最近思うこと佐々木知子弁護士事務所
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INDEX
Vol.58 厚労省元事務次官刺殺事件,そして麻生首相 (2008年11月27日)
Vol.57 オバマ大統領誕生,小室哲哉逮捕……  (2008年11月10日)
Vol.56 ノーベル賞4人受賞の快挙 (2008年10月 9日)
Vol.55 またもや政権投げ出し!  (2008年 9月 3日)
Vol.54 夏期休暇終了,北京オリンピックなど (2008年 8月18日)
Vol.53 裁判員制,来年5月から導入  (2008年 7月 4日)
Vol.52 遺体消滅事件,そして秋葉原通り魔事件 (2008年 6月12日)
Vol.51 女子高生,襲わて死亡……  (2008年 5月  7日)
Vol.50 桜開花,国会は動かない……  (2008年 3月26日)
Vol.49 三浦逮捕,法相の冤罪発言……  (2008年 2月26日)
Vol.48 新しい年が始まった (2008年 1月31日)
Vol.47 今年も終わり……  (2007年12月25日)
Vol.46 地に墜ちたモラル (2007年11月16日)
Vol.45 永田町,大相撲……  (2007年10月15日)
Vol.44 首相突然の辞任劇,総裁選に思うこと (2007年 9月17日)
Vol.43 新内閣のスキャンダルに思うこと (2007年 9月 7日)
Vol.42 安倍晋三考 (2007年 8月 9日)
Vol.41 久間発言に思うこと (2007年 7月20日)
Vol.40 元公安調査庁長官逮捕!! (2007年 6月29日)
Vol.39 奇異な事件,強引な国会運営 (2007年 6月24日)
Vol.38 松岡農相,自殺!! (2007年 5月29日)
Vol.37 愛知銃撃事件に思う (2007年 5月21日)
Vol.36 ルーシー事件無罪,など (2007年 4月27日)
Vol.35 銃犯罪多発,など (2007年 4月23日)
Vol.34 ホリエモン,2年6月の実刑! (2007年 3月20日)
Vol.33 弁護士業の難しさ (2007年 3月 8日)
Vol.32 2月もそろそろ終わり (2007年 2月23日)
Vol.31 大学後期も終わり (2007年 2月 1日)
Vol.30 一年を振り返って (2006年12月26日)
Vol.29 首長逮捕続出,復党問題…… (2006年12月 7日)
Vol.28 いじめなど,問題山積…… (2006年11月15日)
Vol.27 小林被告に死刑判決 (2006年 9月28日)
Vol.26 麻原の死刑確定など (2006年 9月25日)
Vol.25 首相の靖国参拝など (2006年 8月20日)
Vol.24 お盆前につらつら (2006年 8月 9日)
Vol.23 山口県光市の事件に思うこと (2006年 6月22日)
Vol.22 ポスト小泉・教育基本法改正  (2006年 6月 8日)
Vol.21 グレーゾーン金利廃止について (2006年 5月 8日)
Vol.20 趣味の話  (2006年 5月 3日)
Vol.19 騒麻原被告、控訴棄却 (2006年 3月30日)
Vol.18 偽メール騒動(その2) (2006年 3月 7日)
Vol.17 偽メール騒動 (2006年 2月28日)
Vol.16 皇室典範改正論議 (2006年 2月 7日)
Vol.15 試験採点とライブドア事件 (2006年 2月 1日)
Vol.14 新年にあたって (2006年 1月10日)
Vol.13 この1年を振り返って  (2005年12月26日)
Vol.12 事件ばかりの昨今 (2005年11月28日)
Vol.11 自民党の処分  (2005年10月24日)
Vol.10 やっと秋が来た (2005年10月 3日)
Vol. 9 小泉自民、歴史的圧勝! (2005年 9月14日)
Vol. 8 選挙戦   (2005年 8月31日)
Vol. 7 小泉劇場 (2005年 8月21日)
Vol. 6 解散・総選挙 (2005年 8月11日)
Vol. 5 国会の暑い夏 (2005年 7月)
Vol. 4 弁護士という商売 (2005年 6月)
Vol. 3 一生勉強   (2005年 5月)
Vol. 2 それぞれの春 (2005年 4月)
Vol. 1 新たなるスタート (2005年 3月)

Vol.58 厚労省元事務次官刺殺事件,そして麻生首相   (2008年11月27日)

 何とも大胆不敵な,プロの殺し屋的犯罪だった。
 標的は官僚。年金に関わっていた高級官僚の一家殺害を連続して企むという,日本初の犯行形態である。すわ,テロだとの緊張が走り,元厚労相政務官の私まで要警護リストに上がっていると漏れ聞いた(ただし,実際には何の連絡もなかった)。
 テロは政治目的だから犯行声明があって然るべきだが,何もなく,犯人像がまるで掴めなかった。そうしたら証拠物件をすべて携えて,警視庁に自首ときた。警護が厳しくなり,続く犯行に及べなかったのであろう。

 無職なのに,家賃は払っていたのだから,バックがいると考えて普通である。
 単独犯行を装い,バックを隠すため,証拠物件をすべて揃えて出頭というのは考えられることである。
 そんな周到さの割には,述べる動機が馬鹿げている。子どもの頃に犬を保健所に殺された恨みだなんて,誰が納得しよう。そんなことで(もともと親が保健所に持ち込んだわけだし),まるで無関係の,見知らぬ人を,確固たる殺意をもって殺害できるはずがない。
 もしそんなことがありうるとしたら,精神異常者である。

 しかし,世の中には異常な人が結構いる。秋葉原の事件もそうだった。人生に対する不満を,親でもなく,上司にでもなく,無関係の赤の他人にぶつけた。自分自身を恥じることもなく,ネットに恨み辛みを書き連ねていた。異常なまでの自己顕示欲がそこには見える。今回の犯人もそうだ。近くの警察署ではなく警視庁に出頭したとき本人は英雄のつもりだったのではないか。端から見たら異常だが,当の本人はそれなりに理屈が通っているのであろう。こんな輩に殺されてはたまらない。怨恨やら金銭のもつれやら,男女関係のトラブルであれば避けることもできようが,動機がこれでは誰も避けられない。運が悪かったとしかいいようがない。合掌。

 こわい世の中になったものである。このところとくに大阪ではひき逃げやら引きずりやら,ひどい事件が相次いだ。誰でもいいから殺したかったと車をぶつけられて殺された人まで出た。異常な事件が増えているのは,個々人の問題もさることながら,そういう人たちの異常性が,社会全体の鬱憤や閉塞性の故に際だつのであろう。

 希望が見えない。先行きが不安である。
 政治が漂っている。司令塔がない。麻生首相の発言はよくぶれる。自分が決めると言いながら,決められない。極めつきは漢字がまるで駄目なことが分かったことだ。学生に日頃,人間の基本は国語力だ,国語力はものを考える力そのものだと言っているのに,これはどうしたことか。基本の漢字がここまで読めないということは,考える力がないことに等しい。失言癖と言われていたが,どうやらそうではなく,そもそもの意味が分かっていない故ではないかと思うようになった。
 とはいえ,自民党としてはもう後がない。党内で反乱が起きているようだが,みなで支えて選挙を乗り切るしか方法がない。

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Vol.57 オバマ大統領誕生,小室哲哉逮捕……   (2008年11月10日)

 あっという間に1ヶ月が経つ。というより年賀状を書く時期がまた巡ってきている。なんだか年賀状を書くために生きている気がする,とつぶやくと人に笑われるのだが,この前書いたばかりのような気がするのは本当である。

 ニュースが多すぎて,1ヶ月で世の中が大きく動く。
 オバマ大統領がダブルスコアでマケイン候補に圧勝。オバマが頭のいいエリートであるのはたしかだが,さほどスピーチが上手いとも,知的だとも感じなかったのだが,徐々に彼は場慣れしてきたのか,冷静さが際だってきた。とはいえアメリカで本当に黒人大統領が誕生するのかには懐疑的な人が多かった。それを覆したのは,アメリカがそれだけ「チェンジ」を求めている現実であろう。アメリカの人たちは,9.11に代表されるブッシュの失政にうんざりしているのであろう。お笑いでもブッシュを馬鹿にするネタが多いのには驚く(日本でも同じだが)。
 
 変革を求めているのはひとりアメリカに限らない。どの国も同じだろう。アフリカの奥地の国でさえ影響は免れないほどの金融・経済のグローバル化の中,どの国も先が見えないのだ。
 だが,日本政治の迷走は続いている。最近では,給付金に見られる閣内不統一がそれだ。大体がなぜ,役人のおそろしい手間暇,事務コストをかけて,そんな金を配らなければならない? 国家全体で公職選挙法違反をしているようなものではないか。金持ちは辞退しろって,金持ちは税金で絞り取られていて,ここで辞退しようなんて気にはならないだろう。普通の人でも貧乏人でも,現在のこの未曾有の(首相のいうような,100年に一度なんていう生やさしいものではなく)経済危機の中,不動産業・建設業の構造不況に代表されるように,ちょっと先の雇用さえ読めない不安の中にいる。それに3年後には消費税を上げると宣告されて,そんなはした金を貰ったところで,嬉しくも何ともない。みな騙されはしない。それが本音だろう。
 早期解散の線はとうに消え,来年4月解散説が主流になったようだ。だが来年4月になったところで解散を打てるだけの材料が揃うかどうか。それがなければ任期満了まで内閣は続かざるをえない。対立軸となる民主党にもきちんとした政策を出してもらいたい。

 小室哲哉のニュースにも驚いた。
 詐欺で逮捕と出たから当然に犯意は否定すると思ったが,あっさりと認めた。二重売買だったというのだから仕方がない。
 180億を30年で使うと年6億。月5000万円,日166万円。どうしたって使えない額だと思うが,使い切った挙げ句に借金が10億円以上あるという。困っても賃料月200万円のマンションに住み,著作権をネタに詐欺を重ねて借金を支払い,いわゆる自転車操業をしていた。変な取り巻きに囲まれ,金銭感覚が完全に麻痺していた。逮捕されてほっとしたというのが本当のところだろう。
 私はこの人の歌をほぼ知らない。現在も歌われている歌はそれほどないらしい。金銭感覚に代表されるその生き方と同様,魂を欠いたあぶくのような歌だったのかもしれない。

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Vol.56 ノーベル賞4人受賞の快挙   (2008年10月 9日)

 暗いニュースが多い世の中に,久々嬉しいニュースを聞いた。
 どの方もこつこつと,それぞれの専門分野で,地道にたゆまぬ努力を重ねてきた人たちだ。その成果が(30年後の評価だったりもしたようだが)世に報いられた。
 なぜクラゲは発光するのかという疑問。それを解き明していく人生。陶芸や芸術や料理など,精進する道は何でもいいのだが,そうした我が道を行く,職人的な生き方が,実は私は一番好きである。

 この世の中,何かおかしくはないか,ずっと割り切れないものを抱いていた。
 株の売買や為替レートで巨万の富を得る。何かを産み出すのでも,誰かを幸福にするのでもない。もちろんそこに人類の発展があるのでも,文化があるのでもない。そんな実体のないことに血道を上げ,儲けた損したと大騒ぎする。それが一体,何になるのだろうか。空しい。
 といったことを,マスコミは投げかけただろうか。その結果が,ホリエモンや村上ファンドである。あるいはリーマンブラザーズの破綻。元はといえばサブプライムローンだった。不動産をローンで購入した人たちに,その価値の値上がり分を担保にさらに金を貸しこむ。土地の値段は上がり続けるという幻想は,そう,日本でかつて弾けた,あの狂乱バブルである。バブルは必ずや弾ける。不可解なことには,これが証券化され,危険はどこにもないこととなり,莫大な投資がなされた。そんな実体のない話がいずれ吹っ飛ぶことは,少し考えれば簡単に分かることである。

 地道にこつこつと生きる。そういうまっとうな生き方がどこかで小馬鹿にされていないか。自らは汗水垂らすことなく,人が垂らしている汗を横目に見ながら,濡れ手に粟で儲けることが,賢いことだと賛美されてはいないか。そうではない人たちが,自分たちは損をしている,何の能もない人間なのだと思い込まされてはいないか。
 実体のある産業は,農林漁業(第1次産業)であり,製造業(第二次産業)なのだ。体を動かして物を作り,人のお役に直接に立つことが正当に評価されない風潮は,とても浮薄だし,危険である。

 4人のうち,2人はアメリカ在住だ。
 好きな研究が日本ではできなかったのだろうか。人類のために役に立つ,地道な基礎研究にこそ国の限られた大事な予算はつぎ込まれなければならないのではと思う。外国から有為な人が来日して研究に没頭できる,そんな国に是非なってほしいものである。
 また,思う。アメリカで研究してきたのに,日本人受賞と取り上げられて,違和感はないのだろうかと。事故であり何であれ,必ずなされる「日本人何名」という報道。だが,アメリカのような人工国家と対極にある自然国家の日本ですら,もはや国境の垣根は低くなり,介護士や看護師も公に受け入れるようになっている。日本からもどんどん人が外に出る。いつまでも「日本人」という一括りでいいのだろうかと。オリンピックが国家意識を俄然高めるように,日本人活躍と喜ぶことで,政治や経済の暗いニュースを逸らすにはいいのだろうけれど。

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Vol.55 またもや政権投げ出し!   (2008年 9月 3日)

 1日夜は本当にびっくりした。福田総理,突然の辞意表明!!
 ちょうど1年である。安倍総理の所信表明直後の投げ出しよりはましだが,どっちもこっち。12日に臨時国会が始まるこの時期になんて,思いもしなかった。公明党の離反その他,いろいろ理由はあるにしろ,いずれにしても,もう俺はやーめた,と投げ出した事実は変わらない。

 公私ともに何であれ不愉快なことがあると,その理由を冷静に考えるのを習わしにしている。でないと,あらぬ方向に嫌な思いをぶつけてしまい,あとで取り返しのつかないことになったりするからだ。亀の甲より年の功。そんなこともようやく見えてきた。

 なぜ不愉快か。それは,この地位に当然必要な,相当な覚悟が欠如しているからである。
 万が一総理になれるとしても,普通の人は,自分にはとうていそんな重責は担えない,とうていその器ではないとして断るはずだ。とまれ,ちょっとした会社でも,経営者がどれほど大変か。経理も営業もすべてに目配りが必要。でないと会社はいずれ立ち行かなくなり,社員たちは行き暮れる。中小企業だったら金を借りるのに連帯保証もしているから,自分だって身ぐるみはがれかねない。よほどの覚悟,力量が必要だ。私なぞ自分がちょっとした会社の経営すらできないことを十分に自覚している。
 それがもっとずっと,質量ともに比べるべくもなく大きな,日本国社長なのである。その立場はひとり日本国にとどまらず,国際的にも大きく影響する。それが普通の会社以下の覚悟でやれるということがおかしい。おかしすぎる。

