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安全な国を取り戻そう少年事件と少年法日本の刑事司法「死刑廃止」には反対
プロフィール

〜日本の刑事司法〜
Q&A
INDEX
Q1
なぜ自白を取るの?
Q5
裁判所の裁量幅が広すぎる。判決は裁判官次第じゃないの?
Q2
自白を強要してるのじゃないの?
Q6
裁判が長くかかりすぎるのじゃないの?
Q3
保釈が容易に認められず身柄拘束期間が長引くのは問題じゃないの?
Q7
日本も陪審制にすべきじゃないの?
Q4
有罪がほとんどないけど、冤罪が多いんじゃないの?
Q8
刑務所は規律を重んじすぎてない? なぜ作業をさせるの?
 

Q1なぜ自白を取るの

A:  被害者なき犯罪(例えば贈収賄)などでは、少なくとも一方当事者の自白がなければ立件自体が出来ません。でなくて十分に疑わしい証拠があって逮捕はしたけれども、日本では起訴のハードルが有罪判決とほぼ同等のため、あと一歩の自白が取れなければ起訴に踏み切らないという事例もあります。
 ただ、客観的証拠だけでも立件・起訴ができる場合でも、日本の捜査官は自白を取るべく精一杯の努力をします。その理由は2つ。

 1つは、当事者でなければ知りえないことがたくさんあるからです。
 殺人のような犯罪であればもちろん、覚せい剤使用や万引きのようなよくある犯罪にしても、犯行に至った動機、犯行態様、常習性など、真実は当事者にしか分かりません。英米法に代表されるキリスト教国が自白に淡泊なのは、しょせん「真実は神のみぞ知る」だからです。

 唯一絶対神がいない日本では、真実を明らかにする責務が人間、つまり刑事司法担当者に課せられているのです。真実を知りたいと傍聴に並ぶ人は大勢います。「真実は明らかにならない。心の闇は解明されていない」類のマスコミ論調は、和歌山カレー事件、オウム事件、神戸児童連続殺傷事件、等々、枚挙に暇がありません。

 他の1つは、自白をすることが本人の更生に必要不可欠だからです。
 我々は、ヨーロッパのような狩猟民族ではなく、農耕民族です。ムラ社会では、人は耕作地と運命を共にします。気に入らないからとよそに出ていくわけにはいかないし、天候に左右される農作業は総出で助け合わなければなりません。

 日本では無給の公務員である保護司が全国に5万人います。地方の名士が公私共に犯罪者の更生を助けるこのシステムは日本独自のものであり、世界の刑事司法関係者たちから「理想の更生制度だ」と驚嘆されています。単にムラ社会であるだけではなく、穏やかな自然や人情が相まってこうした制度となったのでしょう。

 反対に、犯罪者は異端であり社会にとって危険な存在だから隔離・放逐を、という考え方であれば、犯罪者の更生や教育などは不要です。

 再度同じムラで仲間として受け容れるからこそ真人間になって戻ってきてもらわなければ困るのです。そのためにはまずは犯した悪事を洗いざらい打ち明け、迷惑をかけた被害者その他の人々に心から謝罪し、真摯に反省すること。共犯者や被害者、あるいは家族や社会のせいにしているようでは、いつまた罪を犯さないとも限らないのです。

 つまり自白は、捜査官にとって必要であるとともに罪を犯した当人にとっても必要なことなのです。

Q2自白を強要してるのじゃないの

A:  日本では逮捕状を示した時から、素直に罪を認めるケースがほとんどです。その割合はひところ9割と言われていましたが、今は外国人被疑者も増え、日本人の心性も変わってきていることから低くなっているはずですが、それでも諸外国に比べると非常に高いのです。

 キリスト教国では(あるいはユダヤやイスラムといった同じく唯一絶対神の下では)懺悔は――同じ人間である取調官に対してではなく――神に対してするものです。また多くの発展途上国では、権力の在処は往々にして変わるし、一般民衆は権力者と敵対関係にあって不信感は根強く、任意の自白はほぼ皆無です。だからこそ自白は拷問の結果、と考えるのです。その過酷さは、パキスタンの警察官が「仏像でも警察に連れていけば口を利く」と言っていたほどです。
 
