと思うようになった。二万人の弁護士の中から私を選んで下さった方々。そのお役に立てて、なんと幸せなことだろう。
  人は誰しも天文学的な確率で、この世に生を受けてきた。そして出会う、それぞれの家庭、学校、地域、職場……。御縁を大事にすることは人生を大事にすることである。
  今春教授に迎えられ、大学での新しい御縁を頂いた。若者たちには、御縁を大切に、一回限りの人生を有意義に過ごしてほしいと願っている。

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自らを守る権利 2005年4月20日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

  五年前、参院で開催された「学生と語る憲法調査会」でのことだ。
  自衛のためでも戦争は絶対に許されないと言う女子学生の一人に、尋ねてみた。「では、貴女自身が襲われたらどうするのですか」
「そのときは……身を捧げます」
  ざわついたのは我々議員席のほうだ。あのとき、分かった。とにかく暴力は駄目だと教育されてきたのだと。
  もちろん、人が自分や家族を守るのは、刑法以前の自然の法である。国の自衛もまた、憲法以前の自然の法なのだ。おそらく我々は、戦後長い平和と共に、国際社会での普通の感覚を失ってきたのだろう。と共に人としての普通の感覚をすら失くしたのかもしれない。自らをさえ守れずに他の誰を守れよう。そんな人間を誰が尊敬しよう。国も同じだ。自衛すらできない国が国際社会で高い地位を占めることはできない。そう考える人も多いはずだ。
  憲法九条。たぶんこの条項が長い間、改正論議をタブーにしてきたのだろう。だがこの度ようやく衆参両院憲法調査会の最終報告書が出されるに至った。諸外国は、社会の変遷に合わせて随時憲法も改正している。我が憲法は今や世界最古の憲法の一つなのである。
  時代は急速に変わっている。六十年前にはコピーもファクスもなかったのが、今や携帯電話、インターネットの時代である。この間裁判で認められた、環境権や知る権利、プライバシー権など、新たに盛り込むべき事項はじめ、改正すべきことは多い。

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揺らぎないよすが 2005年4月13日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

  「我々の国では絶対に、考えられないことです……」。

  十年前、地下鉄サリン事件が起きたとき、イスラムの知人にそう言われた。神の言葉コーランが生活の隅々にまで浸透し、新興宗教が入り込む余地はないと。

  ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教は一神教である。神は天地創造の主で同じだが、神の言葉を預かった人(預言者)がそれぞれ、モーゼ、キリスト、ムハンマド。中で七世紀に誕生したイスラムが最も新しい。神に造られた人間は、唯一絶対の神を懼れ、敬い、服従するしかない。汝、殺すなかれ。盗むなかれ。姦淫するなかれ……すべて神の言葉である。

  もともと人類は自然を崇拝し、多神教であった。「八百万の神の国」日本は、多様な宗教を受け容れ、平和に共存してきた。勤勉で正直、かつ礼儀正しい国民性。確固たる宗教なしに社会をどう規律するのか。とアメリカで問われ、新渡戸稲造が英語で著わしたのが『武士道』だ。大和魂。あるいは「恥の文化」、世間様。これらが厳然と社会の規律を保っていたのである。

  それが戦後、一変した。道徳的価値を顧みず、経済的価値のみを追求。バブルが崩壊し、ふと足許を見れば、拠って立つ基盤がない。社会不安が増す中、心の拠り所を求め、怪しい宗教に惑わされる人も増えるのではないか。

  折しも、カトリック約十一億人の最高指導者、ローマ法王が亡くなった。八日の葬儀までに五百万を超える人が訪れたという。揺らぎないよすがを持つ人々が羨ましく見えてくる。

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職業を持つこと 2005年4月6日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

   父は普通のサラリーマン。周囲に法律家は皆無であった。

  私がなりたかったのは医者である。ことに精神科医。だが、体が頑健ではないうえ、血を見るのが怖い。さんざ迷った挙げ句、「潰しが効く」法学部に入った。職業はあとでゆっくり考えよう……。