 福田総理にしてみれば,昨年の今頃,急に無責任にほっぽり出した安倍総理の後を受け,それも皆が麻生は駄目,どうしても貴方にやってほしいと担ぎ出されたからなっただけなのであろう。もともと大した覚悟はなかった。いつでもやめればいいと思っていた。だからもう,ここで限界だとして,やめた。ただ,そういうことなのであろう。情けない。

 何が情けないといって,そういう人しか出ない,そういう人がトップに担ぎ出される,そういう事態が情けないのだ。今回の事態を受けて,やっぱり2世・3世は駄目だと言う人が結構いるが,たしかにすでに,総理が選び出される集団自体が弱り切っているのである。かといえ,民主党を見ても,これといった人材は見いだせない。前々から言うように,小選挙区制では自ずから限界があるのだ。自民党に関していえば,公明党を巻き込み,創価学会の支持がなければ当選は覚束ない体たらくになってから,急速に弱体化した。

知り合いの会社社長が言う。「我々はやめられない」。知り合いの小学校教師が言う。「大分の事件なんて可愛いじゃない。みな懲戒免職になったり,逮捕もされた。だけど,こんな無責任なことをしても,彼らはみなそのまま居座っている。議員辞職もない。おかしいのじゃないの」。まさにその通り。そこにこの,どす黒い不愉快さの源がある。

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Vol.54 夏期休暇終了,北京オリンピックなど   (2008年 8月18日)

 今年の夏期休暇は12日から昨日まで,つまり丸1週間は取れていない。
 うち4日間は帰省していたし,その他は雑用をこなしていたから,ちっともぼうっとしていない。思いきり暑いし,体力を消耗させないためにも本当は夏,もっと休暇を取るべきなのだが,個人営業の身ではなかなかそうもいかない。もっとも仕事が好きだからいいようなものだが,でなかったら辛いだろうなと思う。

 今年,短い休暇がより短く感じられたのは,北京オリンピックのせいも大いにある。私は日頃から人並み以上の愛国者だが,こうした折にはもっとうんとすごい愛国者になる。
 日本選手が大いに活躍してくれた水泳や体操などに驚喜した反面,柔道やマラソンにはかなり落胆させられた。つまり選手は,日本国民の期待を背負って競技しているのだ。そのプレッシャーたるや。そんな中で,宣言どおり2連覇を果たした北島選手の精神力には舌を巻くし,24年ぶり(とは知らなかった)の体操個人総合メダルを獲得した19歳の内村選手にも感激した。どのフォームも着地もぴたっと決まる演技は,美しさを通りこして,神々しくさえある。ひとり日本に留まらず,彼らは,世界での1位,2位なのである。

 彼らは,まだ小さな時から,自分の好きなことを見つけ,限りのない努力を重ね,大いなる目標を掲げ,その達成に向かって,ひたすら邁進してきた。なんと素晴らしい人生だろうと思う。克己,すなわち,自分に克つことのできた,選ばれし者たち。
 もちろん持って生まれた才能があればこそ,またその才能を開花させるだけの環境に恵まれた故であるにしろ,本人のたゆまぬ努力なくして達成できるものは,何一つない。その勇姿を見て,頑張ろうと思った子どもたちがどれほどいるだろうか。目標になる大人,希望の星を,みな身近に欲しがっている。それが一番の,生きた教育というものであろう。

 これほどに大したレベルでなくても,大きな目標でなくても,人は何か夢を持ち,それを叶えるために努力をすることが必要である。残念なことには,好きなことが何もない,したいことがない,なりたいものがない,そういう若者が多いのも現実なのだ。教師としてこれほど進路指導に困ることはない。その極端な例が,働きもせず,かといえ勉学もしない,ニートである。
 外国からの看護師,介護士を増やす政策が実施された。しかしそれを言う前に,本来は日本国民自身が働くべきである。労働人口である外国人移民も,いずれは年老いる。そのとき国は彼らを養うのだろうか。また当然に結婚もし,子どももできる。その教育,社会の受け入れ態勢はどうするのだろうか。ドイツやフランスの外国人移民問題のことはどう考えているのだろうかと思えてくる。

 今月1日,内閣改造が行われた。目新しいものはなく,支持率も当然にあまり上がらない。一番の話題は,解散はいつ? 韓国では一番の話題は,いつ国会を開くか(大統領制でもあり,与野党が対立するとなかなか開けないのだ。植物国会と言われた時期もあった),日本でのそれはいつも解散時期である。

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Vol.53 裁判員制,来年5月から導入   (2008年 7月 4日)

 平成16年に国会を通過した裁判員制がいよいよ来年5月からスタートする。
 殺人など一定の重大な刑事事件について,一般市民が裁判官と一緒に裁判をする制度である。誰がいつ当たるか分からないとあって,講演依頼がときどき入る。昨日もそれで茨城に行っていた。

 これは法曹増員やロースクール設置といった司法改革の流れの一つとして出てきた。要するに市民の司法参加形態であり,日本では現行「検察審査会」しかないのだが,先進諸国では陪審ないし参審制があり,日本でも導入をということになった。背景に,裁判官は世間知らずなので一般人を入れなくてはといった感覚もたしかにあった。

 さて,アメリカ映画でおなじみの陪審制は,英米法の国がとる。
 被告人が事実関係を認めれば,司法取引などをしたうえ有罪答弁をするので,証拠調べは一切不要,従って裁判官が量刑を言い渡すだけなのだが,事実関係を争うとなれば一般市民からその度ごとに籤で選ばれる陪審員(たいてい12人)が証拠調べをし,事実認定をする。裁判官は,証拠調べの説示,たとえば今のは伝聞証拠なので採用しないでくださいといった説示をするのみで,事実認定は陪審員の専権である。
 歴史的にはもともと「お上」は信用できず,自分たちで裁判をする「権利」という発想がある。彼らにとって民主主義は血と汗で勝ち取るものなのだ。また事実認定は常識のある者であれば出来,法律的な知識は不要という実際的な考えもある。
 ただ素人の裁判なので有罪か無罪の結論のみ,理由は一切付されない。従って原則として控訴はできず,一審のみで終わる。

 ドイツやフランスなど大陸法の国は参審をとる。一般市民と裁判官が一緒になって事実認定と量刑判断をする。もっとも一般市民は労働者代表や団体推薦といった形で何年かの任期制になっている。日本のとる裁判員制は,参審をベースに,一般市民を事件ごとに籤で毎回選ぶという陪審制のやり方をとる。
 裁判官3人に裁判員は6人。選挙権があれば誰でもなりうるが,法律関係者や一定の職業は就職禁止,あるいは70歳以上や学生,介護や育児,仕事などどうしても駄目な場合は辞退が認められうる(が決して広くは認めない)。
 事件は殺人など一定の重大事件のみを対象とし,年間3000件程度。全刑事事件の3%程度だ。もちろん死刑対象事案も入る。一般市民が加わることで死刑宣告が増えるか,減るか,識者によっても考え方の別れるところだ。ちなみに被告人には選択権はない。事実を争わなくても裁判員裁判で裁かれることになる。

 私は法制当時,導入に猛反対した。多勢に無勢で認められたが,今でも反対の立場は変わらない。市民が司法参加を「権利」とは考えず,義務としかなりえない国柄なのだ。また被告人にも選択権がない。ただ一つ,裁判が迅速化すること,迅速にならざるをえないことがメリットといえばメリットだが。さていざ始まってみると,どうなるだろうか。

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Vol.52 遺体消滅事件,そして秋葉原通り魔事件   (2008年 6月 12日)

 江東区での猟奇的事件。遺体は骨まですりつぶされた。
 帰宅した女性が,マンションの一つ置いた住人に突如襲われ,自室から引きずり出されて(その際,犯人の指紋が検出されたのが幸い,犯人はまずは住居侵入で逮捕された。)犯人方に連れ込まれた。その後何をどういう風にされたのかは分からないが,とにかく殺され,遺体は損壊された。
 全貌は明らかではないが,犯人は(たぶん)異常性欲者で,相手は誰でもよかったようだ。被害者が2人暮らしであることを知っていれば,すぐに発覚するので(実際,それですぐに発覚した)狙わなかったはずだが,それさえ知らなかったのだから。
 一昨年,渋谷でばらばら事件が続けて起こり,もはやばらばらくらいでは人は驚かない。遺体の肉と骨を綺麗に削ぎ,ひたすら粉々にしている作業を想像するだに身の毛がよだつ。遺族の怒り,悲嘆は察するにあまりある。捜査上も,遺体がないのではどんな傷害を負わされたのか,強姦されたのか,分からない。犯人の自白があっても被害者はいないし,遺体もないとあっては検察は起訴を躊躇せざるをえないだろう。公判で自白が転じたときに,支える証拠がないからだ。
 殺人と死体損壊。強盗か強姦がつかなければ,この罪名では,殺人などの大きな前科がない限り,死刑とはならず,無期懲役が限度ではないだろうか。おかしな話だが。

 そして,この日曜に起きた秋葉原通り魔事件。犯人はトラックで歩行者天国に突っ込んだ。降りて持参の包丁で刺す。死者7人,負傷者10人。
 犯人はコンプレックスの固まり。20台半ばですでに夢も希望もなく,寂しい老後を現実のものとして描いている。人生の落伍者で負け組であるとの怒りは自分自身には向けられず,そういうふうにした社会が悪いとばかり,他者に向け,挙げ句無差別殺人を狙った。卑怯この上ないが,この犯人にはそれなりに理屈が通っていたのだろう。茨城の通り魔事件,池田小学校事件にもヒントも得ていたはずで,池田小の事件が同じく6月8日であったのは偶然ではないようにも思える。

 上記の事件との共通点は,被害者には防ぎようがなかったことだ。たまたまそこに居合わせた。気の毒としかいいようがなく,犯人への憤りも募るばかりだ。
 さらなる共通点は,犯人がともに派遣社員であったことだ。正規社員と違い,彼らには身分保障がない。いつでも切られ,その待遇は人ではなく物のようだ。
 個々の犯罪は犯人の個性によるが,しかし犯罪を全体として見た場合には,犯罪は必ずや社会問題である。貧しければ人は窃盗をしてでも,他人を傷つけ,強奪してでも,食べていかねばならない。希望も夢もなければ,自己を律してよりよい生活のために努力する気にもならず,自暴自棄に陥る。生活の安定,そして夢のある社会こそが人を犯罪から遠ざける要因なのである。
 これだけ政治も社会も乱れ,富裕層とワーキングプアが二極化し,敗者復活が早い段階で難しいとくれば,自暴自棄になる者は大勢いる。犯罪予備軍がそこここにいて,また模倣が広まるのだとすれば,恐ろしいことである。今日も無事だったとほっとする日が来るのかもしれない。安全神話はどこにいったのだろう。

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Vol.51 女子高生,襲わて死亡……   (2008年 5月 7日)

 4月に入り,大学は始まるし,家裁調停委員も始まるし,でばたばたしている。
 そして,あっという間に4月は経過。4連休を楽しみにしていたが,過ぎてしまえばこれまたあっという間であった。
 今日は冷房が要るほどむしむししている。いつかしら四季がはっきりしなくなった。時折ざっと降ったりするのは亜熱帯地方の特徴で,地球温暖化の影響は歴然としている。

「首相と桜を観る会」(4月12日)のご招待はあったが,欠席した。
 ここで首相が,物価が上がるのは「しょうがない」と発言したとか。後で聞いて唖然とした。以前から「困りましたねえ」(民主党に日銀総裁人事を否決されて),「私は可哀相なくらい苦労している」などなど,当事者意識のなさ丸出しの発言が続いていて,これでは内閣支持率が落ちるのも当然だ。
 私自身は運転をしないのでガソリンの値上げ自体がさほど困るわけではないのだが(タクシー運賃の値上げは痛い。),バターや小麦粉などあらゆるものが値上がりしていて,庶民には暮らしにくくなっているのを感じる。
 それでもまっとうな政治が行われているのであればお互い様で仕方がないのだが,一部で税金泥棒のような公務員・天下りの受け皿である外郭団体があって,不公平感が大きいのが国民には腹立たしい。苦労知らずの世襲議員にこの感覚が分かろうはずがないのがまた腹立たしい。

 いろいろな事件が起こるが,連休に愛知県の女子高校生が襲われた事件は衝撃的であった。クラブのマネジャーを一生懸命やっていたというだけによけいに痛ましい。
 被害者遺族の嘆きを思うとやりきれない。
 変質者なのであろうが,狙われたのはやはり,人の通らない暗い場所であった。見つかりたくて犯罪を犯す者はいないから,明るくて人目につく場所は避ける。だから,防犯のためには明るい街作りが必要だし,暗い所は避ける,少なくとも決して一人では通らない(とくに女性)といった用心をすることがいよいよ必要な社会になってきたと感じさせる。まさか私が,とか今日は大丈夫といったちょっとした気の緩みが命取りになりかねないのだ。
 なにしろ働いても年収200万円以下のワーキングプアが1000万人以上いるのだ。将来が見えない所に,物価は上がる。一部で高笑いをしている層がいる。となれば犯罪も増えようというものだ。古来,犯罪を生むものは貧困だし,社会への不満なのだという根元を政治家は知らなければならないと思う。

さて,山口県光市の差し戻し審。やはり死刑であったが,だからといって遺族が救われるわけでもない。尊い命をこんなにも無残な形で奪われたお2人にただ合掌を。そのために尊い人生を,ある意味永遠に奪われた遺族の方々に……慰めの言葉もない。犯罪というのは本当にやりきれないものである。

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Vol.50 桜開花,国会は動かない……   (2008年 3月 26日)

 あちこちで早や,見頃だ。桜という花ほど心を浮き立たせてくれるものはない。
 もっともここ10年ほど前から満開時が読めず,予定が立たずに困る。地球温暖化や環境破壊の影響で,我々の大事な地球が壊れていっている現れの1つなのであろう。