 罪を認めたくない被疑者を説得し、認めさせるには高度なプロ意識と熱意、技量が必要です。しかし残念なことには、捜査官も他の例に漏れずサラリーマン化・マニュアル化が進んでいて、自白が取れないケースが増えています。以後この傾向が続くことを前提に、否認得にならないよう、起訴のハードル、有罪のハードルをどうするか、立証面でのアメリカ化も検討しなければならない時代になってきたように感じます。

 

Q3保釈が容易に認められず身柄拘束期間が長引くのは問題じゃないの

A:  保釈は起訴後に認められるもので、起訴前にはありません。
 起訴前の身柄勾留には期間制約があり、警察48時間、検察24時間、勾留10日(延長してさらに10日)の最長23日です。この長さは、ドイツやフランスなどの大陸法の感覚では決して長い方ではないのですが、英米法では逮捕後すぐに保釈が認められるため(ただし殺人などの重罪であれば別)、日本の身柄拘束は長いとの誤解につながっています。フランスでは起訴を決定する予備審問が大きな事件だと2年もかかり、この間身柄拘束が続いて問題視されているようです。
 
 正しく理解されていなくてとても残念なことは、そもそも日本では身柄事件の割合が非常に低いということです。刑法犯で4人に1人程度、特別法犯(覚せい剤事犯など)で4割程度です。殺人のような犯罪でも情状が軽い場合(起訴猶予になりそうな場合、あるいは起訴しても執行猶予になりそうな場合)には在宅のままでの捜査(メディアが「書類送検」という)も珍しくはありません。対して他の国ではまずは逮捕ありき、なのです。逮捕=検挙、だから、検挙はするが逮捕はしないという概念を説明するのが非常に大変でした。

 ただ保釈の運用には実務上問題なしとしない場合もあると思っています。
 殺人など一定の重罪でなければ、権利として保釈が認められることになっているのに、「罪証を隠滅するおそれあり」あるいは「逃亡のおそれあり」を理由に検察が保釈に反対し、意向を酌んで裁判所が保釈を許可しないケースが、ことに否認事件では往々にして見られるようです。こうしたおそれは保釈金を高くすることで払拭することが権利保釈を設けた趣旨のはずだからです。

Q4.有罪がほとんどないけど、冤罪が多いんじゃないの

A: たしかに日本の有罪率は例年ほぼ100%、無罪率はコンマ以下、と非常に低いのです。対して英米では有罪率は半分以下だったりするほど。もっともこの基礎数値には被告人自身が有罪を認めた場合(有罪答弁。証拠調べは一切せず量刑に入る)は除外されています。

 そもそも英米と日本では起訴のハードルが大きく異なります。
 英米では51%ルール。つまり有罪になる確率が無罪になる確率を少し上回るだけでいいのです。
 対して、日本では起訴のハードルは有罪と限りなく同じ、つまり「合理的な疑いを容れない程度」に有罪が立証されるだけの証拠があることを必要としています。もともと起訴の時点で篩(ふるい)にかけているのだから、めったなことでは無罪になるはずがない。……と説明すると、「それでは裁判所は要らない」と言われ、苦笑しました。

 なぜ日本では起訴のハードルがこれほど高いのか? 
 おそらくはその背景に日本の社会事情があると考えられます。つまり、起訴されるだけで(その前に、逮捕されるだけで)悪い奴だとのレッテルが貼られ、たとえ無罪になってもそれが消えないために、ハードルが徐々に上がり、実際無罪率が低いためによけいに逮捕・起訴の悪印象が強くなり……これはある意味では悪循環なのかもしれません。

 問題は、「疑わしきは罰せず(被告人の利益に)」の理念が起訴段階で持ち込まれるため、疑わしい者も起訴しないケースが起こることです。実体的真実主義には両面があり、「罪を犯した者を逃さない」理念も含まれていることを忘れてはならないと思うのです。実際、起訴すれば裁判所では証拠調べの結果有罪としたかもしれず、被害者の立場を考えれば、無罪をおそれず起訴に踏み切ることも検察に課せられた重大な使命ではないかと――これは検察時代から私が常々思っていることです。