  実際いろいろ考えた。新聞記者、外交官、国家公務員。アナウンサーになろうと会社訪問したら、「関西弁ですし、よほどのコネがないと」。民間が未だ大卒女子への門戸をほぼ閉ざしていた時代、結局私は、司法試験に挑戦。裁判官か弁護士になるつもりだった。

  だが検事になった。司法修習で初めて接した検察は、大学で教わった「無辜の人を有罪にする悪役」とはまるで違った。どころか、犯罪者の更正を真に願う「公益の代表者」。私への勧誘文句は、行政官だからいろいろな部署に行けるよ、弁護士にはいつでもなれるよ。

  任官して十五年余、突然、参院選挙に比例区総理枠で出馬をとの声がかかる。名簿順位十一位での転身。その二年後、選挙制度が変わった。候補者名を書いてもらう、元の全国区に近い制度になったのだ。次は当然、過酷な選挙運動を覚悟せねばならぬ。後半生、私は何をしたいのか。真剣に悩んだ末、昨夏、一期限りで引退した。

  振り返って、私が堅く心に決めていたのは一つだけ、「職業を持つこと」。あとは偶然の積み重ねだが、どれも楽しく、得難い経験となった。弁護士業の傍ら、今春から週一回、大学で刑法と刑事訴訟法を教える。新たな職業が楽しみだ。

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後半生の春 2005年3月30日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

  異動の時期だ。

  私は、検事十五年余で七回異動した。その後参院議員に転じて二年が巡った三月、議員会館事務所にいて、妙に落ち着かなくなった。理由は……異動だ。二〜三年毎の習性が体に染みこんでいた。

  うち地方への異動は三回。松山、津、名古屋。二十代から三十代半ばの時だ。引っ越しは面倒だが、それを遙かに上回る期待。未知の地。新しい仕事・事件。公私にわたる人との出会い。松山の親しい女性弁護士が言う。「いいよね、嫌な事件も人も捨てて出直せて。私らはずっと同じ」。どの地も懐かしい。人生がただ未来に向かって伸びていた頃。何をしても何があっても、将来の糧になると思えた。

  その後いつしか十年が経ち、徐々に老化を意識するようになった。そうなって初めて、分かった。人は必ず死ぬ。であればその前に、老いて弱っていく必然がある。ずっと誕生後からだった人生が最期からに切り替わる。残り、どれだけ。

  今、思う。家庭の事情や人事への不満からではなく、もう落ち着きたいからと辞めていった先輩検事たちも後半生を意識したのだろうかと。五十歳での転身を予め決め、渉外弁護士に転じた検事がいた。地縁血縁のない津が気に入り、開業した人も。それぞれに第二の人生だ。

  経緯は異なるが、私も一所に落ち着けて、本当によかった。桜の名所、千鳥が淵近くの閑静な通り。テラスからは緑が望める。大いに気に入っていて、長く居るだろう。ここで初めて迎える春。

  桜がひとしお待ち遠しい。

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過ちを犯したのは・・・ 2005年3月23日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

  亡き父は広島市の出身だ。原爆投下の日、両親やきょうだいを探して街中を駆け回ったという。学生だった弟妹三人は死亡。灼熱の生き地獄を、私は何度か聞かされた。

 怖くて平和記念館には行けなかったのだが、検事時代にアジア極東防止研修所という国連機関の教官になり、各国の研修生を同行する立場となった。入口にある「過ちは繰り返しません」。何の疑問も抱かなかった。

 その後国会議員になり、アジアの要人から指摘された。「なぜあの言葉なのですか。過ちを犯したのは日本ではなく、アメリカでしょう」。

 原爆投下及び東京大空襲。民間人や捕虜の虐待・殺害こそが古来通例の戦争犯罪である。戦勝国であるが故、彼らは自らの罪を不問に付した。

 国連憲章が禁ずるまで、人類の長い歴史において、戦争は外交の延長であり、紛争解決の手段であった。故にありえなかった、勝った国が負けた国を裁く裁判。それが東京で行われた。A級戦犯「平和に対する罪<侵略戦争を共謀・遂行した罪>」。近代法の禁じ手である事後法を設けての裁判であった。