 さて,日銀総裁ポスト。空白のままである。
 昨年の参院選から衆参がねじれ,だが法案については憲法上,衆院で再可決の方途が規定されているが(もちろん奥の手であり,滅多には使えないが),国会の同意人事については憲法・法律ともに規定がなく,参院で否決された場合の取り扱いが問題視されていた。
 そして案の定である。日銀総裁が不在だなんて,国際的にも信用がた落ちだが,そんなこと知ったことじゃなし,野党は政局に持って行きたいのだろうし,官邸は野党はもちろん与党内での「根回し」もなく,まさに出たとこ勝負,恥ずかしい限りである。
「自民党」がブランドであったのは,腐敗しても政権担当能力はあることにあったはずだが,安倍→福田と続いて,国民はその能力に不安を覚えている。であるならば,これまた大した期待はできないにしろ,一度政権を交代させればいいではないか……。

 問題は,質の良い政治家が選ばれないシステムにある。
 イギリスは完全な小選挙区制だが,日本と違うのは,議員が亡くなって子どもが出る場合も党が別の選挙区を割り当てるのである。日本が平成5年に小選挙区制に変えたとき,範としたのはイギリスの制度だったのだが,日本はブロック別比例制度を併存して残したし,何より世襲制の弊害が大きい。究極,国会議員であることがまさに家業になると,選挙は絶対に勝たねばならず,そのために地元に予算を引いてくること,選挙民の要望を様々に叶えてやること,それら内向きのことをこなした上で,さらに余裕があれば?初めて国家の在り方を考えるわけである。
 日本はそもそもが人的資源で活路を見出す国である。政治の世界には人材が出ない,では済まされない。少なくとも中選挙区制に戻さなければ,新しく活気に満ちた人材は出ようがないと思われる。だが現職に圧倒的に有利な小選挙区をあえて元に戻そうという声は,永田町からはほとんど出ない。

秋田の2児殺しは,死刑求刑に対し,無期懲役の判決であった。被告人の改善更生は難しいと述べながらも,極刑宣告には躊躇した結果であった。
渋谷の夫殺し,ばらばら持ち運び事件。検察・弁護人選定の精神鑑定医が2人とも責任能力なしと口頭で述べた。検察は責任能力ありとの鑑定を踏んだ上で起訴したはずだから,不思議なことだ。重篤な精神病でもないのに責任能力なしとの判断はあまり聞いたことがない。彼女に常時暴力を振るっていたとされる被害者。まさに死人に口なし,離婚だって出来たのに,一人息子をこんな形で奪われた遺族の心情を思うとやりきれない。
 茨城の無差別殺戮。命をゲームのように扱う事件が増えてきたと感じている。こんな手合いにかかれば誰であっても災難は避けられない。とはいえ予告されながら最悪の被害を防げなかった警察は国賠の対象になるのであろう。

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Vol.49 三浦逮捕,法相の冤罪発言……   (2008年 2月 26日)

 いつも思うのだが,ニュースはひっきりなしに起こり,マスコミは飯の種に困らないものだ。
 イージス艦が漁船に衝突し,そうこうするうちに三浦和義がサイパンで逮捕された。いわゆるロス疑惑って27年前も前だったの? と,びっくりした。私が横浜地検にいた時代だ。たしかに日本中が騒いでいた。先般大学の同僚がロス疑惑を学生に話しても通じなかったとショックを受けていたが,それくらい古くては当然だ(「戦後」が第二次世界大戦後であるとすら分からない学生が多いのである!)。
 三浦は妻に多額の保険金をかけたうえで,共に渡航し,そしてロス事件が起こった。何者かに妻は撃たれて死亡し,側にいた三浦は負傷したのだ。三浦は狙撃の実行犯とともに逮捕され起訴されたが,一審は「実行犯無罪,三浦有罪(無期懲役)」。実行犯なくしての共謀犯はないから,これって無理無理の有罪だよねと言い合ったものだ。そうしたら上級審において,検察が共謀者を「氏名不詳者」としたのを,裁判所は無罪と判断した。日本のまっとうな法律家的感覚としては,結論自体は仕方がないと思う。もちろん状況証拠は満載だから,自白さえあれば問題なく有罪であった。彼はその以前,女優と共謀して妻を殺害しようとしたし(これは有罪となった),極めてクロであったが,うまく逃げおおせたのである。

 この事件,当然ながら犯罪地の米国にも管轄がある。最初から米国が裁いていれば,英米法系は証拠の認定が大陸法系と違って大おおざっぱだし,(司法取引せずに無罪を争う以上)陪審ではあるし,有罪となり,最高刑の死刑に処せられていたであろう。だが,三浦にとってラッキーなことには日本が管轄を取った。原則,政治犯は引き渡さない,自国民は引き渡さないのである(亡命者フジモリが急に日本人だと言い出したのは記憶に新しい)。国にはそれぞれ主権があり,捜査機関は他国に赴いてまで逮捕はできないから,三浦が以後米国に行きさえしなければ今回の逮捕劇もありえなかった。一事不再理はあくまで主権の同じ国の中での話だし,米国では第一級殺人の時効がないことも,100年に一度の天才的犯罪者(との評があった)はよく知っていたはずだが,加齢とともに勘が鈍くなっていたのであろう。ともあれ,この後の展開が非常に楽しみである。

 さて,法相。またまたやってくれました。鹿児島の公職選挙法無罪事件は「冤罪」ではないと,公式の場で発言したのである。彼の理解では,冤罪とは「真犯人が出てきた場合」だそうだ!? たしかに殺人容疑であれば犯罪による死体があり,犯人は誰か必ずいるが,買収容疑の場合には犯罪そのものがでっち上げの場合もある。冤罪とは真実やっていない人が嫌疑を受けることであり,真犯人の登場云々とはそもそも無関係である(真犯人が出てくれば冤罪であることがすぐさま明らかになるだけ)。この点,某党首(弁護士)の「無罪だから冤罪」との発言も誤りだ。無実は実体的な問題だが,無罪は有罪立証(合理的な疑いを容れない程度の証明)が出来なかった場合であり,無罪の中に無実があるという部分集合の関係に立つ。
 なぜ罷免要求が出ないの? と聞くと,何のことはない,民主党幹事長が実兄であるからであるらしい。
ああ。

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Vol.48 新しい年が始まった   (2008年 1月 31日)

 と思っているうちに,1月も今日で終わりである。早い!(この調子で1年が経ってしまうのだ……)
 22日に大学で後期試験を実施し(刑法総論と刑事訴訟法),その後3日間で採点。昨日は別の科目で課したレポートの採点をした。計,その数400少しか。受講届出者数自体はもっと多いのだが,試験を受けなかったりレポートを出さなかったりするのが結構いるのである。毎回出席し,受講後いろいろ質問に来るような学生はそもそも熱心なのだから,当然のようによく出来る。文字を追っていくのは大変だが,学生のレベルが分かるので,やはり試験は論述式である。
 
 授業数は前後期とも各14回だ。我々の頃は休講万歳!で済んだが,今は休講すればその直近の土曜なり,授業終了後定期試験までの間の補講期間なりに,必ずや補講を実施して14回を確保しなければならない。休むと自らに跳ね返るので,今期こそはと,体調を万全にすることをまずもっての仕事と課したら,効果が如実に表れ,今期は風邪も引かず体調も壊さなかった。体調が良いと授業の出来もいいし,学生たちと交流する余裕も生まれる。健康こそすべての源流。これからも是非この調子を維持したいものである。
 さて,来期からはなんと授業数が各15回となる。祝日が火曜にあたる日もあり,その分土曜実施となる。先生も大変だが学生も大変だ。こんなにしめつけを厳しくして,実際に学習効果が上がるのか,極めて疑問である。初等教育はびしびしやって,高等教育はゆるやかに,当人の自主性に任せるというのが筋でないだろうか。

 ともあれ,2月と3月は大学がない。当然ながらその分時間的にも心理的にも楽だ。存分に利用しなければと思う。やりたいことはいくつもある。
 1つ,5日のコンクール全国大会でのまずまずの成績を受け,よりいっそうやる気の増しているピアノ。今年の当面の予定は,5月10日(土)午後,カザルスホールで発表会(リストの「ラ・カンパネラ」を弾く予定)。5月29日(木)夜はピアノ三重奏に初めて挑戦。バイオリン,チェロはポーランドの奏者である。ベートーベンを弾く予定。
 2つ,哲学・宗教・歴史などの勉強。本当にこれまでの人生,何をしてきたのだろうと思うほど,知らないことが多すぎると実感し,知識欲は増すばかりだ。
 3つ,法律の勉強。いろいろな法律が次々と改正になるから,もともと弁護士は大変なのだが,ことに私としては,裁判員制(来年導入),改正少年法,死刑制度,冤罪問題,危険運転致死傷罪や公判前整理手続きなど,現状だけでも整理しておきたいと思うことが頭の中で列をなしている。その上でホームページも作り直したいと思っているのだが……。 本当に,時間がいくらあっても足りない。

 国会の迷走,混迷が続いている。片やアメリカの大統領選。優秀で魅力的な候補者たち。政治家は本来,言葉の中身と熱意と容貌で民衆に訴える存在なのだ。福田首相の後は誰?民主党に誰かいる?(だからといって,あの大阪府知事はないと思うが)。
 選挙制度は中選挙区制に戻すべきだし,その他いろいろ,やはり代表者を選ぶシステムそのものを考えていかなければならないとの思いを強くする。

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Vol.47 今年も終わり……   (2007年12月 25日)

  3連休が終わり,今年最後の週に入った。当然だが,公私ともに済ませておくべきことが様々にある。事務所は27日まで。来年は1月7日から始めるから,休暇としては幸いかなり長い。
 ホームページを更新してないね,とこのところ続けざまに言われた。たしかに1ヶ月を優に経過していた。最低1ヶ月毎には更新しようと思っているのだが,あれやこれやしているうちにすぐに日が経つ。すごい事件や問題が起こったと思うと,すぐにまた新しいことが起こって,前のは忘れ去られてしまう。
 今年の一文字は「偽」。まさに,食品偽装から,消えた年金から,安倍総理の突然の辞任劇から,防衛省汚職から,警察不祥事から,数え上げると切りがない。社会のタガが緩んでいる故であろう。まさに,事実は小説より奇なり。だんだんと馴らされて,不感症になっていく感がある。日本はこの10年でどれほど変わっただろうか。30年という単位で考えると,さらにすごい。別の国になった感さえある。一体誰がどうやったら,この落下,変容を止められるというのだろう。

 私事としては,今年は振り返って,だいぶピアノに明け暮れた。
 8月にベートーベンのピアノソナタ『熱情』を発表会で披露し,平行して,生まれて初めてのコンクールにも出た。一応予選(5月),本選(8月)と通過し,来年1月5日には全国大会に出場予定なのだが,今更のように思うのは,上手な人,才能のある人が実に多いということだ。音楽大学に行かなかったのは大正解。
 このところずいぶん入れあげていた趣味ではあるが,そろそろ見切りをつける時期かなとも思う。もちろん以後も趣味では続けていくのだが,限られた時間とエネルギーを別の方向に振り向けようかと思うようになった。そうやって,したいことがいくつもあるのは幸せなことである。

 仕事は働き盛りの年代,実はもっとやるべきかなとも思う。
 しかしながら来春から就任予定の東京家裁調停委員は,週半日取られるらしいし,まずもって私は金を儲けることにおよそ関心がない。時間とお金を天秤にかければ当然ながら時間がずっと大事。だからあえて自分から積極的に事件を取るようなことはしないし,またできもしないであろう。
 人であれ物であれ仕事であれ,自分に与えられることに感謝を,とこの頃思うようになった。慎ましやかに生きること。身近にちょっと普通にあることに幸せを感じるし,それこそが幸せなのだと最近つくづく思うようになった。縁あって自分に与えられた仕事を,これからも一つ一つ,丁寧にこなしていこう。何より健康であること。
 以上が今年の総括であり,また来年の慎ましやかな希望である。
 
 どうぞ世界が,そして国が,平和で,安全で,慎ましく生きる人たちが報われる社会でありますように!


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Vol.46 地に墜ちたモラル   (2007年11月 16日)

 このところばたばたとしていたが,昨日ようやく一段落し,今更新している。あまり更新もしないのに定期的に見てくれる方が結構いて,ありがたい。
 いつも思うのだが,弁護士稼業には波があるので,やれることは早めにどんどんやり,常に仕事を溜めない状態にしておかないといけない。その上で余暇があれば十分に楽しんでおくことである。それがまあ,人生の極意にも通じることかもしれない。
 
 さて,巷では事件が続き,何が何やら分からないほどだ。
 前に書いた,奈良の医師一家放火事件に関する秘密漏洩については,医師のみが逮捕・起訴され,そそのかした肝心のジャーナリストはおとがめなしとなった。地検は身分なき共犯として彼女をも起訴をすべく努力をしたはずであるが,法の間隙を縫った形になったのだろう。気持ちの悪い結果であった。もちろん,遺族や当の医師から民事訴訟を起こされるのは別として,真の意味での正犯が刑事的な処罰を免れたわけである。
 大相撲の「傷害致死」についても未だに逮捕がなく,一体何がどうなっているのか,さっぱり分からない。これもまた,気持ちが悪い。

 法務大臣の放言もひどい。死刑執行も大臣のサインは要らないようにしたいと言っていたかと思うと,あろうことか外国人記者クラブで堂々と?「友人の友人がアルカイダ」と来た。こういう人に法務行政を任せておけるか,と誰もが思う。
 東大法学部を優秀な成績で出たと聞くから,頭はいいはずだが,それと常識とは残念ながら別なのであろう。会合で人が挨拶しているときに大声で私語を喋っていたし,兄貴の悪口を延々と喋り続けるのに閉口したこともある。
 前首相といい,なぜこうも永田町には空気の読めない人がいるのか。せめて常識のある人でないと政治なんかやれないはずなのだが,やはり世襲に問題があるのであろう。

 さて,守屋。
 異例の4年も事務次官をやり,度外れた権力欲とは知っていたが,実態は想像を遙かに超える。関係業者と週1度の割でのゴルフ,夫婦での偽名,接待。部下との間での不透明な多額の金員のやりとり。これからもいろいろと出てくるのであろう。こんな人に大事な防衛行政が委ねられていたのだと思うと,空恐ろしい。
 これはひどすぎる事例だとしても,どこの省庁も,あるいはどこの地方も公務員は似たり寄ったりだと世間はすでに思っている。規範はいったん緩みだすと限りなく緩む。範になるべき公がこれなら,私の規範が緩むのは致し方がない。食や安全の各種偽装は当然の結果であるように思われる。
 モラル低下。なぜこうも地に墜ちたのか。ノーブレスオブリージ,地位ある人にはそれだけの義務がある。昔は,地位ある人は自らの襟を正し,人に後ろ指を指されないよう,社会の範たるべきよう,清貧であろうと努めていた。それもこれも教育なのだろう。
 とにかくこんな状況では,子どもたちにちゃんと大人を見習って成長するよう言えないのがいちばん辛い。