Q5裁判所の裁量幅が広すぎる。判決は裁判官次第じゃないの

A: 英米では殺人にも第一級・第二級といった等級があり、それによって法定刑もおおむね決まっているのですが、日本では殺人罪は一種のみ、しかも法定刑の幅が非常に広いのです。「死刑、無期又は3年以上の有期懲役」、情状酌量すれば懲役1年6月まで下げられ、懲役3年以下であれば執行猶予も付けられますから、何でもありの感が強くなります。
 
 法定刑の幅の広さは、裁判官に対する信用なくしてはありえません。ことに発展途上国では裁判官への賄賂供与が当然起こります。そのために裁判官の待遇を良くすることと法定刑を一義的に定めることが必要となります。麻薬15グラム以上の所持・販売は死刑、10〜15グラムは無期懲役……と定めておけば、裁判官の裁量幅はほとんどありません。

 日本では法定刑の幅が非常に広いのですが、だからといって恣意的な判決はほぼ皆無です。制度としての担保が検察官による「求刑」。法律上は「意見を述べる」ことですが、実務上その際に求刑が要請されています。全国統一組織である検察庁はあらゆる罪種について求刑基準を持っています。これを通して、全国津々浦々、同じ罪状・情状の事件には同じ求刑がなされ、不公平にならないよう配慮がされているのです。

 判決の「相場」は求刑の7〜8割。
 殺人の求刑は平均懲役10年で判決の平均は7〜8年(世界有数に軽い!)。判決が求刑より低いのはおかしいと思う人もいるでしょうが、下げなければ弁護人は何もしなかったに等しくなります。もちろん裁判官にもいろいろな人がいて、求刑を無視して独自の判決を下すこともあるのですが、その場合には検察が控訴して高裁で正しい判決が下されるよう是正して、不公平な判決を避けるのです。
 この「相場」感が妥当しないのは、求刑が「無期懲役」あるいは「死刑」の場合です。両者の場合には少しでも下がると検察の控訴対象になります。また執行猶予を付けるときは求刑通り言渡したうえで、というのが普通です。

Q6裁判が長くかかりすぎるのじゃないの

A:  例えば、オウム事件。95年に地下鉄サリン事件が発生、まもなく首魁以下一味が逮捕されて公判が始まりましたが、首魁は未だ一審係属中、判決の目処はまだ立っていません。大枚の税金はかかるし、第一裁判は迅速でなければ意味がないのに、一体いつまでだらだらやっているのだ、と国民が憤るのは当然です。

 日本の「精密司法」は、綿密な捜査・厳格な起訴・詳細な裁判(事実認定)を要求しています。ともすればそれが行き過ぎ(厳格すぎる起訴について、Q4参照)、裁判において決して間違ってはいけないのは被告人が真犯人か否かなのに、微細な事項に至るまで主尋問・反対尋問を何度も繰り返して重箱の隅をつつくようなことをやっていては公判は延々と延びてしまいます。
 
 ただ、こうしたイメージとは反し、一般的には日本の裁判は決して遅くなく、刑事事件の9割は半年以内に終わります。普通は1回で結審、次回判決言渡しですし、強盗殺人事件でも被告人が認めてさえいれば3回も開廷すれば結審してしまいます。ただ社会の耳目を集める大事件が遅延傾向にあるため、裁判は長いというイメージが定着しました。

 ちなみに民事事件の平均も約9ヶ月と世界的に見ても決して遅くはないのですが、ただ実際は訴訟提起に至るまでにずいぶん時間が費やされていることが指摘されています。また、医療過誤訴訟や特許訴訟など専門的な訴訟が長くかかる傾向にあり、これについては専門員制度を採り入れるなどの法案が成立しましたし、また全般的に一審を2年以内で終わらせるべく裁判迅速化法案が成立しました。


Q7日本も陪審制にすべきじゃないの

A: 陪審制は、事実認定を素人である陪審員の専権に委ねる裁判で(証拠の可否など法律的なことは裁判官が教示する)、イギリスのマグナカルタ(1215)にその起源が見られます。外国から来たジョン王の圧制に抵抗して諸侯が自分たちの諸権利を認めさせたもので、中に「我々で裁判をする権利を決して奪われない」とあります。陪審制はあくまで民主主義を維持するための「権利」であって「義務」でないことは重要なポイントです。