 インドのパール博士らが無罪を主張したが、二十五名全員が有罪。うち東条英機ら七名が絞首刑となる。一方、通例の戦争犯罪(B級戦犯)では、東京外の内地・外地で五千人以上が裁かれ、絞首刑約千人。

  知れば知るほど己の無知に愕然とした。各国の研修生にあって、なぜか我々にはなかった、国への誇り。人の背骨をなす歴史。知らずして誇りは持てないと、ようやくに知った。
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ピアノと指導者 2005年3月16日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 縁あって先日、一流ピアニストのレッスンを受ける機会に恵まれた。CDを聴いて感激したのだが、実際、得難い教えをいくつも頂いた。

 クラシックは、楽譜通りに弾けて後が勝負である。体全体を使っての音の出し方、作曲家による音質の違い、曲想をどう作るか……。一つ一つの音にこだわって初めて個性があり、音楽の本分がある。

 ピアノを始めたのは四歳の時だ。当初嫌だったがすぐ好きになり、ずっと習っていた。ただ私が今、曲がりなりにも人前で演奏を披露できるのは、大学生になってついた先生のお陰である。ここで音の出し方を基礎からやり直したのだ。

 八年後検事に任官、転勤生活となって、やむなく独習になる。自然弾かないまま二十年が経過。すっかり諦めていたのだが、後半生を前にふと、またやろうと思い立った。幸いいい先生が見つかり、昨年二月来、月一回の割でレッスンを続けている。そして、冒頭のレッスン。

 そこで私の後に長身の高校生がレッスンを受けた。長い指でリストなどの超難曲を楽々と弾きこなす。だが芸大ではなく法学部に進み、法曹になりたいとのこと。いいなあ、最初からいい先生につけて。と母にメールを送ったら返信あり。定めだから仕方がないねと。

  戦前の庶民には高嶺の花だったピアノ。その夢を私に託し、父を説得し、ピアノの聞こえる近所の家に私を連れて行った母。内職の洋裁で、二十万円するピアノを買ってくれた。初任給一万円の時代。愚痴を零さず、練習しよう。
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医業の名の金儲け 2005年3月9日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

  一九八〇年七月、富士見産婦人科病院事件が発覚した。組織的な乱診乱療で、病巣のない子宮や卵巣を摘出。被害女性の数は千人を越えるという。

 この事件に特別の感慨があるのは、当時神戸に住んでいた私も同様の被害に遭いそうになったからだ。司法試験の論文式受験に万全を期すべく簡単な薬を貰おうと、近くの某産婦人科病院に行ったら、内診をという。そしてすぐに、「ああ、子宮筋腫ですね。大きいので全摘かも」。茫然自失の私に医師は明るく付け加えたものだ。「子宮なんて付属器官ですからね。手術は簡単ですよ」。

 アドバイスしてくれる人があり、別で受診したら異常なし。二つ目も同じ。安心したとたん高熱が出て寝込んだ。その翌月の事件報道だ。幸い試験には合格。聞けば、件の病院は病棟を建て増ししたばかり。医業に名を借りた金儲けとはゆめ思わず、手術を受けた女性も多かったのではないか。

 一般に、医療行為の当否は証明が難しい。富士見病院事件では傷害罪での起訴が見送られた。一方、元患者らが起こした民事訴訟が昨年ようやく勝訴で確定。それを受けてこの二日、厚生労働省医道審議会が医師五名を処分した。うち一人が最も重い医師免許取消し。医療行為による免許取消しは七一年以降初めてという。

 だが、これが朗報のはずがない。軽い処分。二十五年という歳月。それに、どれほどの謝罪や償いがされたとしても、失われたもの、人生は戻らない。不適格な医師を排除すべく講ずべき施策はいくつもある。

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幼児虐待の根に潜むもの 2005年3月2日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

  検事時代に担当した児童虐待事案である。

 二十歳の男が三十八歳の女と同棲。女の五歳男児が言うことを聞かないからと連日、殴る蹴る、風呂場で投げ倒す、煙草の火を押しつける……。ついには布団で簀巻きにして放置。窒息死寸前の男児は脳が萎縮、植物状態となった。