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Vol.45 永田町,大相撲……   (2007年10月 15日)

 この1ヶ月で,すっかり周囲は秋である。お洒落の秋,食欲の秋,そして勉学の秋……ただ,スポーツの秋だけは依然縁遠い(笑)。
 突然のほっぽらかし辞任の後,遅ればせに安倍首相は入院。退院して,あるいはもしやこの人に限ってそのまま居続けるのではと案じていたら,案の定,そうだった。しかし,もう何も言う気にもなれない。怒りや憤りを感じているうちは相手を対等に扱っているわけで,もはや憐憫の情しかない。たぶんこの方には(詳しくは書けないが)精神的な障害があるやに今は感じている。もちろん韓国流の『池に落ちた犬は叩け』式発想が日本にはないからでもあろう。
 とはいえ,そうした個人への思いと,その公的な立場への評価は歴然と区別しなければならない。憲政史上未曾有の汚点,国際的な恥辱であることに変わりはないのである。

 大相撲の事件。親方自身がビール瓶で殴ったという。金属バットも使用。これは絶対に,もはや稽古などではありえない。
 毎回,講義ではできるだけ生の事件を取り上げるようにしているが,この事件にはどの学生も食いついてきた。「傷害致死」(なぜ殺人ではないか)「共犯」(の範囲),そして「量刑」。
 報道されるところによると,これまでも10人ばかりの若者が稽古で死んでいるという。その全部とは言わないまでも,何人かはこれまた事件ではなかったのだろうか。
 親方(あるいは弟子の何人かも?)の逮捕は時間の問題であろう。ここでまた露わになった相撲協会の当事者能力の欠如。ずっと相撲だけをやってきた者に組織を管理させるのはそもそも無理があるのではないだろうか。1リーグという特殊な世界であるだけに外部の目を持ってくるべき時期に来たように思う。

 さて,いろいろな事件が次から次に起こるけれど,個人的に最も関心があるのは,奈良の放火事件に関し,秘密漏洩容疑で鑑定医が逮捕された事件である。
 私はこの著者を知っている。法務省出身だというがその時の縁ではない。国会議員時代に訪ねて来て,ある少年事件に関しインタビューを受けたのだ。私の言葉として掲載される時には原稿に一応目を通すことにしているが,見たら間違いだらけだった。法務省出身といいながら手続きも言葉遣いもまるで分かっていなかった。ほぼ全面的に改訂して送り返したが,一片の謝罪も感謝もなく,記憶に鮮明である。
 今回,調書が露出したとの報道で,まざまざと思い出した。ある少年事件の調書を取ってくれと言ってきたのだ。もちろん言下に断ったが,「どうしてですか。国会議員なら取れるでしょう。公益上必要じゃないですか」と執拗だった。この医者はその執拗さに負けたのであろう。彼が中座した間に勝手に撮影していったというのが本当であれば,何をかいわんや。自分の飯の種には誰を裏切っても平気,信義も何もないのであろう。
 我々はよく,外に表れた行為を見て云々するが,それはただの徴表にすぎず,そのもともとの人間がおかしいのだということがよくある。抜本的にずれていて,何がどうおかしいというレベルではない人が永田町にもどこにでもいるのである。

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Vol.44 首相突然の辞任劇,総裁選に思うこと  (2007年 9月 17日)

 12日の首相の突然の辞任を受けて,自民党総裁選が始まった。23日の投票に向けて,メディアもすっかりはまっているようだ。
 当初誰もが後継は麻生氏と思っていたのが,福田氏が担ぎ出された。昨年の総裁選は派閥が安倍を推すということで出馬しなかったが,今回は派閥一致で大丈夫と保障されたので出るということだ。人間がどうかという以前に,安倍内閣と一線を画していただけに福田氏に分があるであろう。あと麻生氏がどこまで健闘できるか。
 しかし,なぜこの2人だけか。チルドレンは自己保身のために小泉に再登板を強く陳情した。そんな見苦しいことをするくらいなら,数を頼んで,自ら若き総裁候補を擁立すべきであったろう。私が臨んだ総裁選は4回。すべて候補者は4人いた。若手が自らの候補を擁立しようと躍起になって,トルコに出張中の私にまで,推薦人が一人足りないから名を連ねてくれと懇願する電話が夜中にかかってきたこともある。そんな熱気が,今は昔。

 しかし,総裁選などに浮かれている場合か,自民党もメディアも。閣僚がお見舞いの手紙を出す? なんだ,これは。
 このところ心にずっと澱がたまっている。本来今は国会中なのに,すべてが停止している。政治に空白は許されないとのたまい,国民の審判を無視して続投したのは誰なのか。身命を賭すと軽々しく言っていなかったか。直前,職を賭すと言ったではないか。この人の言葉すべてに意味がなかったことはもはや明らかだ。言葉に徹頭徹尾責任が伴わない,特異な人であった。
 小沢に責任をなすりつけ,まったくもって支離滅裂な辞任理由を述べた。国民への謝罪もないのは,自分が悪いとはつゆも思っていないからであろう。ひとり拉致問題で名を売ったのに,拉致家族への謝罪も当然になかった。総理以前に政治家の資質に欠けるのだ。当然議員辞職すべきである。とは,自分は一生懸命にやったのに,周囲やら運が悪くて報われなかった被害者であると考えているはずのこの人の頭には浮かばないだろうから,周りがやめさせなければならない。それこそ自民党の存亡がかかっているのである。
 もし議員辞職をしないのなら野党は辞職勧告決議案を出すべきだ。自民党もそれを簡単には拒否できないはずである。拒否をしたら国民に対して,安倍の無責任を擁護したことになる。

 彼を首相に選んだのは国民ではない。昨年の総裁選で自民党が選んだ。見栄えと家柄がいい,拉致問題で国民的人気があり,来年の参院選の顔になるからという理由で。ここまで無能だとは思わなかったというのが本音であろうが,いずれにしても国民に対して欠陥商品を売りつけたのである。欠陥がだんだんに露呈してきて,国民は参院選でリコールした。それを無視して続投をさせ,このざまである。所信表明後の突然の辞任など,病気で倒れないかぎり,ありえない。これが国際社会に対してどれほどの恥辱であるか,安倍自身が考えられないのであれば,自民党の幹部たちがもっと真剣に考えてほしいと切望する。
 自民党がこのまま平穏に次の総裁を選び,その総裁が総理になれるシステムというのは国際社会に分かりやすいことだろうか。少なくとも多くの日本国民の感情としてはそぐわないことであろう。

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Vol.43 新内閣のスキャンダルに思うこと  (2007年 9月 7日)

 8月27日,新内閣発足。
 私の周りでも悲喜こもごもであった。泥船には乗りたくない人が多いだろうと思っていたが,実際は当選何回目かとなれば選挙区の期待もあり,多くが入閣を待ち望んでいた。
 不思議なことだが,その日の呼び込みまで,候補者当人に直接抱負なり希望なりを聞くことはない。今回のスキャンダル続発についても,事前に当人に「何もないか」と聞いてさえいれば避けられたケースもあるのではと思うのだが,なぜだかそうした慣行である。

 今回の顔ぶれは,前回のお友達内閣と比べて格段に良い。
 それでもスキャンダルはすぐに出る,と読んでいた。読みは当たった。
 理由は2つある。1つは,首相自身の問題である。
 参院選の惨敗理由は,自民党不信任というより安倍不信任であり,居座るという道はなかった。にもかかわらず,明瞭な説明もしないまま首相は続投。政治家にとって言葉は命であるにかかわらず,この内閣改造が起死回生の最後のチャンスであるという悲壮感はどこからも感じ取れなかった。だから,きっと今回も甘い身体検査なのであろうと思っていた。
 大体が遠藤農水大臣の問題は,自己が代表を務める団体が国の補助金を不正受給したとして,すでに3年前,会計検査院から指摘を受けていたものだ。それがなぜ今回分からないままだったのか。これはつまりは会計検査院の仕事そのものが無意味だとも言えるのではないか。

 もう1つは,それと表裏の関係に立つが,マスコミはすでに安倍潰しを決めてかかっているからである。これから何をやってもまず褒められることはない。閣僚のスキャンダルはこれからもどんどん出続けるだろう。支持率は落ち続け,参院で逆転した民主党の攻勢はかかる。あとはいつ解散・総選挙になるかという時期の問題だけである。

 これだけ政治資金の問題が出てくれば,誰もが大なり小なり不正をやっているのだろうと思えてくる。となれば制度そのものを変えなければ,いつまでもモグラ叩きをすることになる。国民はもう,この手のニュースにはうんざりしている。
そんなつまらないことばかりに言っておらず大事なことを論じてくれよと言いたくなる。こんなニュースが報道されるばかりでは日本は世界でますます立場をなくす。実際,六か国協議から日本は閉め出され,拉致問題解決どころの騒ぎではなくなっている。ああ,マスコミよ。どうかしてもっと賢くなっておくれと言いたい。

 もっと抜本的に変えなくてはいけないのは,政治家を選ぶシステムである。
今回顕著になったのは,人材の逼迫である。9年前の参院選では橋本龍太郎総理(当時)は44議席の惨敗を受け,直ちに退陣を表明。小渕,梶山,小泉の3者が立候補して小渕総理が誕生した。しかし今は首相の後釜がいない。だからみなが結局容認している。さて民主党に目を転ずれば人がいるかといえば,そうでもないだろう。
 小選挙区制の弊害に加えて教育制度そのものの問題が根っこにあると私は思う。


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Vol.42 安倍晋三考  (2007年 8月 9日)

『選択』という,政治経済関係の情報雑誌がある。会員制で,発行部数は約7万部。私も長い間購読者であった。
 同誌は,平成15年7月号から翌16年1月号にかけて,安倍氏の記事を掲載している。いわく,
「驚くべきことだが,このほかに拉致問題でこれといった政策を何一つ打ち出していない。」「本来なら副長官が担当する官邸の国会対策も『御曹司』として免除されている。」「政治家というより運動家。器用に政策も口にするけど,本質は一見ソフトな大衆アジテーター。仲のいい同世代議員の診断だ。」「安倍氏の『活躍』とは,実は被害者と家族会から『最も信頼されている政府の相談役』として事あるごとにカメラの前で面会し,時に被害者や家族会の『臨時スポークスマン』と化して一部の不埒なメディアを激しく指弾することだけなのだ。」「むしろ実力ある政治家なら,構図を逆手にとって情報入手ルートを確保し,政治力を鍛えるステップにするくらいだが,そうした才覚を発揮できていない。」「経済にはもともと不案内で関与していない。残る仕事といえば,自民党の選挙対策委員会の指示通り各種選挙戦の応援に出かけるくらい」「そもそも政治力の拙さは,副長官の重責を担う前からのことだ。」「単なる使い走りに終始した点だ」「政治家に調整能力は不可欠だ。だが,これまでのところその才があるようには見受けられない。むしろ下手な部類だろう。」「話柄が首相を狙う政治家の風格とは言いかねるのだ。」「今ひとつ個性の弱いタレントが忘れられまいとして話題作りに励む姿をどこか思い出させる。」「議論も55年体制の枠組みから抜け出ていない古風な作りだ。」「『人気者への嫉妬』と思っているようだ。」(以上,7月号。当時内閣官房副長官)
「張子のパンダ安倍幹事長 角栄,小沢とは雲泥の差」「肝心の拉致問題についてさえ,政府内どころか 官邸内で何が進んでいるのか知らないことがありました」「身近に見る実像は勤勉,鋭敏,謙虚とは言いかねるタイプ」「中学生の基礎学力を身につけずに大学生になったようなものか」「青木・森コンビに間接統治された傀儡幹事長そのものだ」「『保護者同伴』の幹事長」(以上10月号)「あくまでも『選挙の顔』にすぎない」(12月号)「部屋に官僚を呼びつけ,あれこれ方針を打ち出したが,先輩族議員たちにあえなくひっくり返された」「副幹事長らと一緒の大部屋から離れず,」「与党の要を担うはずが何の実権もないことはもはや隠しようもない事実となっている。」「党内で注目する議員はほとんどゼロだろう。」(以上1月号)

 なるほどよく見ていたのだと頷く人は多いはずだ。大体がトップクラスの公人なのだから,批評・批判の対象になって当然なのである。
しかし,安倍氏はこれらの内容が名誉毀損ないし侮辱にあたるとして,同誌を提訴した。求めた慰謝料額は5000万円!!(人が死んでも3000万円程度である) 東京地裁は平成18年4月,一部について不法行為を認め,しかしながら認容額は50万円のみとした。実質敗訴である。判決は法律家の多くが読む判例時報1950号(平成19年2月1日号)に掲載されている。
 この訴訟は安倍晋三という人間を何よりも雄弁に物語っているように思う。さて真実が露わになった今,控訴審はどのような判断をするであろうか。

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Vol.41 久間発言に思うこと  (2007年 7月20日)

 すっかり時宜に遅れてしまったが,6月30日の「原爆投下はしょうがない」発言は衝撃的であった。
 久間さんはイラク戦争は誤りだったと,閣僚であるに拘わらず本音を喋ってアメリカに睨まれたので,つい軽くゴマをすったような気もする。だが,当のアメリカ大統領でも決してこんなことは言わない。罪のない人を多く殺し,子々孫々まで影響を与えた行為が人道的に許されないことは,普通の感性を持ちさえすれば自明の理だからである。それをあろうことか,日本の防衛大臣が口にした。おまけに彼は長崎の政治家である。
 当然ながら,一般民衆を狙う原爆投下は紛れもない戦争犯罪である。その意味では東京大空襲も同じく戦争犯罪だが,原爆投下の意味は比較にならないほど深い。核兵器廃絶は国際的課題であり,かつ人道的課題である。唯一の被爆国の担当大臣がそれを非難もせず,漫然と正当化して,一体どうするというのだろう。職務意識の欠如も甚だしい。
 久間さんは冷静に話をされ,頭のいい方だとずっと思っていたが,私の認識が誤っていた。これは失言などという軽いレベルではなく,人間性や知性,歴史認識といった人の根幹に関わる由々しき事態だからだ。辞任は当然である。