 現在、世界の8割の陪審裁判はアメリカで行われています。アメリカでは人種間の対立が根強く、ここでの陪審はより一層権利の色彩が強くなっています。

 実は日本でも戦前、陪審制が施行されたのです。昭和3年開始、同18年に停止されるまでの15年間、実施は500件未満でした。伝統的に公に対する信頼度が高く、被告人の多くは職業裁判官の裁判を受けるほうを選んだのです。

 アメリカの法廷映画を観た方には馴染みでしょうが、陪審の「評決」はguilty (有罪)かnot guilty(無罪)のみ、素人ですからその判断に至った理由は付せられないのです。つまり、判決のこの部分の証拠認定が不満だとしての控訴はできず、従って事実審は一審のみ、というのが陪審制に伴う必然の帰結なのです。

 陪審制に対して参審制があります。素人(参審員)が職業裁判官と共に審理に参加する制度で、ドイツやフランス、イタリア、その他多くの国で採用されています。
 実は、日本も司法制度改革の一環として、参審員と同様の裁判員制度を採り入れることとなりました。刑事事件のみというのは決まっているのですが、詳細は未だ検討中です。どの種の事件か、裁判官何人に裁判員何人か、等々。

 しかし、果たしてうまくいくのか、私ははなはだ懐疑的です。当初から導入に強く反対もしましたが多勢に無勢でした。弁護士会などには裁判にも市民を参加させるべきだ、市民に法律を教えなければならないとの考え方があるようです。ですが、日本は伝統的にお上意識の強い国柄です。民主主義は外から自動的に与えられたものであって、自らの血と汗で勝ち取るべきものだとの認識がはなから欠如しています。なぜ自分たちがこんな面倒なことに巻き込まれないといけないのか、そう不満に思う市民がほとんどだろうと思うのです。実施する以上は是非うまく成功させたいものではありますが。


Q8刑務所は規律を重んじすぎてない? なぜ作業をさせるの

A:  受刑者に行進させたり、刑務作業に従事させるのはおかしいのではないか――外国の司法関係者を刑務所に案内するとよく、そんな質問が出ました。彼らにとっての刑罰とは自由を奪うことで足り、それ以上に何かさせることは苦役になるというのです。

 刑罰の意義を何に置くか。それによって懲役刑の在り方も変わります。
 日本では応報と同じ程度かあるいはそれ以上に受刑者の更生・教育を重視しています(Q1参照)。もっとも受刑者を改善更生させるために矯正当局が真摯な努力をしていることは残念ながら世間一般にはあまり知られていないようです。

日本では微罪処分、起訴猶予などの不起訴、略式請求、執行猶予との幾重ものスクリーニングをかけ、できるだけレッテル張りをせずに社会内で更生させるシステムを取っています。結果、新受刑者は年わずかに2万人程度。受刑者5万人(アメリカは130万人とも言われる)、収容率8〜9割でずっと推移していたのが,刑期が長くなる傾向とも相まって、平成13年から過剰収容が深刻な問題となり、刑務所が新設される運びになりました。

 日本では世界に類を見ない精緻な「分類処遇」を行っています。
 刑期の当初に分類センターで知能や性格、環境など精査のうえ分類し(犯罪傾向によるA級(初犯)、B級(再犯者、暴力団関係者)、Y級(若年)、W級(女性)、L級(懲役8年以上)、など)、当人のムラから最も近くかつ等級に合った刑務所に収容します。処遇についても個別のメニューに則り、希望があれば職業訓練を実施し(50種程度ある)、通信教育も受けさせることがあるし、刑務作業は本人の能力や適性に合ったものに従事させるのです。

 更生するには社会で真面目に働ける人間にならなければならず、そのためには規則正しい生活と規律、そして勤労意欲と態度が肝要です。不況で一般人ですらリストラに遭うこの時代、刑務官が受刑者のための作業を受注してくる苦労は並大抵ものではありません。

 諸外国によくある刑務所等級は、警備の必要性による等級です。重大凶悪犯は最重警備刑務所に収容され、そこでの主眼は脱走をさせないことに尽きます。

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