 だが、男には一片の反省もない。終始見て見ぬ振りで通した女も同じだ。三つ編みを両肩に垂らし、可愛い声で言う。「あの子も彼の言うことを聞かないから……。これからもずっと彼と一緒にあの子を見ていこうと思います」。

 生傷が絶えないのを不審に思う幼稚園の先生が尋ねても、「自分で転んだんだよ」と答えていたという子ども。病院に行き、担当の若い医師に尋ねた。万が一にも治る見込みは?「このままですね……」。静かに首を横に振り、優しく子を見つめる眼差し。記憶の中で唯一そこだけが静謐だ。最後まで反省のない男の刑は、わずかに懲役三年。十八年前のことである。

 ここ数年、児童虐待が耳目を引く。摘発件数は昨年、過去最悪の二百三十件を記録。前年比五〇パーセント増だ。児童相談所での相談件数も十年で十六倍、二万七千件に上る(昨年度)。児童福祉司の増員はたしかに急務であろう。

 親が子を愛し慈しむのは、本能ではない。愛されて育った成果である。虐待する親には自らが虐待されたケースも多いという。子は親を選べない。問題のある家庭を社会がどう補完できるか。根は深く、その解決は容易ではない。

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独創は基本の上に花開く 2005年2月23日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 短歌が好きである。何でも一つの世界にしてくれる五七五七七。まるで魔法の杖のようだ。

 とくに好きな歌を、二つ。

 まずは北原白秋の歌。「君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」。姦通罪で投獄された彼が、当の人妻を詠んだ歌だ。三十一文字に、視・聴・嗅・味・蝕、全五感に訴える宇宙が広がる。

 次に、与謝野晶子以来の天才女流歌人・中城ふみ子の歌。「冬の皺よせいる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか」。迫りくる死を冷徹に見つめる眼差し。乳癌で両乳房を失い、三十一歳で逝った歌人である。

 下手ながら、私も時折、歌を詠む。高校時代の古文教育の賜である。毎回、活用形の暗記。冬休みには百人一首の暗記。これら宿題を通し、リズムと言い回しが自然に身についた。理詰めの記憶力は二十五才まで衰えないが、丸暗記は十八才まで。とは残念ながら、大人になって知ったことである。

 吉田松陰はじめ昔の人は幼少時、四書五経を素読させられたという。ユダヤ人の頭の良さも幼少時の教典暗誦にあると聞く。理屈抜きに体に染みこんだ言葉は、やがてその意味が分かったとき、一挙に血肉となる。教育とはすなわち、いい型を覚え込ませることである。稽古事、然り。躾、然り。鉄は熱いうちに打て。何にでも逃してはならない時期がある。基本が出来て初めて、独創性はある。

 国も社会も家庭も、作るのは人である。人を作るのは教育である。学力を培わないゆとり教育が、この度やっと見直されるとのこと。朗報と聞いた。

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生まれる国は選べない 2005年2月16日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 サウジアラビアでこの十日、初の選挙が実施されたという。 国名の由来は「サウジ王家のアラビア」。一九三二年の建国以来憲法も選挙もなく、数あるイスラム国中、最も戒律の厳しい国である。酒・ポルノ、禁止。写真撮影もダメ。刑罰も過酷の極みである。

 十年前、その首都リヤドを訪れた。砂漠に作られた人工的な近代都市に、張りつめた空気が流れる。

 女性を見かけたのは市場だけだ。全身をすっぽり覆う黒服姿。外国人の私ですら首から下の黒マント着用が必須なのである。学校も銀行も飲食店も、はては結婚式ですら男女は別々だ。女性には運転免許もない。どころか助手席に座れば姦通とみなされ、石打ちの刑になるという。職業ももちろん限られる。話したサウジ男性らいわく、女性を「隔離」ではなく「保護」しているのだと。だが、そう言う彼ら自身が強く抑圧されているのである。

 二〇〇一年九月、米中枢同時テロが起こった。首謀者ウサマ・ビンラディンはサウジ出身。率いるアルカイダのメンバーの多くがそうだ。イスラム過激派を生む社会。その変革を米国及び国内知識人が強く迫った結果が今回の選挙である。だが、未だ女性の参政権はない。