 私が実はもっと呆れ果てたのは,安倍首相の態度であった。人道的に許されない発言だとして直ちに辞任を勧告するでなし罷免するでなし,「アメリカの立場を言ったものであろう」! なんだ,これは。絶句した。日本の公務員はすべて日本の国益を担う。国務大臣,ことに防衛大臣に至ってはなおさらだ。それがなぜアメリカの立場を言う必要がある。これはイロハの常識である。
 安倍さんのよく使う「私の内閣」に違和感をいつも感じる。内閣は公の存在であり,大臣はすべて公職だが,どうやら私物化しているのではないか。お友達,気心の知れた人ばかりを起用,何か問題が起きても徹底的に庇う。公の意識が欠け,指導者としてのけじめが見られない。松岡大臣の自殺の時にそれをひしひしと感じたが,久間さんを庇ったときに,この人には普通の人の感性もないのだと感じた。
 こうしたことが国際的に大々的なニュースになって,なんと恥ずかしいことであろう。国益を害すること甚だしい。大臣も大臣なら首相も首相。日本が立派な国であると思ってくれる人は世界中に皆無である。

 元公安調査庁長官の弁明,そして久間発言。昨今立て続けに起こった「小説よりも奇なり」の2つの大事件は何を語るのか。2人とも学歴,経歴,肩書きのどれを取っても日本のトップクラスである。それがこのざまなのである。
 2人だけが突出した例外であろうはずもない。全体に言葉が軽くなっていると書いた識者がいる。実際,詐欺師は自分の言葉で相手を説得しよう,騙そうと真剣だ。その真剣さもなく,ただやたらに軽い。人をなめているのであろう。
 おそらくは日本全体が劣化している証左なのではないか。社会保険庁の消えた年金記録は,そのことを雄弁に物語ってはいないだろうか。

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Vol.40 元公安調査庁長官逮捕!!  (2007年 6月29日)

 まさか,のまさか。逮捕はあるだろうと読んではいたが,詐欺罪だとは。
 となると,強制執行妨害や公正証書原本不実記載とはそもそもがまったく異質な事件である。総連は共犯ではなく,被害者。これが小説なら,奇想天外,破天荒なストーリー。よほど特殊な人格だとの設定をしなければならない。私自身は幸か不幸かまったく接点がなく名前くらいしか知らないのだが。

 いわゆるヤメ検の中には派手な生活を送る人が結構いる。弁護士報酬も相場とは桁違いだったりする噂はよく聞く。とはいえこの人の異常さは別格である。
 強制執行妨害の弁護についた被告人(大物詐欺師らしい)と,あろうことか以後組むようになり,まさに一蓮托生,様々な事件に関与していたという。非行が万引きから始まるように,快楽殺人が小動物殺害から始まるように,これほどの大事件を起こすまでには経過がある。今回,投資者があるように装い,まずは物件の移転登記が必要であると騙し,代金の支払いなく移転登記を完了(物件の詐欺)。別途4億8000万円を詐取(緒方容疑者はうち1億3000万円を領得)。これが本当であれば,物件の登記は元に戻したものの,また金はこれから工面して全額返すとしても,実刑は免れない。
 これほどに金銭感覚も遵法意識も麻痺できるとは一体なぜか。いつから狂いだしたのか。あるいはもともとおかしいのをトップにつけていたのか。この異常さは公安調査庁が監視していたオウムと同レベルのように思われる。特捜部には身内の犯罪を徹底的に捜査することを望む。

 おごり,勘違い,人間性の欠如──これはある種の特権意識と裏腹なのだろうか。
 山口県光市の差し戻し高裁審理の模様に,おぞましさを感じた人は多いはずである。
 以前このホームページでも取り上げたが,少年には殺意や強姦を否認できる状況にはない。実際これまで否認はしていない。それを21人の弁護団は否認に転じさせたのではないか。母親に抱かれるつもりだったとか,その弁解には人間性のかけらも見られない。本村さんが法廷で睨み付けられ,社会に戻してはいけないと思ったのは当然だ。
 本村さんは私も知っているが,非常によく出来た方である。この度も心中の怒りを抑え,慎重に言葉を選んでいた。立派なことである。一方で,なぜ遺族がそこまで我慢しなければならないのか,その理不尽さがやりきれない。
 こうした事件でいつも思うのは,犯人やそれを徒らに弁護する人には最低限の想像力さえ欠けているということだ。自分の家族が何の落ち度もなく,殺され,強姦され,それでいて死刑を望まないか。いや犯人が悔い改め,謝罪することをさえ望まないのか。犯人が殺すのは当の被害者だけではなくその家族もなのだ。遺族は生涯その重荷を背負って生きる。今回の審理は,死者を,遺族を,再度殺すほどの冒涜というほかない。
 
  宮澤元総理死去。財務大臣時の答弁をずっと聞いていたが,とにかく抜群に頭のいい方であった。数字のみメモを出して見ておられたが,それ以外は何でも明瞭に記憶しておられた。皮肉屋で有名であったが,私は優しい言葉をよくかけてもらった。外国で暮らした経験はないが,流ちょうな英語を話された。合掌。

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Vol.39 奇異な事件,強引な国会運営  (2007年 6月24日)

 この1ヶ月,次から次に,まさに「事実は小説より奇なり」。
 消えた年金もそうだが,私としては筆頭は総連の土地建物の事件。小説でこんな話が出たら,バカもほどほどにしてよ,仮にも北朝鮮を監視していた組織のトップが北朝鮮人民を救うために力を貸したって,それでもって自分がペーパーカンパニーの代表になってそこに登記を移す? 誰にどう頼まれたって自分の名前は表に出さないよ,と白けてしまうのは必定である。その程度の人が君臨していた組織だ。オウムで生き延びたものの,今度こそリストラの対象になってしかるできではないか。

 さて先日,事務所に来た人が言う。「国会に長くいたけれど,これほど強引な国会運営は初めて。普通は優先順位があってそれだけ通せばあとは継続審議にしたり柔軟に対応していた。これじゃ国会はまるで請負人だ」と。同感である。
 私がいた6年間,強行採決は徹夜国会になった通信傍受法案のほかは2件ほどだ。この短い内閣で,すでにイラク特措法,教育改正3法を強行採決し,あと年金法案,公務員改革法案なども当然強行採決含みである。とにかくこれらを自分の内閣で通すと決めて,12日間の国会延長。参院選の選挙日程も1週間延びる。それだけでおそろしい無駄遣いだが,首相にはそんな気遣いは毛頭ない。深刻に広がる格差社会も,切実なワーキングプア問題もこの人には見えていないと私は思うが,たぶん大方の国民も同感であろう。
 この人が関心を抱いているのは終始一貫して国家ビジョン的なことだ。自主憲法を作ること,誇りある国を作ること。もっとも憲法改正のための国民投票法は通したものの,肝心の中身をどう変えたいのかはさっぱり見えていない。分かっているのは集団的自衛権を正面切って認め,自衛隊の海外派遣を合法にすることくらいか。しかし,憲法改正でやるべきことは戦後新たに認められた環境権や知る権利,プライバシー権などを盛り込むことで,9条は国民の幸せを思えば後生大事に守るべきである。
 いずれにせよ憲法は国民にとって身近ではない。国民にとって大事なことは年金であり雇用であり,日々の暮らしであり安心である。と言ってみても,狭い視野・価値観に囚われ,友達しか周りに置かず,寛容さを欠く首相には何をどう言っても始まらないのであろう。
 なぜ社会保険庁長官は首にならないのか。歴代長官や管理職の退職金・給料の(一部)返納は当然である。この期に及んでボーナス支給などもってのほか。民間企業であれば当然のことだ。それを漫然と許す。はっきりと言えば,特権階級である首相以下多くの閣僚らは,微々たる額の年金が消えたことくらい,大したことだと考えていないのであろう。
 今度の選挙には国民の怒りが反映する。その受け皿として民主党が機能していればいいのだが,これもまた頼りにならない,そこが国民の最大の不幸であろう。
 
ところで,私は初めて中央公聴会の公述人となった。6月15日午後,参院文教科学委員会における教育改正3法審議である。持ち時間15分のためにきちんとペーパーを作っておいたのだが,なぜか3分の1を読んだ時点ですでに10分経過していて大慌て,以下はしょりまくって本論をかなり割愛。反省しきりである。準備はやはり万全でないといけない。

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Vol.38 松岡農相,自殺!!  (2007年 5月29日)

 今朝目が覚めると,まだ5時だった。肌寒かったこともあるが,何より,昨日の農相自殺の衝撃が大きい。現職閣僚の自殺は戦後初。
 いくらスキャンダルの渦中にあり,農水省管轄の緑資源機構の捜査が進む中,参院選後の逮捕もありうると取りざたされていたとはいえ,現職閣僚が自殺するとは,想像を超える。

 農相とは同じ派閥だった。志帥会である(現会長は伊吹文科相)。
 最後に会ったのは今月9日,ニューオータニで催された派閥のパーティであった。中座した私は,遅れてきた農相と出口でばったり会った。いつも通りの感じで握手を求められ,返した。「何とか還元水」に始まる連日のバッシングを知るだけに,打たれ強い人だなと感じた。
 資金疑惑の噂は絶えなかった。鈴木宗男氏とことに親しく,自民党の部会でも官僚を恫喝するなど,手法もそっくりだった。その鈴木氏が逮捕されて以後,彼は目に見えて変わった。昨年安倍内閣が誕生した時,彼は熊本県連を安倍支持でまとめあげるなど汗をかき,初入閣を果たした。当選6回。大臣になって然るべきキャリアでもあった。
 しかし,よりにもよって農林出身で族議員の典型と言われる彼をそのトップに据えた人事には永田町でも多くの人が首を傾げていた。内閣調査室等からも然るべき報告があったにかかわらず,首相は耳を貸さなかったとも聞く。周囲の危惧は的中し,入閣後次々と疑惑が噴出。結局はもともとの任命が拙かったのである。

 遺書が6通残されていたというから,発作的な自殺ではないはずだ。想像だが,彼は辞任を願い出ていたのではないのだろうか。現職閣僚の自殺が内閣に与える衝撃が尋常でないことくらい自明の理だからである。
 だが,首相は彼を終始かばい続けていた。佐田行革大臣がすでに辞任,柳沢厚労大臣の失言問題もある。辞任ドミノになっては内閣がもたないと考えたからであろう。だが,松岡大臣の問題は柳沢大臣の失言の比ではない。犯罪や疑惑に対して清廉な感覚さえ持っていれば,辞任させるべしとの決断が容易に生じたはずである(もっともそうした普通の感覚があれば任命もしなかったであろうが)。潔くそうしなかったことが,農相を追いつめたのではないだろうか。

 自殺の前日は日本ダービー。牝馬のウオッカが3歳馬の頂点に立つという歴史的なレースを,首相夫妻は満面の笑みで観戦していた。そこに主管大臣の姿はなかった。すでに熊本での墓参りも済ませ,母親にも会って,自殺を決意していたのである。部下の苦悩の胸中を察することのないトップの姿が空しく迫る。
 農相は国民への説明責任も果たさないまま,疑惑とともに亡くなった。であっても捜査は敢然と続けられることを願う。さはさりながら,合掌。生を生きる性に生まれついた人間が,死のほうがより幸せだと思う事態になることほど,哀れなことはない。

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Vol.37 愛知銃撃事件に思う  (2007年 5月21日)

 前回から1ヶ月経過。この間,嫡出子推定の離婚後300日を改正する件が流れたり(もちろん私は改正に賛成の立場である),国民投票法案国会通過があり,その度に書こうと思いながら(更新を楽しみにしていると言う人が結構いてくださる),雑事に取り紛れて今日まで来てしまった。だが,ついに腹立ちが治まらない事件が勃発。

 愛知銃撃事件である。もちろん犯人には腹が立つ。暴力を振るった挙げ句に妻と別れ,さらには復縁をしつこく迫って,銃を持ち出す。男女間で未練がましいのは圧倒的に男だし,事件になるのも圧倒的に男。そんな男だから愛想を尽かされるのだと誰かが言ってやればいいのだが,そんな人間には友人もいないのが常である。
 先月来続く銃器事件であることにも腹が立つ。今回も銃さえなければ,単なる男女間のトラブルに留まり,優秀な若い警察官の命が奪われることもなかった。ご両親,奥様と赤ちゃんには慰めの言葉もない。

 しかし何よりも腹立たしいのは,警察の弱腰である。警察は国家権力の象徴だから,国家の弱腰と言い換えてもいい。それを支えているのはマスコミである。
 当初,息子から110番通報があって現場に向かうとき,銃を持ち出して云々と言われたのに,なぜ発砲に備えた準備をしなかったのか。仮にも警察官が撃たれるようなことがあってはならないのだ。なぜならそれはとりもなおさず法秩序に対する反抗になるからである。英米など,警察官の殺害を一般民衆の殺害より遙かに重罪とする法制の国は多い。
 それほどの緊急事態が起こったのに,なぜその時点ですぐさま警察は踏み込まなかったのか。この期に及んで犯人の人権(命)や動機の解明などと言っている場合ではない。人質といっても元妻。無関係の第三者とは立場が大いに違う。
 それを,5時間半も放置した! 警察官の人権(命)や法秩序の価値はどうなるのか。すぐに救助されていれば重態にならなかったかもしれないのだ。ご家族の気持ちを考えてもやりきれない。そして果ては(弾が装具の1センチの差を貫通したことによる偶然の死亡だとしても)SATの優秀な人材を失う体たらくだ。

 この期に及んでも,警察は強硬突破をしなかった。執拗なまでに自発的な投降を願い,あろうことか,「出てきてくれてありがとう」! それほどまでして犯人を生きたまま検挙しないと国民が非難するというのか。いや,そうではなくマスコミであろう。犯人は自分は撃っておきながら,自分が撃たれることに極力怯えていた。捕縛されて幸い,死刑にも無期懲役にもなりはしないのである。
 
 さて,フランスではこの度新大統領当選に暴発した学生らを鎮圧するため,警察は容赦なく催涙ガスを放射した。犯人は容赦なく撃つ,逃げる場合は人質とももろともというのが外国の常識だ。そうやって法秩序を保つ。国民も支持する。なぜならば大多数の国民は被害者になるだけなのだから。これでまた日本は非常識な国であると国際社会に認知されたことだろう。それなのに他の事件と同様,お決まりの犯人の「動機」云々報道だ。この国はいよいよバランスを失してきた感がある。

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Vol.36 ルーシー事件無罪,など  (2007年 4月27日)

 4月24日,「ルーシーさん事件の無罪」判決が出た。
 1992年2月から2000年7月にかけて,日本人4人,外国人6人の若い女性を誘い出しては薬を飲ませ,強姦を繰り返していた(準強姦。法定刑は強姦と同じく「3年以上の有期懲役」)織原被告人に対し,東京地裁で「無期懲役」の判決が言い渡された。求刑通りである。

 有罪となった他9件のうち6件の罪名は準強姦だが,2件は準強姦致傷であり,最も犯情の重い1件は準強姦致死である。準強姦致死傷の法定刑は「無期又は3年以上の有期懲役」であるので,罪名がこれに止まる限りはどれほど凶悪悪質でも,何十件重ねようとも最高刑は無期懲役刑である。殺意をもった「殺人」がない限り,死刑は科しようがなく,これは,10件中最も犯情の重いルーシーさんの件が有罪になっても同様であった。

 ルーシーさん事件は「合理的な疑いを超えるまでには有罪を立証できていない」と判断されたのである。他9件には存在する暴行ビデオ(こういうのを残す変態は実際,珍しくない)が残っていないことが決定打だったようだが,一方,遺体損壊に使われたと見られるチェーンソーを購入した事実など,遺体隠しに何らかの形で関与したことは疑いないとまで踏み込んだ。推測だが,ルーシーさんは薬を飲ませたときにショック死し,以後の暴行が出来なかったのではないか。被告人は,死亡させてしまったことに動転し,これまではしなかった死体損壊・遺棄に走ったのではないか。

 思うに,この3人の裁判官の感覚はどこかずれてはいないか。
 仮定の話だが,もしルーシー事件のみでの起訴であれば,どうしただろうか。やはり疑わしきは罰せずとして被告人を無罪としただろうか。いやおそらくそうではないだろうと思うのだ。死体隠しに関与したのは疑いない被告人を,無罪→釈放とはなかなか出来ないはずである。だが,この裁判では他に9件ある。たしかな証拠のない案件は無罪としても結果は変わらない。だから厳格に(というか硬直に)事実認定をして無罪という結論に導いた気がする。検察が起訴するとき,たしかな事実だけを起訴し,量刑は変わらないのだからとあとは不起訴にしてしまうのと,これは似ている。
 だが被告人は常習犯なのである。死体遺棄に関与したことは証拠上間違いない。であればその前の準強姦致死も有罪と考えるのが,普通一般人の正常な感覚というものであろう。2年後に導入される裁判員制の下では,必ずやそういう結果になったであろう。

 この判決には人の情が欠落していた感もある。被告人や社会にとっては同じ無期懲役でも,遺族にとっては掛け替えのない肉親である。それが無罪になれば一体誰を犯人として恨めばいいのだろうか。この日のイギリスのトップニュースは,日本の司法への不信感を流していた。くしくも同じく若くて美人のイギリス女性が千葉大生に殺された(犯人は身検挙)。両国の立場を変えて見れば,日本=変態男であり,加えて不正義の司法ではなかろうかと危惧をする。裁判所にとっては数ある事件のうちの1つにすぎないだろうが,国際的な影響も大きい。

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Vol.35 銃犯罪多発,など  (2007年 4月23日)

 昨日22日(日)は,午前10時半から午後4時まで,第22回皇后盃全日本女子柔道選手権大会を観戦した(足立区・東京武道館にて)。縁あって,帝京大学柔道部顧問なのである。
 この選手権は毎春開かれ,無差別級・全国各地域選抜なので,文字通り女子柔道の日本1が決定する。女子柔道部は,男子柔道部とは違い,東海大学と帝京大学の2強である。今回のベスト8は,東海4に帝京4。優勝で6連覇を飾った塚田は東海出身,準優勝の堀江は帝京出身(現在兵庫県警在職中)。
 堀江は78キロ級,120キロを超える塚田とは50キロ近くも差があるが,一本も技ありも,有効さえも取られることなく,5分を持ちこたえたのは立派だった。「柔よく剛を制す」のが柔道の見応えとはいえ(実際,堀江は準決勝で110キロ超えの立山に一本勝ちした),やはり同じ技術と練習量であれば,体格に勝る者に利があるのはいかんともしがたい。
 私はスポーツは苦手だが,見る分は楽しい。中でも柔道はただの格闘技とは違い,「道」である。礼儀作法を通して技と力を培い,精神の真剣勝負であるが故に,見る者に感動をもたらす。とても良い心地になって帰宅,統一地方選の投票に行って,午後8時までの2時間,ピアノを練習した。いい休日であった。

 さて,銃犯罪が多発している。
 アメリカでは韓国人学生が大学内で32人を射殺。銃が厳重に取り締まられている日本でも,長崎市長が射殺され,町田では立てこもりと,相次いだ。
 アメリカではその建国の歴史から,個人の自衛権を重んじ,銃所持を憲法で認めている。反対する人も多いが,ライフル協会など強力なロビー団体もあり,依然禁止されることはなく,簡単に入手することができる。もっとも今回の事件のように,弾倉をたくさん入手できたのは問題ありと思うのだが。
 約10年前になるが,アメリカの専門家の話を聞く機会があった。統計によると,暴力事件の発生件数自体は他国とさほど変わらないのだが,凶器が銃であるが故にいざ発生した場合には,死亡や重体など重大な結果になるとのこと。
 たしかにナイフや包丁であれば,抵抗されてかすり傷に止まることは多いし,よほど執拗に刺さなくては,重体にも,ましてや死亡にまで至ることはない。人間は,至近距離では相手の顔も見るし,実行後は返り血も浴びて萎縮するが,銃のように離れた所から打てるのでは,抵抗感がなく,簡単に人を殺せてしまうのである。そこが,銃という凶器の持つこわさである。
 気が短い人はどこにでもいる。だんだん増える一方だ。切れて,かっとなった場合,もしその人が銃を持っているとしたら,と考えるだけで恐ろしい。ちなみに同じ頃韓国の検事が同国の犯罪統計を見せてくれたが,傷害事件の発生件数が日本の何倍もに上った。いわく「韓国人は気が短いから」。運転が荒いのは私もその地に行ってよく知っている。別の検事は奥さんから「貴方はタクシーの運転手のようだ」と言われるそうである。
 暴力団のいう「チャカ」。抗争に付きものの銃を社会にはびこらせないよう,より一層の厳重な取締りをと願ってやまない。

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Vol.34 ホリエモン,2年6月の実刑!  (2007年 3月20日)

 先週16日(金),求刑懲役4年に対し,懲役2年6月の実刑判決が出た。2年半,刑務所に入って刑務作業に勤めなければならない。すごいことである。
 ただ,元検事の私としてはこれは予想された判決であった。理由は3つある。

 まずは経済事犯自体が非常に重くなっていることだ。
 ずっと以前は証券取引法違反は軽罪であった。インサイダー取引でどれだけ利得をしても,6月以下。軽犯罪並みの社会的非難であった。故に当然,執行猶予がついたが,このところアメリカの影響もあって,経済事犯全体の刑罰が極めて重くなってきた。
 例えば,インサイダー取引(法166条)は5年以下の懲役・500万円以下の罰金だ(197条の2,13号)。相場操縦(159条)に至っては,なんと10年以下の懲役・1000万円以下の罰金(197条1項5号)! この懲役刑は,典型的な刑法犯である窃盗・業務上横領・詐欺・恐喝などと同一であり,これに罰金併科も可能なのだから,どれほど重大な犯罪と考えられているか,理解されえよう。
 ちなみにライブドア関係者が起訴されたのは,同法の中の有価証券報告書虚偽記載と偽計・風説の流布であり,いずれも刑罰は上記相場操縦と同じである(197条1項1・5号)。つまり,2つを併合すれば懲役15年まで科しうる,まさにとびきり重大な経済事犯なのである。

 2つ目は求刑。
 執行猶予にしてもらっていい場合,検察は求刑を3年に抑えるという慣行がある(宮内の求刑は2年6月である)。ではない求刑4年は,実刑を望むという意思表示であり,またたとえ実刑でも求刑の半分以下になった場合はやはり控訴をするから,裁判所の落としどころとしては2年6月の実刑が最も妥当な線であった。

 とはいえ,懲役3年に落として執行猶予という選択肢ももちろんある。限りなく実刑に近い線としては執行猶予期間は5年であろう。だが,そうしなかったのは被疑者個別の理由である。
 被疑者は一切反省をしていない。裁判所としては「反省をしていることを考慮し,特別に」執行猶予を付けることができない。加えて,弁護人の特異な言動も際だっていた。宮内らの業務上横領を挙げ,検察が取引をしたとの疑惑を法廷の場で主張するのは,弁護士の職責としてまっとうである。が,これをテレビ向けに「乞うご期待!」などとぶつのは,次元の異なる話である。裁判官も人間である。嫌悪を抱いて当然だ。
 弁護士は本来依頼者のために利益になる行動をすべきである。もし依頼者から望まれたとしても,いやここで貴方のやるべきことはひたすら陳謝し,恭順の意を表することだ,でないと実刑になるよと諭すべきであった。弁護人はそれをしなかったばかりか,今回の判決を「常軌を逸した」とまで述べた。
 一審判決を覆すのは民事も刑事も容易なことではない。現在損害賠償請求を起こされている一般投資家に対してできる限りの賠償をし,様々な形で反省を示さない限り,二審で執行猶予になるということはありえないであろう。

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Vol.33 弁護士業の難しさ  (2007年 3月 8日)

 先日,和解のために裁判所の待合室にいたときのことだ。
 がさがさと,男女3人が入ってきた。聞くつもりはないが,待合室は狭いし,年配の女性が興奮して大声を出すので,聞くとはなしに聞いてしまった。彼女は当事者。裁判官から先ほど提示された和解案がよほど気にくわなかったようだ。
「裁判官は〇〇(相手方)がどれほど悪い奴か,全然分かってないんですよ」
 男女各一名は何も言わない。相づちすら打たない。であるからかどうか,女性はどんどん激してくる。
「〇〇は他に〇〇や〇〇もやってる(本当であるとすれば犯罪にあたることをいくつか挙げた)」
「まあまあ。しかしそれは本件の審理の対象とはなっていないですから」
 さすがに弁護士。ここは冷静に戒めた。
 紛争は同族会社の内紛と見た。相手方と争う株式の額は億に上るようだ。となると弁護士報酬も桁違いであろう(だから羨ましいと思ったわけではない。念のため)。

 このエピソードには依頼者対策の難しさが凝縮されていると思う。
 法律の素人と玄人の違いと言っていいかもしれない。裁判官が認定する事実は,法に基づき,またその裁判に提出された証拠に基づき,証拠にしか基づけないものである。当然,真実であるとは限らないし,ましてや一方当事者が真実であると確信している通りに認定してくれるはずはない。人はよほどの聖人以外は己を正当化するものだし,記憶は自分の都合のよいように変わっていくものである。
 だからあなたの思い通りには裁判所は認定しませんよ,とは言えない。お金を払うのは依頼者だ。その人にいかに満足してもらうか。法と正義に基づいて最大限の努力をし,玄人が評価する結果を出したとしても,同じように依頼者が評価してくれるとは限らない。本筋とは違うところで妙なこだわりがあったりもする。誰が見ても完璧な奥さんや旦那さんが当事者にとって満足とは限らないようなものだ(?)。極端に言えば,大きなミスをしても,それと分からず満足してくれることもあるだろう。医者もそうである。手術は失敗でも先生はよくやってくれたと思えば患者も遺族も不満はないが,最大限の説明をし施術をしても訴えられることもある。
 依頼者も様々だ。心情を思いやり,その個性・ニーズを考慮すること。それが今後の大きな課題であると思わされたエピソードであった。

 あと弁護士業で難しいのはお金の取り方。
 今ではそう間違えなくなったと思うが,振り返って,取りすぎたと思うのもあれば,それ以上に,取らなさすぎたものがある。取れるときには遠慮なく取っておかなければ,ボランティアでやろうと思うときに動けない。訴額で事件を選んではいけない。この案件でいくら,ではなく,1年で均していくら,あるいは2年でいくらくらいの感覚でやるべきこともよく分かってきた。

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Vol.32 2月もそろそろ終わり  (2007年 2月23日)

 先週末,東京マラソンが開催された日は,おそろしく寒くて雨が降りしきっていた。
 突発した仮処分申請のため,朝事務所に向かいながら,こんな悪天候をものともせずに走る方々は,よほど走ることが好きなのだと,感慨を禁じ得なかった。
 私はといえば,とうてい駄目である。いくらお金を貰ってもごめん被りたい。
 とはいえ,体は動かさないといけない。なので手始めに簡単なことからやることにした。まずはできるだけタクシーに乗らないことである。
 これはやってみると,すごいことであった。まずは当然に体を動かす。渋滞や運転手の態度の悪さ,道の知らなさにいらいらすることもなく精神衛生上極めていい。時間が読める。加えて,お金が節約できる。いいことづくめで,私はなぜこんな簡単なことに気がつかなかったのだろうと驚いている。

 仕事は,わっと忙しくなるときあり,さほどでないことあり。
 暇なときは,鋭意法律の勉強に充てている。上記の仮処分申請のように急に何が起こるか分からないので,前もって何であれ,出来ることは早めにやる。これは依頼者のためというより自らの身体・精神の健康のためなのだが,それが跳ね返って依頼者のためになる。
 どこの世界でもそうだが,大胆に言い切ると,形式を守れる人は実質もよく,形式を守れない人は実質も悪い。
 締切り日間近に書面を送ってくる弁護士がよくいるが,まず間違いなく,内容もよくない。能力の高い人は前もってやれるのである。よく分からないとすぐには書けず,遅らせに遅らせて,期日間際の見切り発車となる。
 忙しいというのは絶対に,言い訳である。と分かっているからできるだけそう言わないようにしているのだが,営業上忙しいと言ったほうがいいとき,あるいは公私を問わずお断りしたいとき,これは便利な言葉ではある。
 人間,好きなこと,簡単なことはすぐにするものである。

 ふと手が空いたのでこれを書いているが,とくにテーマがあるわけではない。
 なぜだかこのホームページ,時に急にアクセス数が増えるときがある。日に100件とか200件とか。この2〜3日もたまたまそうなったので,そんなに見てくれるのなら,書かなければと思った次第である。