 もしここで生まれていたら……。いや、ひとりこの国だけではない。世界のまだまだ多くの国で、餓死し戦死し、医者にもかかれず初等教育さえ受けられない、そんな人が大勢いる。人は生まれる国を選べない。せめてこの幸せをひしと感じておかねば罰が当たると思うのだ。

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「食」は人の基本 2005年2月9日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 先日、近くのスーパーに行ったら、あるある。たらの芽、蕗の薹……。春立ちぬ。食の世界にもすでに春到来である。

 よくぞ日本に生まれけり。

 天ぷらはさほど好物ではないが、春野菜は別である。独特の香りと共に季節を運んできてくれるからだ。そのうち、料理好きの知人が、蕗の薹の佃煮を作って送ってくれるだろう。和食は実に多彩である。今や世界に知られる、刺身、寿司、すき焼き以外にも多くの食がある。どれも体にいい。食欲のない時でも食べられる。そのベースに醤油がある。東南アジア・中国の、魚を原料にした醤油とは別物の、日本固有の調味料である。

 少なくともこと食に関し、これほど恵まれた国はない。世界の店が揃い、食材も豊富に出回る。情報にも溢れ、その気さえあれば、家庭で簡単に様々な料理が楽しめるのだ。

 であるのに一体どうしたことだろう。おやつはスナック菓子。食事は毎日コンビニで調達したもの。そんな食生活で子どもがまともに育つわけがない。例えばカルシウム不足は、すぐに切れる子を作るのだ。

 体ばかりか心を作る。それが食である。家庭の基本は食にある。何のかのと口で言っても、親の愛情は食に表れるのだ。子を思い、その健やかな成長を真に願うのであれば、最も大切にすべきは毎日の食である。食と一緒に愛情を食べる子どもは、非行に走れない。

 食は、人の基本的な営みである。何を食べたかよりむしろ、誰とどう食べたか。笑い、語らい。いい食の思い出を子らにつくってやりたいものである。

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弁護士のやり甲斐 2005年2月2日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 法律事務所を始めて、ちょうど半年が経つ。この間、一番多い質問が「専門は何ですか」。

 実は、とくにないのである。民事・家事、刑事。よほど特殊な案件でない限り、何でも扱う。各自、好き嫌い、得手不得手はあっても、これが日本の弁護士の普通の業態であろう。

 未だ幸い訴訟社会ではないこの国では、一般人を対象にした専門弁護士はおよそ成り立たないのである。特殊なノウハウが必要であり、需要が常時確実にある分野。となると、勢い対象は企業である。企業法務、知的財産分野、倒産関係……。

 扱う額に伴って弁護士報酬は上がるから、中には桁違いの収入の方もおられるだろうが、私は根っから普通の事件が好きである。やり甲斐は人助けと見つけたり。人と社会を広く知るために、分野を限らず、様々な法律を扱っていたい。

 先日、在住外国人同士の離婚相談を受けた。具体的なことは書けないのだが、とにかく珍しい案件である。外国人の場合の準拠法以外にも、民事保全法、家事審判法、民事訴訟法が絡み、まるで迷路のようだ。先輩諸氏にも相談し、一応の回答は送ったが、やはり何かが引っかかる。週末さらに調べていて、急に解けた。昨春施行された新・人事訴訟法、それが盲点だったのだ。週明け早速、誤りを訂正した再回答を送った。

 視界がさっと開ける爽快感。複雑難解なパズルが解けた時の快感もこんなだろうか。昨今法律改正が相次ぎ、職務を全うするのは大変だが、趣味と実益を兼ねた仕事であるとつくづく思ったのである。

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国会野次合戦の理由 2005年1月26日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 通常国会が始まった。テレビで映し出される本会議場。昨年までの六年間、私はここに座っていた。