 死刑の言渡し人数がここ数年で増え,最近の統計では年40人を超えている。
 戦後の混乱時期を除けば,ずっと長い間,5人ないしせいぜい10人で推移していたから,これは一体どういうことなのだろう。凶悪事件が増えているという体感はあるし,日替わりのような残酷非道のニュースに接するにつれ実際そうなのだろうと思うのだが,本当のところはどうなのか。あるいは検察官・裁判官の量刑が厳しくなってこれまで無期懲役を言い渡していた事件に死刑が科せられるようになった故なのか。検証したいのだが,どなたかいい本なり資料なりがあれば,教えてください。

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Vol.31 大学後期も終わり  (2007年 2月 1日)

 昨年12月から今年にかけて結構忙しかった。急に一息ついている。案件が急にばたばたと片づいたこともあるが,大学が休みに入ったことも大きい。

 大学は試験監督で一昨日に行ったのが最後。次は学生が新しくなって,4月からである。
 昨年から試験監督回数が増えた。自分の試験2科目(あと1科目はレポートにしている)プラス他の先生の試験監督補助が4科目。経済など私の専門外だったのだが,試験問題を見たらどれも難しく,勉強しないと解けないと分かった。方式も先生によって,論述式,穴埋め,○×,はてはマークシートなど,まちまちである。
 ちなみに私はずっと論述式を通している。各1問(1時間)。
 春期,持ち込みをすべて可にしたところ,やたらと書き写す答案が多いのに閉口,今回は一転,持ち込みは一切不可にした。ただし,最後の講義2回の冒頭,問題を板書し,その際ついでに回答まで大体喋るから,書けないはずはない。
 採点は一大仕事である。1年刑法総論(必修)が400枚弱,2年刑事訴訟法(選択)が200枚弱。大変なのだが,学生のレベルもよく分かって,大いに参考になる。法律というのは論理力であり,その基礎は日本語力なので,結局は日本語能力の高い人が出来る。それは一読して面白いほどに明瞭である。よく出来るのも何人かいて,嬉しくなる。
 あとレポート約150部(2年刑法総論特講)の採点を残すばかり。
 
昨秋あたりからセカンドオピニオンを求められることが増えてきた。医者の世界ではすでに当たり前のことである。
 いわく,今弁護士がついているが,どうにもおかしい。頼りない。なんだか変な感じである……。
 その弁護士が作った書面を読む。よくよく聞いてみる。たいていの場合,その弁護士は普通である。ただ顧客への説明が不足しているのだ。あるいは人間同士なので,単に相性が悪いということもある。
 そう説明をして,よほどの理由がないかぎり,弁護士は替えないほうがいいと説得する。着手金も無駄になるし,対相手方・対裁判所ともに心証は悪くなる。そして実際に弁護士を替えたから白が黒になるとか,取れる額が倍になるなどというような魔法は起こらない。もし自分が受けたらそうしましょうと言う弁護士がいるとしたら,眉唾である。医者もそうだが,あまりに口の滑らかなのは疑ったほうがいい。
 私が悪い弁護士だったり,お金に困っていたりしたら,相手が素人であるのをいいことに,その案件を引き受けるかもしれない。相手は最初から替えたいと言っているのだし,お金はいくらでも払うと言っているのだから。だが良心的な私は,相談料だけでいつも終わる。金儲けにはならないが,人助けにはなっていると信じている。

 さて,安倍内閣。柳沢厚生労働大臣の辞任は不可避な状況となっている。柳沢さんは論理明快,とても頭のいい人なのだが,一体なぜこんなつまらない失言をしたのであろう。あるいは単に語彙が乏しいのであろうか。残念なことである。安倍首相も危機管理能力・決断力のなさをだんだん露呈している感がある。

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Vol.30 一年を振り返って  (2006年12月26日)

 早いもので,今年も残りわずか。事務所も明日で閉める。
 社会には悪いことが多く起こった一年だったが,私自身にはとても良い年であった。理由は,3つ。
 
 1つには,仕事のペースが自分なりに掴めてきたのである。1つ1つ着実にこなせるようになったと思う。思い起こせば,最初の頃はあたふたしていたかもしれない(そうは見えなかっただろうけれど!?)。経験を経て,ずいぶんと慣れたのである。

 弁護士になって思うのだが,生の相談を受けてお金を貰う以上,勉強にも身が入るし,実際に身についていく。振り返って,検事のときは扱う法律が限られるし,何といっても公務員の限界がある。依頼者の信用を得て,依頼者のために最大の利益を図ろうという発想はそもそもない。国会議員のときは扱う法律は幅広くて面白いのだが,これは法律の実務ではない。
 今日は火曜で,通常は大学に行くのだが,冬季休暇に入り,すごい雨の中,事務所に来た。昨日依頼された案件に早速取りかかっている。性格がイラチのせいか,ためておくのが好きではなく,すぐにやるのである。もちろん勉強や法律が好きだということがある。仕事が好きなのである。このところ,受任したのに仕事にいっこうに着手しないと懲戒を申し立てられる弁護士が相次ぐが,その人たちはどだいこの仕事に向いていないのであろう。
 弁護士を趣味でやれたら最高だねと言う弁護士がいたが,私はたぶんそれであろうと思う。いろいろな方々に助けられ,維持費や収益をあまり気にすることがないのは本当にありがたいことである。

 理由その2は,「りぶる」12月号でも書いたが,自分でも信じられないほどピアノが上達したからである。今「熱情」を弾いていて,来夏の発表会には,ベートーベンの最難曲ソナタ,ハンマークラビアに挑戦する予定である。成果が如実に形として現れることほど嬉しいことはない。

 理由その3は,先の理由2つとも関連するが,人生の達人に少しだけ近づいたことである。
 まずは時間の使い方が非常に上手になった。人生は時間。いい人生を送るためには時間を賢く使わなければ。そんなことがようやく分かってきたのである。
 加えて,性格の改造。生来短気なのを,できるだけ抑える。人はそれぞれだと寛容になる。人がやってくれることに感謝して,やってくれないことに憤らない。つまりは全体に丸く優しくなる。面白いもので,自分がそうなると人も丸く自分に接してくれるものである。他人は自分を映す鏡なのだ。
 来年はこれを土台に,さらに充実した年にしたいものである。
 この1年,どうもありがとうございました!! 来年もどうぞよろしく。

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Vol.29 首長逮捕続出,復党問題……  (2006年12月 7日)

 福島,和歌山の両知事逮捕。宮崎も時間の問題だ。成田市長も逮捕。どこも続いて選挙になるから,税金の二重の無駄遣いである。
 すべて公共工事がらみ。絶対権限を持つ首長が「天の声」を出して入札の発注先を決め(偽計入札妨害),業者から金を貰う場合もあれば随意契約をして業者から金を貰う場合(収賄)もある。氷山の一角かもしれない。実際,今回の一連の捜査には,例の橋梁官製談合の際に得られた証拠が大いに役だったと言われている。

 業者と首長との切っても切れない関係は,選挙に始まる。業者は(見返りを期待して)組織ぐるみで人と金を出す。結果,地位につけば,お返しをしなければならない。とくに次の選挙を考えればそうである。
 先日私は,親しい女性市議に頼まれ,市長選の新人候補者の応援に行った。当初3期しかやらないと公言していた市長は,次回4期目出馬を宣言。業者との癒着,無駄な公共工事がずいぶん指摘されているという。新人候補及びその支持者らは「もったいない」を合い言葉に,借りを作らない選挙を目指すのだという。
 どれほど巨大な組織でも,それに属さない,利益の絡まない一般市民のほうが数はずっとか勝る。市民ひとりひとりが市政を変える主体的な気持ちになってくれれば,勝算はあるはずだ。頑張って!! 

 さて4日,党紀委員会は全会一致(私も)で11人の復党を認めた。
 本音では反対の委員もいただろうが,あれだけ厳しい誓約書にもサインした方々の復党願を認めないわけにはいかなかったのだ(ちなみにあの誓約書は,前回選挙時,すべての衆院議員候補に書かせたものと類似であるらしい)。
 世論調査の結果はずいぶん悪い。参院選目当て,先の衆院選は何だったのだ,まだ1年しか経っていない……みなその通りだと思う。内閣支持率も落ちたという。
 年内の復党には,参院側の強い要望があったと聞く。地元に強固な地盤を持つ造反組に戻ってきてもらわないと参院選は勝てない……。その後の造反組との交渉で,首相が陰に引っ込み,幹事長ばかりが表に出てきたのは良くなかったと思う。良くも悪くも国民は,前首相の強烈なスタイルに慣れてしまっている。

 郵政改革に端を発する前回の衆院選挙,続く復党問題は,前首相の負の遺産である。急遽かき集められた「刺客」たちの評判は,正直言って,概ね良くない(非常に悪い人もいる)。即席なのだし,地元との縁もないのだから,当然でもあろう。造反組が戻ってきて,次回選挙時には公認問題が熾烈となる。
 公認されること・議員であることは既得権では決してないのだが,しかし「議員は使い捨て。首相も使い捨て」(前首相)はないだろうと思う。議員は国民の代表者であり,公僕だ。使い捨てられてもいい候補者を選ぶのは,公党の責務放棄ではないか。そう言えば,「人生いろいろ,会社もいろいろ」,なんて言葉もあった。これで内閣支持率が終始高く5年ももったのは,特異なキャラクター故か時代がそうさせた故か。

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Vol.28 いじめなど,問題山積……   (2006年11月15日)

 長い間書いてないような気がしていたら,なんと1ヶ月半も経っている(!) 毎日なんやかやと私の周辺でもいろいろと起こる。
 目を他に向けると,日本でも世界でも,様々な事件が起こり,何がなにやら分からないくらいである。ただ残念ながら,あまりいいニュースは聞かない。
 とくに深刻なのが,いじめ問題である。

 いじめは古今東西いつでもどこでも必ずや起こるし,私も小学生の頃,ずいぶんといじめられた(今の私からは信じられないだろうけれど?!)。いじめられていることは子どもなりに恥なので,親にも言えない。ただ,その頃はまだのどかで,助けてくれる子や仲良しも結構いて,孤立することはなかったし,その頃のいじめといえばきっとその程度のものであったろうと思う。私は私で,他にいじめられている子がいれば庇っていたし,まだ貧しかったけれども,いや貧しかったからこそか,互いに助け合う精神に溢れていて,良き時代であった。
 大人になって思うのだが,いじめられる子もまた,たいそう不幸である。家庭や学校で満たされない思いを,自分より弱い者にぶつけることで晴らそうとする。親が不十分なところは,教師や周りの大人が庇ってやらないといけないのだが,今はみな自分のことに精一杯で,人のことなど構えないのだろう。構うと,何か文句を言われるかもしれず,こわくもあるし。物は溢れて豊かな時代であるというのに,実に悲しいことである。
 
 今回ことにひどいと思ったのは,教師や校長ら学校関係者に対するマスコミの集団いじめである。「校長がようやくいじめを認めました!」とさも得意げに,その土下座している映像を流されて,今後この学校は教育できるのだろうか,と暗澹たる思いになったのは私だけではないはずだ。
 教師は,校長や教育委員会など周りに管理されて時間に追われ,肝心の子どもに向かい合っている余裕がないのが実態である。有為な若者こそ教師になってほしいのだが,こんなことではますますなり手がいなくなるのではないか。

 教育崩壊とともに,いじめは陰湿の度を増し,いじめを苦にしての連鎖的自殺が起こっている。死ねば誰かが悲しむ。自分ひとりの命ではない。あるいは,今は辛いけれど,そのうちきっと楽しいことがある。そう思えさえすれば人は死ななくて済むはずなのに。昨今は身近で祖父母の死を看取ることもなく,リセットボタンで死人が容易に生き返るバーチャルな時代になっていることも大きな要因ではあるのだろうが。
 合呼応して,陰惨な児童虐待が起こっている。自殺も児童虐待も,形こそ違うけれども,共通するのは命の軽視である。人の最大の財産はその生命であり,それをすら軽視するところにすべての政策も文化も不毛である。

 安倍総裁の下,党紀委員会の委員になり,復党問題を扱うことになった。

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Vol.27 小林被告に死刑判決  (2006年9月28日)

 26日(火),後期授業が始まった。奈良の女児誘拐殺害事件の判決が10時に予定されていたが,すぐに親しい代議士から電話が入った。「小林の判決,どうなるのかなあ」「判決言い渡しは?」「それが,主文なしに理由に入った……」「あっ」思わず声が弾んだ。「じゃ,間違いなく死刑ですよ」「ホント,良かった!」
 判決の言渡しは主文→理由だが,死刑宣告の時だけは理由→主文となる。死刑と聞いて被告人が卒倒すれば判決の言渡しが続けられないからである。

 10時40分,「刑法総論特講」の教室に入ろうとしたら,学生が一杯! 100人近くいるだろうか。前期の「刑法各論特講」は履修届約80人。実際の受講はその半分程度であった。
 授業はいつも,最近の事件の話から始める。それが実務家の強みで,実際,学生らはよく聞いてくれる。この日は話題が盛りだくさんだ。なにしろ2ヶ月も休みだったし,事件はひっきりなしに起こる。まずは奈良の事件。そして麻原の死刑確定……。
 みな私語もなく熱心だ。終わって,最前列の学生が「先生の話は面白くてためになると聞いたので……本当に面白かったです」。たぶん,レポートで単位をくれるとの評判もあるだろうと思うが,悪い気はしない。私もますますやる気が出るし,となると学生もよく聞いてくれて,互いにいい循環である。

 死刑判決は当然である。
 被害者が一人であるにしては画期的であるとの論調が多いようだが,以前山口県光市の事件でコメントしたように,この種量刑で必ずと言っていいほど引き合いに出される永山事件は単なる殺人であり,わいせつ目的や女児殺害が絡む事件とは罪質が大いに異なる。私に言わせれば,逆に,この種事案の量刑が軽すぎるのである。
従前,被害者が一人でも死刑になりうる罪種は,「強盗殺人」「身代金目的誘拐殺人」「保険金殺人」とされていた。強盗殺人(致死)は,強盗は容易に殺人に結びつく危険な犯罪類型であるとの考え方からそもそも法定刑が「死刑又は無期懲役」(刑法240条)と格段に重い。後2者は異なるが,金銭欲と結びついた殺人は危険であり重罪をもって臨むべきと考えられていたといっていい。
最近ようやくに気づいたことだが,刑法はそもそも財物の価値を,人の貞操や性的自由の価値より上位に置いているのである。強盗「6年以上20年以下(昨年1月の改正前・7年以上15年以下)」に対し,強姦「3年以上20年以下(同・2年以上15年以下),強制わいせつ「6月以上10年以下(同・6月以上7年以下)」,強姦・強制わいせつ致死「無期又は3年以上20年以下」。
 また,身代金目的誘拐は「無期又は3年以上20年以下」だが,奈良の事件のようなわいせつ目的(営利目的もだが)誘拐は「1年以上10年以下」でしかない。もしこれらの罪の法定刑が上がれば性的犯罪を伴う殺人も量刑が重くなるはずだが,実務の運用だけでもずいぶん変わる。
 いたいけな少女が何の落ち度もないのに獣欲の犠牲になり,その家族が永遠に地獄の責めを負って,いいはずがない。