 当初、野次怒号の凄まじさに圧倒された。発言者のマイクを通したテレビ音声と比べ、実際はもっとすごいのだ。それでも我が参院はまだ大人しく、衆院では発言者の声すら聞こえないほどだという。なぜ静かに人の話を聞けないのか。と尋ねた私に、大先輩がにこやかに答えてくれた。「だって、静かにしてたら退屈で、寝てしまうじゃないか」。事は、予算委員会以外あまり放映されることのない各委員会でもさほど変わらないだろう。少なくとも与党議員にとってはそうである。

 理由は、日本の立法過程の特色にある。少数の議員立法を除けばあと政府法案。これは他の議院内閣制の国も同じだが、日本では政府法案が国会に上がる前に与党が法案審査に決着をつけてしまうのだ。その中心は、党政務調査会及び各部会。非公開のこの場で、激しい議論を経て了承した後は、その決定を党議拘束の基準とし、以後ひたすら原案通りの成立を目指す、それが日本の与党である。従って、国会はもっぱら野党の論戦場だ。戦後、アメリカの影響で国会審議の中心が委員会に移されたこともあり、委員会で可決されれば、その後の本会議はおよそ儀式でしかない。

 小学生からファックスを貰ったことがある。「なぜ静かに聞けないのでしょうか」。教育に悪く申し訳ないことに加え、右の理由を書いて、返信した。野次も飛ばさず居眠りもせず、行儀良く座っているのはたしかになかなか難行ではあった。

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感性育てる国語 2005年1月19日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 読書は時に、大きな発見をもたらす。八年前、偶然手にした『スカートの風』(呉善花著)がまさしくそうだった。

 韓国語と日本語は語順がそっくりで、互いに最も学びやすい言語だと言われる。ところが、来日した著者は、いくつもの相違に戸惑うのだ。「本日閉店します」ではなく、なぜ閉店「させていただきます」なのか。「泥棒が入った」ではなく、なぜ「入られた」のか(韓国語には受身形がない)。やがて彼女は答えを見出す。前者は許可を求める気遣いであり、後者は自らにも責任があるということだと。

 それでも日本の伝統生け花だけは謎だったが、来日後五年ほどして理解できるようになる。その奥にある精神性と不可分の美。たおやか・すずし・侘し、といった「大和言葉でなければ形容不可能な古趣の味」だと。

 たしかに、「寒い」しか知らなければそうとしか感じられないはずである。凍える、かじかむ、凍てつく、そうした言葉を知って初めて、そう感じることができるのだ。日本で学び日本語に堪能な、知人のフランス女性が、帰国後もずっと雨が降ると「しとしと」と感じると言った時には心底驚いた。自然を擬人化する、こうした擬態語は他の言語にはあまり見られないのだ。尊敬語・丁寧語・謙譲語と、TPOに応じて使い分けが必要な敬語もまた、真にその気持ちがあればこそ正しく使いこなせるものであるにちがいない。

 言語は人の考え方ばかりか感性をも作る。すなわちそれは、人格を作るということだ。教育は一に国語、二に国語だと、固く信じる所以がここにある。

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定年後の夢 2005年1月12日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 二十年前、転勤した松山で知り合った友人は、非常な読書家である。県庁勤めの帰途、必ず本屋に寄る。広い家の、広い書斎は蔵書で崩れんばかり。定年後の夢は「古本屋をやること」である。

 彼は言う。「僕が本読むのはパチンコする人と変わらへん。要するに癖やから」。好きだからやっているだけ。生活習慣とはたいていそんなものである。ただ、本は、好きであるに越したことはないと思う。知識見聞を広げ、それによって世界を広げてくれるからだ。本なんか読まなくてもインターネットがあるからいいよと言う人がいるが、そこで得られるのはあくまで情報である。種々雑多、膨大な情報の中から正確なものを選び出すためにも知識が必要だ。それを養うのはやはり、読書をおいて外にはないと思うのだ。

 小学生の時、月二回の配本が待ち遠しかった。本好きになった元を辿れば、幼い頃、母が毎夜読んでくれた絵本に行きつく。気に入った話をせがんで何度も読んでもらううちに、暗唱していた。「遠い都の殿様に、会いにゆきます万寿姫……」。登場人物が想像の世界で動き出す。他に娯楽のない時代でもあった。多チャンネルテレビ、ビデオ、インターネット、ゲーム……。何でもありのこの時代、子どもをあえて地味な本に誘うのは至難の業かもしれない。

 冒頭の友人は昨年末、長年の夢を実現させた。縁あり、古書店を居抜きで譲り受けたのだ。定年まで二年。代わりに店番をしている奥様の写真を、共通の友人が送ってくれた。にっこり幸せ、相変わらず美しい彼女もまた本が大好きなのである。

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嫌なら変えよう 2005年1月5日(水) 東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

 七年前、現職検事の時に自民党にスカウトされ、参院議員に転じた。慣れない中、私なりに精一杯やっているつもりだったが、検事上がりはやはり頭の下げ方も知らないと、あちこちで言われていたと後で知った。

 無我夢中で二年が過ぎ、ほぼ慣れた頃、突如やめたい症候群に陥った。今思えば一種の適応障害だったのだろう。検事を十五年余、これが最後の法廷立会いだとの覚悟もないまま急に辞職する形になったので、気持ちが吹っ切れていなかったのだと思う。

 幸い半年後には立ち直った。と分かったのは議員会館に行くのがとても楽しくなったからである。何といっても同僚先輩はみな、私とは違い、あの熾烈な選挙を勝ち抜いてきた人たちである。並外れたエネルギーなくして大勢の支援は得られない。実際間近に接してみると、実に個性的、魅力的な人が多いのだ。

 先日、新しい職場に替わった三〇代のキャリア女性が、周りの人がみな嫌いと言うので、この経験を話した。「人は変わらない。でも自分は変われる」。面白いもので、互いの好悪の感情はたいてい一致する。良い関係を築くにはまずは相手を好きになることだ。狭い世界や価値観に閉じこもっていては何より自分が成長しない。

 六年の議員生活は得難い経験の連続であった。懸案だった少年法の改正にも携われたし、歴史教科書問題などを通じて歴史を初めて真剣に学び、国のあり方について思いを巡らせるようになった。最大の財産は、処世術。「嫌なら変えよう。変えられないなら楽しもう」。ユダヤの格言だという。

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敗戦のトラウマ 2005年2月27日(日) 産経新聞「from」

「なぜ日本の人々は国に誇りを持たないのですか」「大戦の廃墟から立ち直って、世界有数の経済大国になった日本は我々アジアの誇りです」

 十年ほど前、アジア極東犯罪防止研修所という国連機関で教官をしていたときのこと。何人もの刑事司法関係者からそう言われた。皆それぞれ自国を愛し、誇りに思っている。国際的には当たり前のことなのだ。

 対してなぜ我々は、愛国心を口にしないのか。どころか自虐的でさえあるのか。その答えが見つからないまま国会議員となり、初めて歴史教科書問題に接した。深刻な問題意識を抱き、真剣に歴史を学び直すうちに、私なりの解が出た。「敗戦のトラウマ」。

 史上最初かつ最大の敗戦に自信を喪失した日本は、過去を捨て、別の国を目指した。昭和二十七年に独立を回復した後も、与えられた憲法を見直すことなく、安全保障を他国に任せ、ひたすら経済発展に邁進してきた。裏を返せばそれだけ占領政策が成功したともいえるだろう。

 だがバブルは崩壊。経済にのみ支えられた自信は吹き飛んだ。戦後徐々に日本を蝕んできた精神の荒廃が一挙に露わになる。以後目に見えて治安は悪化。犯罪件数は十年で倍だ。その低年齢化、凶悪化も進む。家庭も学校も、果ては第二の家庭であった会社も、崩れていく音が聞こえるようだ。

 古来、八百万の神の国・日本。確固たる宗教なくして国民を規律するものは何か。と問われ、新渡戸稲造は英語で『武士道』を著した。あるいは西洋の「罪の文化」に対する「恥の文化」(ルース・ベネディクト『菊と刀』)。そうした規律を失い、戦後の憲法と教育の下、ただ個人の自由・権利を横行させてきたのである。

 自らに誇りを持てない人間は誰からも尊敬されない。自国を愛せない人間、また然りだ。根無し草は国際人にもなれない。家庭、社会、国。自らの拠って立つ基盤に根付いてこそ、人はある。