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Vol.26 麻原の死刑確定など  (2006年9月25日)

 前に書いてからあっという間に,1ヶ月余が経過。
 明日からまた大学の後期授業が始まる。今日まで1ヶ月半にわたって週1日の大学通いがない上,弁護士業もゆっくりしていたが,これも今週からぼちぼち忙しくなりそうだ。

 昨夏は「郵政解散選挙」であちこちに応援に行っていた。
 総裁選挙が終わって,改めて思うことは候補がすべて2世3世だったことだ。再チャレンジが出来る社会をと謳うが,現実にどんどんと格差が広がり,二極化しているなか,失敗を前提にした再チャレンジがそもそも不要な層がそう言ってもなあと思う。志ある有為な者が誰でも選挙に出られ,かつ総理を目指せるような社会をと願う。中選挙区のほうがよほど新陳代謝が可能であった。
聞くところでは,新総理は経済に疎いとのこと。外交は単純な二国間の問題ではないし,経済とは切っても切り離せないから是非強くなっていただきたい。教育改革はたしかに最重要事だが,改革の中身が問題である。私は,初等教育における国語教育,すなわち人間としての基礎教育が最も大事だと思っている。すなわち,原点に戻れ。昔は実にいい教育をしていたと思うのである。私とたまたま同級生にあたる新総理には,これから様々な声に耳を傾け,柔軟な対応をしていただきたいと願う。

 この間,刑事司法の分野で特筆すべきことは,飲酒運転事故の多発,加えて今月15日,控訴審が開かれないまま,麻原の死刑が確定したことである。
 これについて,真相の究明がなされないままだとの批判がマスコミでは強いが,私の周りでは逆に,なぜもっと早く死刑にしないのかとの声のほうがずっと強い。
日本では裁きをしてくれる神が不在だから,裁判に真相解明を望む声がどうしても強くなる傾向がある。だが,人間ができることにはもともと限りがあるし,また当事者が語る「真実」には虚偽が多いので,過大の期待は禁物である。
諸外国であればどうしていただろうか。まずは,麻原が穴蔵に籠もって出てこなかった時点で警察が射殺したであろう国が多いのではないか。「簡易な死刑執行」だ。もし捕らえて裁判にしていたとしても,そもそも刑事司法制度が日本ほど詳細な事実認定を要請していないので,こんなには絶対にかからない。
 死刑が確定した以上,刑事訴訟法上半年を目処に執行されるはずだが(475条・476条),現実には法務省で改めて精査し,また法務大臣が署名したがらないことも手伝って,現在100名近くが未執行とのこと。昨今,犯罪の凶悪化に伴って増えたとはいえ死刑宣告は年20名にも満たないくらいなのに,である。麻原の死刑執行に至ってはずっと先になりそうだ。

 3年後には裁判員制度が始まる。素人裁判官が審理に加われば,裁判の迅速化はもちろん不可避である。集中審理をし,とにかく早く終わらせること。でなければ,素人が前の審理を覚えているはずはないし,出頭の確保もできないからである。膨大な書面を審理することで詳細な事実認定をしていたところにもって,口頭でどんな説明をし,どんな事実認定をしてゆくのか。事はひとり刑事司法制度を超えて国民性をも左右する問題となる。

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Vol.25 首相の靖国参拝など  (2006年8月20日)

 15日朝のテレビ各局はこれ一色であった。
 たしかに問題はある。東京裁判でのA級戦犯(侵略戦争の遂行者)の不明な手続きによる合祀。加えて,政教分離の問題。
 東京裁判が国際法違反の裁判であったことは間違いない。だが,日本はサンフランシスコ講和条約でその結果を受諾したし,やり直しの裁判も行ってはいない。靖国参拝への批判の中心は中韓であり(真の対戦国であるアメリカではない),対日戦略の一環であろうが,それをおいても,ここはあえて大人になり,経済その他への影響も考えて,静観すべきであったろう。ましてあくまで「心の問題」であり,納得できる説明もないのであれば,心で静かに参拝すればいい。
 首相は以前から靖国にこだわっていた政治家ではない。5年前の総裁選では関係団体向けに公約したとする人が多いが,有言実行の首相は,郵政もやった,自民党もぶっつぶした,残りはこれだとの意地で絶対に敢行すると読まれていた。ここには,国益という当然の発想が欠けている。
 それにしても,いつもながらのマスコミの姿勢には呆れるばかりである。外国のメディアが叩くのは仕方がないが,それに対しては,内政干渉だとしっかり主張すべきではないか。成熟した民主主義には国家のバックボーンがなくてはならない。

 送電線切断による大停電は,日本という国の脆弱性を露呈した。すぐにテロの標的になるのに,なぜ今,国会を開いてでもこの問題を討議しないのだろうか。
 ソ連による漁船拿捕は痛ましい結果となった。ただ,麻生外務大臣が早急にとった強硬姿勢は久々に気持ちがよかった。本来,これが当たり前の姿なのだが。
 総裁選は「消化試合」で,つまらない。自民党も人材不足ですねえ,とあちこちで聞く。昔はこんなではなかったと。一つは教育全般の問題(政界に限らず,どこもおしなべて人材不足である),政界に限っていえば,小選挙区を導入した弊害が極めて大きいと思う。現職有利で新しい血が入らないからだ。現職死亡・引退後はたいていその親族が継ぐ。今回の総裁選候補もみな世襲議員である。世襲で栄える会社は,ない。

さて,お陰様で,16日の発表会は無事終わった。
 完成度から言えばまだまだだったが,いざ本番ではさほど上がらず,いくつかミスはしたが素人さんには分からない程度であったらしい。止まらず最後まで弾けたことで私としては一応の合格点である。あと先生たちと食事をし,その後出演者たちと打ち上げをして盛り上がった。音楽を通して,純粋な仲間が出来て,嬉しい。
 2年半前レッスンを再開したときにはモーツアルトのトルコ行進曲ですら指が動かなかった。半ば諦めていたのだが,一歩一歩,確実に戻ってきた。今春杉谷昭子先生に習い始め,発表会にも出ると決めて,わずか3ヶ月で格段に上達した。人間,だから決して諦めてはいけないと,ことに中高年の方々に声を大にして言いたい。
 次に向けて今,熱情ソナタ,それにブラームス(「主題と変奏」),バッハ(パルティータ6番)を弾いている。相手のある仕事とは違い,ピアノは,自分がかけた時間とエネルギーが素直に成果となって現れてくれる。

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Vol.24 お盆前につらつら  (2006年8月 9日)

 長い間書いていないと気になっていたら,やっぱり1ヶ月半経過である。
 この間,様々な事件が起こり,いや次々と起こりすぎて,受けた印象がすぐに希薄になってしまう。
 昨日は橋本元総理の葬儀に参列した。8年前,比例区総理枠で参院議員に当選したときの総理である。毀誉褒貶様々だが,私自身は非常によくしてもらって,いい思い出ばかりだ。御冥福をお祈りする。

 お陰様で,事務所を始めて満2年が経つ。
 依然,稼ぎは自分ひとり食べていく分には十分(つまり,弁護士を雇うなどにはほど遠い!)というレベルで,大して忙しくはないのだが,これに大学があり,加えて最近は,〇〇を紹介してほしいだの〇〇をしてほしいだの,様々な頼まれ事が重なり,かなり忙しい。中には気が重いものやら,大金を積まれて?筋悪事件の依頼もある(もちろん丁重にお断りすることになる)。それらもすべて,こんな経験をさせてもらってありがたいと気持ちを切り替えると,ストレスがうんと減ることも経験上分かっていることである。

 大学は7月末までばっちり補講に通い,8月1日が前期試験だった。
 昨日ようやく約700枚!の採点を終え,かなりほっとしている。
 論述式1題のスタイルにしているのだが,前年度より採点に時間がかかったのは,今年度から「すべて持込み可」とした故であろう。やたらの長文が多いのは,なんでも書いておけば点になるという腹らしい。だが余事記載は減点の対象となり,すっきり短くまとめたほうがよほど高得点になることも,今後伝えることにしよう。
 今日は新潟に出張(裁判),11日(金)は初めて弁護士会で法律相談をする。終えると来週一杯,お盆休みである。

 実は私はお盆は休めない。仕事ではなく,ピアノの故だ。16日,発表会に出るのである。30年ぶりのこと。500人収容の大ホール。加えて私以外の出場者はプロ,しかも音大云々はもちろん国内外コンクール入選者が多数を占める。曲目はベートーベンのテンペストソナタ3楽章である。
 自宅での練習は午前9時から午後8時までなので,毎日調整に頭をひねっている。貸スタジオを借りることも結構ある。防音室を設けるといいのだが,賃貸であることに加え,それをすると,好きだからつい夜中遅くまで弾き,いずれ健康を害し,仕事にも差し障るだろう。第一は仕事,次が趣味。その優先順位は不動である。

 大学時代からの親友が,体調を壊した。胸に水がたまっているとのことで検査入院をし,診断は結核。肺ガンでなかったのは幸いだったが,しばらくは自宅療養である。元を辿れば働き過ぎ,過労があった。私も気を付けなければと,改めて思う。近頃は医者にもよく行く。やはり自分で安易な判断をせずにプロにまかせるのはいいことだと思う。

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Vol.23 山口県光市の事件に思うこと  (2006年6月22日)

 検事時代,強姦事件を数多く扱った。強姦と一口に言うが,その内容は実に様々である。
 顔見知りの間でのあまりぱっとしない告訴事件から,凶器を準備して家に押し入っての連続強姦魔まで。
 強姦に対して世間には大きな誤解がある。性欲が溢れる若さなのに恋人がいないから,あるいはお金がないから風俗に行けなくて……代償行為として強姦に走ったのだと。
 誤りである。スリがお金のためというより,たまらぬ快感でスリを続けるように,彼らは,脅迫・暴行で相手を屈服させて性欲を遂げることにこそ快感を感じるのである。だから,たとえ恋人(妻)がいても,金があっても,若くなくても(扱った連続強姦魔の中には50歳近いのもいた)捕まるまで強姦を続ける。そして出所後,繰り返す。
 小児性愛が治らないことは最近ようやく認知されてきたが,ことは他の異常性欲者もほぼ同じである。誰が死体に性欲を感じよう。だが,それを越え,殺して犯すことにこそ無上の快感を覚える鬼畜もいる。大久保清がそうだった。

 山口県光市の事件は,少年事件(犯時18歳)であることに目を奪われ,犯罪を客観的に見る視点が欠落していたと思われる。
 見ず知らずの女性を,準備した凶器で殺し,その上で犯す。快感は極限に達し,異様な興奮状態にあったはずだ。故にこそ,傍らの赤ん坊を叩きつけて殺し,2人の遺体を押入れに放り込んだ。財布を盗み,中にあった地域振興券を見せびらかし,ゲームセンターで遊んだ。この一連の行為は単に,鬼畜の犯行であり,反省の色がないだけではない。本質は,危険極まりない異常性欲者による犯行。前科はなくて当然,まだ18歳なのだから。
 性欲は,去勢しないかぎり,消えない。出所すれば必ずや,再犯に走るだろう。この度もし最高裁が検察官の上告を棄却し,原審の無期懲役を確定させておれば,25歳の服役者は40歳頃には仮釈放される。誰が新たな被害者になるか。いずれにしてもその責任は誰も取らない。これが法治国家だろうか。
 少年への死刑基準としてよく引き合いに出される永山事件は連続射殺事件である。だから,その最高裁判決で示された「被害者の数」4名は基準とはならない。

「理念」としては当然,犯罪者の更生をいうべきである。だが,医療にも個人の体質や素因によって不治があるのと同様,たまたま置かれた環境がもたらした偶発的な犯行と違い,人格そのものの発露といえる場合,更生は難しい。
 常習性の非常に強い犯罪類型は,大きく分けて,4つ。盗癖,粗暴癖,薬物嗜癖,そして性犯罪(異常性欲)。
「なくて7癖」というように,誰にでも癖がある。酒癖,女癖……。それがたまたま犯罪性向に結びつかなければ癖で終わるが,中には犯罪となる癖もある。それでも被害が財産で済めば回復が可能だが,人の命は違う。最愛の奥さんと子どもを非道に奪われたご主人その他遺族の方々は,人生を根こそぎ奪われたのである。
 少年だから寛刑にと主張する人は,自分がもし遺族であったとしても,同じことを言うのだろうか。想像力の欠如が死刑廃止や少年保護を唱えさせているのでなければ,幸いである。

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Vol.22 ポスト小泉・教育基本法改正  (2006年6月8日)

 国会の会期延長なし,と首相が明言――。
 三権分立違反のはずだが,マスコミは批判していない。その言葉通り,多くの法案を積み残した形で国会はまもなく閉会となり,あとは9月の総裁選である。
 おそらくは安倍総裁・首相が誕生するであろう。首相が彼を,自身の改革路線の継承者と見ているし,実際,永田町のムードもすでにそうなっているように感じられる。
 新首相には,冷静に,広い目をもって,国の舵取りをしてくれることを望む。以前にも書いたが,国会を離れて後の私は,首相の靖国神社参拝に懐疑的だ。国際法違反の裁判といくら言ってはみても,負け犬の遠吠え,国際的には日本はそれを主張できていないままである。靖国神社は私的な組織であり,A級戦犯合祀は不明瞭な手続きでなされた。中国韓国の反対が内政向けの方便であったとしても,行きたいから行く,ではなく,相応の説明責任を尽くし,現に起きている経済などへの効果を最小限にすべきだと思うのである。

 教育基本法改正についても,国会議員時代の私は大賛成だった。愛国心,当然。国のために戦う,当然。そう信じたのは,それまで多分に国家というものに無関心で生きてきたことへの反省ないし反動であったと思う。
 教育の問題は,基本法の文言・規定云々のレベルの問題ではない。
 家庭教育で,挨拶や規則正しい生活を教えられているか。あるいは学校教育で,国語と算数がどれだけ身に