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法律の実務 2005年1月29日(土) 産経新聞「from」

 司法改革のまず第一、「法律家を増やせ!」。長年、合格者年五百人だった狭き門を、九三年以降徐々に広げ、昨年は千五百人。これからもどんどん増やして、目標は年三千人だという。

 弁護士はすでに二万人以上いる。検事・裁判官を合わせて二万六千人。フランス五万人、ドイツ十五万人、ましてアメリカの百万人超に比べると少ないが、これらの国々には、司法書士、行政書士、社会保険労務士といった職種がない。すべて弁護士の業務なのである。こうした「隣接法律専門職種」が日本には十万人もいる。

 互いに助け合うムラ社会の日本では、話し合いで解決するのがそもそもの基本であろう。日本が訴訟社会になることはすなわち国の形が崩れることでもある。訴訟の迅速化のため、弁護士僻地の解消のため、ある程度の増員は必要だろうが、さして需要のない所に供給を増やせば過当競争となり、全体として質が落ちる。アメリカでambulance chaser(救急車を追う人)と言えば、弁護士を指す。何でも事件にし、金にしようとする姿が映画や小説に描かれるようになって、すでに久しい。日本でも弁護士の懲戒件数は残念ながらすでに増加の一途にあるのが実状だ。

 その犠牲者の多くはふだん法律とは無縁な一般市民であろう。医者と同様専門職である弁護士の過誤はなかなか分かりづらい。信頼のおける人の紹介を受けるのはもちろん、納得できなければセカンドオピニオンを求めるといったことも今後必要になるかもしれない。

 量を増やして質を落とさないために、昨春法科大学院がスタートした。本家本元のロースクールとは違い、法学部を残した上での大学院だから、早ければ十八歳から何年もの間ひたすら法律を学ぶことになる。怖いのは、マニュアルでの受験勉強しかしてこなかった者が、さらにまたマニュアルで条文を追い、判例を詰め込むことへの懸念である。法律は本来、人と社会にどっぷり浸かった、生臭い学問であり実務なのである。

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後半生のスタートに 2005年12月24日(金) 産経新聞「from」

 何かの拍子に、昔読んだ言葉が蘇ってくることがある。「コートは若い人のもの。中年になると動きが鈍くなり、似合わなくなるのです」。あっ、五十歳を目前にした最近、明らかに動きが鈍くなってきたのだ。

 老化を意識し始めたのは二、三年前である。そうなって初めて、遅まきながら、気がついた。人は必ず死ぬ。である以上、その前から徐々に老いて弱っていかねばならぬ。それが自然の摂理であり、人の努力には限界があるのだと。

 大袈裟なようだが、以後、人生観が変わった。いずれ介護が必要になる身として弱者の立場が分かってきたし、何より、あとで後悔しないよう、やりたいことは今やっておこうと考えるようになったのである。

 私の場合、たまたまその時期が、参院議員一期目の後半にあたった。若くさえあれば、制度が変わって熾烈になった選挙選を一度は経験してよかったし、大臣もやってみたいと思ったかもしれぬ。だが、もう一期やれば私は五十代半ば。それから新しいことを始めるには、頭はともかく、体がついていかないと実感できたのである。

 今夏、私は再出馬せず、法律事務所を始めた。議員になる前は検事を十五年し、うち二年は訟務検事(民事・行政事件の国側代理人)もしたが、弁護士業、また自由業は、初めての経験である。

 翻って、国会では得難い経験を数多くした。委員会での質問は大好きだった。ただ、国会という所は、本会議であれ委員会であれ、時間拘束がやたらに長いのだ。また、何であれ、数が必須。各自思惑もしがらみもあって、正論だから通るというわけではない。数の力で押し切られ、審議にさえならないこともあった。

 今は小さな場ではあるけれど、自ら責任をもって考え決断し、回答を出すことができる。後半生は微力ながら社会のお役に立てるよう、「人にやさしく」をモットーに、かつ老い始めた我が身にもやさしくありたいと思うのだ。

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